朝日町エコミュージアム|大朝日岳山麓 朝日町見学地情報

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 文明元年(1469)越前敦賀より原越後守が一族郎党を引き連れ築城しました。永禄8年(1565)四代原甲斐守の息子・兼道と鳥屋ヶ森城主岸氏の娘・弥生姫の婚約成立をもって、山形城主最上義光との五百川合戦につながり両城ともに落城します。(天正9年・12年落城説あり)慶長5年(1600)の出羽合戦では上杉勢により攻略されます。矢引き場、人見穴、堀切、曲輪、旗柱跡などが残っています。
小松寿一さんのお話
八ツ沼城の落城

歴史見学会 「朝日町の天地人」(PC)
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※対岸の農面道路からご覧下さい。
※城跡内部の見学はエコミュージアム案内人の会にお申込み下さい。
 五百川合戦の悲劇のヒロイン弥生姫の像が、地元有志により春日沼の中に立てられてあります。
 八ッ沼城は、永禄8年(1565)8月に五千騎の軍馬を引き連れた最上義光の攻撃により落城しますが、(天正9年、12年落城説もあり)第四代城主原甲斐守の一子兼通は婚約していた最愛の弥生姫(館山 鳥屋ヶ森城の姫)と春日沼に身を沈めたと伝わります。(果沼入水説もあり)

小松寿一さんのお話
五百川合戦の悲話 弥生姫
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 八ッ沼城跡には空堀や曲輪の跡が残ります。春日沼より若宮寺に至る空堀跡は遊歩道に整備され歩くことができます。

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※詳しい見学はエコミュージアム案内人の会へお申込み下さい。
 鴻の森に囲まれた沼べりにひっそりと立つお社は、小松家により建立された熊野神社です。「八ッ沼七名勝」の一つ。
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※駐車場から遊歩道を歩きます。
 正月、春日神社の裏山“鈴ヶ森”で、朝暗いうちから鶏の声が聞こえ、沼の上を金の鶏が八ツ沼城に飛ぶと云われています。その姿を見て、声を聞いた者は、その年を幸せに暮らすせたうえに、お金持ちになれるというので、正月三ヵ日には鶏の声を聞こうと、春日神社は暗いうちから参拝する人達でにぎわったそうです。
※春日神社は写真右奥

〔八ッ沼の七不思議〕
1.鈴ヶ森の金鶏の声
2.沼中の変水
3.阿吽の清水
4.大石の化け石
5.大石の提灯石
6.小関壇の異変
7.自在坊の生き地蔵

-伝説 - 八ツ沼七不思議紀行(PC)

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 八ツ沼城繁盛の頃、夜中に提灯をさげた牛の化け物が城の奥方様を驚かしました。殿様は弓の名人に退治することを命じ、名人は夜中に待ち伏せし矢を放ちました。翌朝、流した血をたどって山の中まで行くと、化け物は石になっていました。穴は矢が当たった所と伝わります。
※大石は地名です

-伝説 - 八ツ沼七不思議紀行(PC)

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※分かりづらい場所です。事前にエコミュージアムルームでご確認下さい。
 化け石の牛の化け物が持っていた提灯は、弓矢の名人にうたれた時、空高く舞い上がり飛んでいき、大きな石になりました。どんなに暗い夜でもこの岩だけは明るく見えると云われています。

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※分かりづらい場所です。事前にエコミュージアムルームでご確認下さい。
 湧水に数秒ごとにいくらかの増減があったとされ、無限に繰り返す“阿吽の呼吸”のようであるとして「阿吽の水」と呼ばれるようになったと伝わります。残念ながら現在は整備され見られません。

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※駐車場近くの道下にあります。
 明治15年に建てられた県内唯一の木造三階建て木造校舎です。白壁に大きな丸窓をはめ込む「擬洋風的建築手法」を用いた作りになっており、丸窓から見える町西部方面の素晴らしい風景が眺められます。朝日町指定文化財。山形県指定文化財。

文化財的価値について
三中分校の思い出
三中分校の歴史
三餘の精神
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※写真/萩原尚季
 若宮寺は、正平年間(1346〜70)五百川若狭が弘法大師の霊感により大日如来を西船渡(現蓮成寺)に祭り一寺を建立したと伝わります。慶長5年(1600)に上杉勢の五百川進攻の際に全焼。同17年(1612)に配下としていた山野辺城主山野辺右エ門義忠(最上義光四男)が現在地に移転しました。第一世尊孝法印は若宮寺中興の名僧と謳われ、寺の復興に活躍しました。

登坂高典さんのお話
和尚様の話
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※見学の際はお寺の方にお声かけ下さい。本堂内の見学は事前にお申し込み下さい。
 総ケヤキ造り、唐様式。若宮寺20世盛恬法印(せいてんほういん)により再建されたもので、左沢菅野辰吉棟梁の手により天保14年(1843)から嘉永3年(1850)まで7年の歳月をかけて造られました。姿構造まことに美しく、地方における江戸末期寺院建築の代表的な建造物です。朝日町指定文化財。また、ここからの眺望は「八ッ沼七名勝」の一つとされています。

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 八ッ沼山地からの地下水が湧いています。文政年間(1818〜1829)に、豊向庵という寺の解体移転にともなって出た土台石を使って造られたといわれ、村人の生活用水として長年利用されてきました。簡易水道がひかれた昭和30年代に一度姿を消しましたが、昭和63年に区民の願いにより復元されました。

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 「八ッ沼七名勝」の一つ。現在は水田になっていますが、天保13年(1842)以降に若宮寺住職盛恬法印が村人の暮らしが豊かになるよう開田しました。小松家文書によると、布山にあった朝日嶽社の僧“山仙坊”という者が沼に入水し命果てたのでそう呼ぶようになったとあります。また、八ッ沼城落城の際、一子兼通と婚約者の弥生姫が落ちのび身を沈め、一族郎党も自害した場所とも伝わっています。

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※八ッ沼〜西船渡に至る道路から眺められます。
 現在水田になっているかつての果沼の沼縁には、明応年間(1492〜1500)に旧家佐竹三郎兵エ家が建立した薬師堂があります。傍らには南寿庵や屋敷がありました。婚礼を前にして五百川合戦に巻き込まれるという悲話「弥生姫伝説」の弥生姫と兼通は、薬師如来の祭礼の時、ここではじめて出会ったと伝わります。

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※細い農道につき走行ご注意下さい。