朝日町エコミュージアム|大朝日岳山麓 朝日町見学地情報

朝日町エコミュージアム|大朝日岳山麓 朝日町見学地情報
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 菅原道真の子孫が移り住んだと云われる大谷地区は、代々天神信仰が厚く村には四つの天神宮が祀られています。村内は小路が升目のようになっており京都を意識した村づくりになっています。
 案内人/白田健二

 お薬師様の里「新宿」は、古い建物や町並みが残り、歴史を身近に感じさせてくれるところです。実際に地区の中を歩いて、遠い昔に思いをめぐらしましょう。
※お薬師様 / 木造薬師如来立像は山形県指定有形文化財。 脇侍の日光・月光菩薩像、眷属十二神将像あり。

コース / 創遊館〜新宿薬師堂〜館山鳥屋が森城跡〜昼食〜新宿ポンプ庫〜創遊館

案内 / 長岡秀典

神明神社の鎮守の森をはじめ、高田地区はもっとも身近にブナ林を楽しめる集落です。地区を挙げて整備したメダカの高田分校には朝日町在来のメダカや初夏にはホタルの乱舞を見ることができます。集落内を散策します。
案内 / 佐竹啓次  

 朝日自然観とその奥地に広がる豊かな自然を五感で楽しむコース。頂上からは朝日連峰を一望できます。おにぎり持ってでかけましょう。
 案内人/松田勝美

 ピラミダルな大朝日岳を正面に望む朝日鉱泉ナチュラリストの家から、朝日川を渡れば磐梯朝日国立公園に入ります。原生自然や朝日鉱泉の歴史についてご案内いたします。

案内 / 西澤信雄

 朝日岳山麓は、蜜源樹のトチノキが多く盛んに養蜂が営まれています。ミツバチの巣で作る蜜ろうそくの工房を訪ねます。スライド映写の説明やAsahi自然観近くの養蜂場を訪ねることもできます。ネットを被っての観察会(10人まで5000円)や蜜ろうそく作り体験(一人1500円)もたまわります。
案内 / 安藤竜二

エリア地区 / 杉山、水本

(お願い)
 このサイトは、朝日町エコミュージアムがこれまで培ってきたデータを紹介することにより、郷土学習や観光により深く活用されることを目的に運営いたしております。
 よって、サイト内で紹介しているほとんどの見学地は、観光地として整備している場所ではありません。夏は草が茂り道がなくなる場所もあるかも知れません。もちろん冬は雪に閉ざされます。また、個人所有の神社や建物等も一部含まれております。アクセスマップも細道までは表示されません。
 予め御了承の上、見学の際は下記についてご留意下さるようお願い申し上げます。

・安全に留意し危険な場所には近づかないで下さい。
・マナーを守り、無断で個人敷地内に入らないで下さい。
・不明な場所につきましては、エコミュージアムルームへお問い合わせ下さい。または、エコミュージアムガイドをご利用下さい。
Tel0237-67-2128(月曜休)


朝日町エコミュージアム研究会〜NPO法人朝日町エコミュージアム協会の活動

平成元年10月13日 第1回研究会設立準備会議
    10月20日 第1回研究会例会
平成2年 1月19日 第3回研究会例会
 エコミュージアム研修会(講師 新井重三先生)
平成2年 5月19日 第6回研究会例会(基本構想委員会として活動開始)
《サテライト候補地調査 (新井先生、丹青総研)》
平成2年10月21日 「朝日町の暮らしと文化」町内めぐり(中央公民館と共催)
 顧問、コンサルタントとの意見交換(第12回例会)(新井教授、丹青総研 里美部長、加藤研究員 来町)
平成3年3月17日「エコミュージアム・シンポジウム」(地域開発研究会主催、中央公民館)
平成3年10月4日 エコミュージアム基本構想調査報告書報告会
平成3年11月7日 第20回例会 (フランス視察研修報告会)
平成4年3月10日 第1回エコミュージアム・フォーラム(都道府県会館)
平成4年3月21日 第10回環境教育セミナー(埼玉県大滝村)
平成4年6月 5日〜6日 国際エコミュージアムシンポジウム(基調講演、パネルディスカッションほか)
平成7年 6月 「エコミュージアム国際会議」(日本エコミュージアム研究会と共催)
平成 8年11月 「旧石器発見60周年記念シンポジウム」
平成 9年12月 「大谷往来シンポジウム」
平成10年12月 「旧三中分校シンポジウム」
平成11年 1月 第1回朝日町の宝物カルタ大会
平成11年 8月 エコミュージアム・ガイド(まちの案内人)の会設立
平成11年10月 「大沼浮島シンポジウム」
平成11年12月 NPO法人朝日町エコミュージアム協会発足
平成12年 6月  エコミュージアムコアセンター「創遊館」オープン(協会でエコルーム・コーナーの管理・運営を受託)
平成12年12月 「ワインシンポジウム」
平成13年 6月 第1回「水とくらしの探検隊」
平成13年 7月 「センス・オブ・ワンダー」上映会
平成13年  8月 「山形県朝日町のエコミュージアム」VTR制作
平成13年11月 「リンゴシンポジウム」
平成14年 7月 第1回早稲田大学 留学生受け入れ (16年度まで)
平成14年 8月 「あさひまち宝さがし」キャンペーン 750 点以上の応募
平成14年 第1回「あさひまちの宝展」
平成15年  6月〜 「エコミュージアム宝紀行(見学会)」キャンペーン全10回
平成15年 3月 宝検索PC「あさひまちの宝箱」設置 入力開始
平成16年12月 「海野秋芳シンポジウム&紀行」
平成16年12月 「かみごう宝さがし展」
平成17年12月 エコミュージアムカルタのリニューアル
平成18年 3月 「暮らしの得手前楽習祭」
平成18年 7月 〜 「最上川学〜おらほの五百川峡谷〜 連続講座」
平成18年11月 「五百川峡谷シンポジウム」
平成19年10月 架橋70周年記念「旧明鏡橋 講演・思い出語り・周辺見学会」
平成20年5月〜 朝日町ふるさとミニ紀行の開催(13回、案内人の会)
平成20年10月 「最上川・五百川峡谷シンポジウム」(白鷹・朝日・大江)
平成21年 「〜朝日連峰初の山岳写真家〜故阿部幸作氏写真展」(3回)





 樹齢およそ700年とされる伊豆権現神社のご神木「種まき桜」が咲き始め、今年も地元有志らによりライトアップが始まりました。代表の長岡秀典氏は「境内には観賞用のベンチも設置した。歴史を感じる幹の迫力と美しい花の調和をゆっくりとながめて欲しい」と。ライトアップは、節電のため毎晩7時から9時までの2時間のみ行われています。
 4/26現在で三部咲きですが、咲き始めの濃いピンクがとても美しいです。

アクセスマップはこちら

エリア地区 / 大谷
見どころ・注意/
・菅原道真の太宰府左遷時に側室家族が移り住んだと伝わります。
・江戸幕府のご朱印寺社がたくさんある由緒ある歴史を持つ地区です。
・秋葉山山頂からの眺めは美しいです。
・睡蓮ため池の見頃は6月中頃〜7月はじめです。
・大谷地区は道が狭く小路も多いので迷いやすいのでご注意下さい。
・小さな寺社やため池は、分かりづらい場所も多いので、エコミュージアムガイドの利用をお薦めいたします。

(お願い)
 このサイトは、朝日町エコミュージアムがこれまで培ってきたデータを紹介することにより、郷土学習や観光により深く活用されることを目的に運営いたしております。
 よって、サイト内で紹介しているほとんどの見学地は、観光地として整備している場所ではありません。夏は草が茂り道がなくなる場所もあるかも知れません。もちろん冬は雪に閉ざされます。また、個人所有の神社や建物等も一部含まれております。アクセスマップも細道までは表示されません。
 予め御了承の上、見学の際は下記についてご留意下さるようお願い申し上げます。

・安全に留意し危険な場所には近づかないで下さい。
・マナーを守り、無断で個人敷地内に入らないで下さい。
・不明な場所につきましては、エコミュージアムルームへお問い合わせ下さい。または、エコミュージアムガイドをご利用下さい。
Tel0237-67-2128(月曜休)


 朝日町で最大のミズバショウ群生地です。
藤沢盛治さんのお話
杉山のミズバショウ
アクセスマップはこちら
※旧杉山分校跡より細道を南におよそ3km程登ります。道が狭いのでご注意下さい。途中、水田をはさんで分かれ道になりますがどちらからも行けます。



最上川舟運と五百川峡谷
                   横山昭男氏(山形大学名誉教授)

〈金比羅・象頭山信仰と舟運〉
 朝日町長寿クラブ連合会で調査し発行下さった『朝日町の石佛』によると、朝日町には象頭山・金比羅権現の石碑が全部で22基ある。江戸時代末期に作ったものが多い。香川県琴平郡にある金比羅権現は、舟乗りや舟乗りに関係する人たちやその家族が信仰していた。最上川を下って、日本海の西廻り航路を通って江戸に行くにも大阪に行くにもそこを通る重要な経過点なので、安全航海するためや家内安全も含めて信仰していた。舟の仕事をする人がだんだん増えた証拠といえる。

〈最上川舟運の展開と特色〉 
 舟運が急速に発展したのは、江戸時代に全国が幕府により統一され、税金を重たい米で納めるようになってから。便利な川舟や海舟がどんどん使われるようになった。
 最上川舟運開発の大きな出来事は、最上義光による碁天、三河の瀬、隼(村山市)の三難所開削。ここを砕く事により、山形から酒田まで通れるようになった。
 数十年後の寛文年間には、河村瑞賢が西廻り航路を開発した。これが大きな出来事になったのは、起点が最上川河口の酒田だったから。それは、最上川流域に二十万石近い幕府の領地ができ、税金としての米を幕府まで運ばなければならなかったため。海のルートも最上川のルートもしっかりしたものが必要だった。

〈元禄時代の最上川舟運とその後〉
 元禄時代に、最上川舟運に米沢藩の参画があった。寛文年間まで、米沢藩は置賜地方と福島に30万石を持っていた。しかし、寛文四年に15万石に減らされ、今の福島県分がなくなってしまった。これにより、それまで江戸に米を出す場合は、福島へ陸送して阿武隈川から東廻り航路で運んでいたのを、最上川を通すようにしなければならなくなった。通るようにしたのが有名な西村久佐衛門の開削だった。西村は米沢藩の御用商人。自らも多額な投資をして五百川峡谷を開削した。
 五百川峡谷にはおそらく、それまで作業用の舟や渡し舟はあっても、左沢まで一貫して通る舟はなかった。開削のおかげで常時川舟が通れるようになった。これは大きなこと。ここだけでなく、中流、下流まで通ったのだから、最上川全体にとっても大発展だった。この五百川峡谷開削は大革命だったと言える。
 最上川船請負差配役は、いろんな人が所有している川舟をうまく動かすために全体を統括する人のこと。享保年間からはじまり寛政年間の60〜70年位続いた。ただ、最終的にはかなりの困難をきたし、差配役だけには任せられなくなり、川船役所を作った。差配役と幕府の役人と両方で川船の統帥をやって乗り越えた。
 その頃、米沢藩では御手船(大名の船)を作った。上流は小鵜飼船だった。小鵜飼船は左沢からは下って行けない。左沢から下流の酒田まではひらた船(�、平田)だった。寛政4年の記録では、小鵜飼船は100俵積みが12艘、50俵積みが48艘。あわせて60艘位が左沢から上流、五百川峡谷とか白鷹、長井の方まで上り下りしていた。

〈五百川峡谷の舟運〉
 朝日町大舟木村の川船番所の管理は米沢藩だった。船数、怪しい荷物の取り締まり、規定以上の荷物の取り締まりなどをしていた。一石楢村(夏草)の大庄屋佐竹長右衛門家は、米沢藩の通船差配役をしていた。船子(水主)雇い、綱手道の管理、梁仕掛けの管理、破船の救出における人足割り当て、払い米の世話などの仕事をしていた。米沢藩の安全な通船を図る仕事をしていた。

お話 : 横山昭男氏(山形大学名誉教授)
平成18年(2006)最上川学

ガイドブック『五百川峡谷』
五百川峡谷の魅力
五百川峡谷エリア


 会が発足してまず取り組んだのは、種子の採取。町外から栽培に適した強い品種を取り寄せることも可能でしたが、「朝日町の在来品種をこつこつそだてていこう」というのが会の方針でした。
 自生のものは植物としてそう強いわけではなく繊細。手間暇がかかることを承知の上、能中の一本松公園に自生しているものから種子を採取し、平成9年秋に種まきを行いました。
 その後、順調に発芽・生育し迎えた平成13年秋、栽培地が手狭になったため、広い土地に移植することになりました。しかし、これが悲惨な結果を生むことに。
 移植場所が距離的に遠く、手入れが行き届かなかったことや土壌が合わなかったことなどが原因で数が激減。平成17年、やむなく当初の自生地である一本松公園に戻すことになりました。
 これまで、いろいろな失敗がありましたが、その都度、会の志である「ヒメサユリの町」らしくなるまで頑張らなくてはならないという「使命感」を思い出し、がんばってきました。これからも会として、一本松公園などへの定植を毎年継続していきますが、これまでの挫折から学んだ栽培技術を、多くの人に伝えていくことが今後の私たちの役割と思っています。
 毎年6月、家庭の庭先など、町内いたるところでヒメサユリが咲く風景…いつしかそんな日が訪れることを夢見ています。

お話 : 長岡嘉一郎さん
(大谷六 ヒメサユリ愛好会会長)
『広報あさひまち平成21年6月号』より抜粋

朝日町の花ヒメサユリ

「棚田で採れた玄米ば使って、朝日町のりんごのハチミツときな粉まぶして作ってみたんだ。」
お話 : 能中婦人会のみなさん
平成21年5月、一本松公園売店にて購入。とってもおいしかったです。