小野川温泉 吾妻荘
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滝の出口
享和元年、1801年 滝の出口に柵木をまわす。
とあり、つるや、松島や、扇屋善五郎と尼湯の間に
滝の出口とあり柵が巡らしてあります。 清水出口、
滝の出口いずれも月山、清水山の地下水が鬼面川
方向にゆっくりと流れて20〜30年かけて熟成された
温泉水と表層で混じり良い湯加減になって、温泉街の
盆地で沸いてでる様子がうかがわれます。
2006.10.18:
azumasou
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鈴木宗益
ホテル山川さんは、江戸期から山川や甚五郎を名のっています。
今と同じにその南隣にたきゆがあり、文字道理湯口が滝に
なっています。その上にはせや林右衛門があり、その隣が
医師 鈴木宗益として大きく屋敷を構えています。
寛政期、幕藩期の中後期、鷹山公は民の父母の理念のもとに
長崎から西洋医学を導入し、藩医、宿場医をおいて病人の
救済にあたりました。
米沢藩の好学の志がオランダ医学を藩に導入し、近隣藩からも
修業に訪れています。宗益は、越後寄宿 鈴木三郎兵ェの子息で
そうした蘭学の普及の流れに沿ったものでしょう。
2006.10.17:
azumasou
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町医師 宗益
鈴木元治は高橋玄勝 桂林に師事したとあり
高橋玄勝は、鷹山公がオランダ医学を導入した
初期、寛政年間に杉田玄白に学んだ藩医ですから
西洋医学の洗礼を受けたと思われます。
文政期(200年ぐらい前)の版画の湯の効能
を見ると頭痛、立ちくらみ、のぼせ、かっけ
がん病、くさ、中風、淋病等の病名が載っていますが
さほど時代の差を感じさせないのは、そうした理由
からでしょう。
2006.10.16:
azumasou
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御宿 五兵衛
安永2年、1773年 江戸中期に鷹山公は
五十騎組の小野川荒れ地開発の労をねぎらうために
御宿 五兵衛で休憩されています。字 開発という
地名が今の組合駐車場あたりに残っていますがその開発の
名残でしょう。
五兵衛とは、鶴屋旅館でこれが正式記録に残る小野川
温泉旅館名の初見です。
2006.10.12:
azumasou
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館山城 新田
これは、館山発電所のある中世の館山城あとです。
明治から150年、その前は、270年上杉幕藩期で
さらにその前中世400年のうち、前期が大江長井が
200年、その後200年は伊達が支配していました。
西暦1200年から始まる中世400年このあたりは
館山城主 新田(仁井田)の本領であったといわれています。
新田は、伊達について仙台に移り、徳川の先祖新田と同名なのを
はばかり、伊達の古名である中村を名のって
仙台藩の重臣として残りました。
2006.10.05:
azumasou
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小野川温泉の起源
伊達政宗が、館山城主 仁井田の饗応で小野川に
湯治した記録があり、中世後期に温泉宿が有ったのは
確実ですが、その起源は推測しかありませんが、
白布の東屋文書で佐藤荘司が温泉をひらいたという
記録から、飯坂温泉の湯の荘司 奥州藤原の佐藤元治の
庶流が米沢の温泉を支配した可能性が考えられます.
小野川も鶴、亀、高砂などの古い旅館は佐藤性で
古くから温泉の内湯をもっていた可能性が考えられます。
2006.10.04:
azumasou
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原方、千坂衆
江戸家老をつとめた、上杉の重臣に千坂氏
がおります。上杉幕藩初期、家臣が多かった為に
在の村に下級武士を農耕させましたがその一派に
千坂の家臣が簗沢村に開拓に入ったといわれており
赤芝、笹原あたりに士族身分がいるので
おそらく千坂の家臣の子孫でしょう。
2006.09.23:
azumasou
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医師 鈴木宗益のこと
上杉藩政期の中後期、小野川で医師を常駐
させてもらうように藩にお願いが出されています。
今の旭屋さんのあたりに鈴木宗益の名が見えますが
天保年間、清水山毘沙門堂が再建された施主の名の
一人に、鈴木宗益のながみえます。
2006.09.18:
azumasou
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天正17年の小野川
伊達政宗は天正17年3月27日、足の骨折
の後療法として小野川温泉に湯治していることが
貞山公治家記録にみえます。「28日。小野川
御旅亭において、新田義綱御膳を饗し奉らる。」
旅亭とあるところから、1590年には宿があった
事は確かで、新田(新井田)氏が饗膳したのは
小野川が領地だったためかと注釈がついています。
戦国期 新田の馬上に小野川治部の名が見え、
新田が伊達期に小野川を何らかの形で支配していたのは
確かです。
2006.09.07:
azumasou
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