小野川温泉 吾妻荘

小野川温泉 吾妻荘
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 この石碑は、大正10年に建てられたものです。
 碑文を読むと明治34年から20数年、参道の石段を
 上って奥まった所に仮のお堂が建てられていたようです。
 大正9年8月8日再建され、冠句が奉納されています。
 

  御堂を建て 霧の湯端に 彩光る
                                             
 
 御堂をたてという句がたくさん並んでいますが
 喜びが伝わってくるようです。
  



 これは、明治36年の版画に載った湯の神様で、
 右端に尼湯、左上に薬師堂とみえ
 参道の階段を上って奥まったところに、
 34年に薬師堂が消失した後、仮のものが建てられ
 大正9年に現薬師堂が再建されたものと考えられます。
 枠外に載った下の絵がそれ以前のお堂の姿を伝えている
 ようです。
 享保15年湯端に開眼供養と金乗院再建史に載って
 いますから江戸中期に薬師如来が安置されたようです。




 明治34年、35年、小野川温泉は
 二度の大火にみまわています。今の薬師堂は 
 大正九年に再建されたものです。

 上杉の奥方様方の墓所がある林泉寺、上杉謙信公が
 幼少の頃 高田にあるこの寺で育ったという。どうりで
 謙信公の書は、心の高みを感じさせます。この門は、
 上杉鷹山公もくぐった家老の家の門です。




 ほぼ半世紀前の清水山公園の桜です。モノクロの写真で
 昔は、自分で現像したものです。下の写真は、子供が
 泣いています。写真を撮るために、父が姿をくらました
 ので泣いたものです。

  


  200号ぐらいある遠藤桑樹の知床の
  岬、ホテル山川さんの宴会場に飾って
  ある物ですが、海に白い色をぬって
  明るくしたのは、ご主人の注文だそうで
  人が書いた絵に注文つけた人はお宅だけだ
  といわれたそうです。

  米沢焼 鳴州窯 水野哲さんの作品で
  米沢藩成島焼の伝統を汲み、萩、唐津、
  上野などに学んだ経験をいかし米沢の
  焼き物の蘇生を願った作品。

  これは、山形の本間設計事務所の本間理恵さん
  の作品で、小町であり、下駄でもあり、温泉街路
  でもあるようなものです。

  切り餅を飾って、豊作を期待する
  行事が小正月に行われています。