小野川温泉 吾妻荘

小野川温泉 吾妻荘
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   尼湯は最も古い源泉のひとつであったらしく  
   明治期から尼の名称で、美人 小野の小町
   の伝承に結びついています.

温泉街中央、今の場所に尼湯が見えます.


  明治期にも石段を登って薬師如来が奉ってあった
  もので、温泉の効能に神を見た古人の信仰を表して
  います.

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  温泉街の中ごろに理髪どころの看板が見えます.
  建築請負の文字もみえますが元々、八木沢床屋さん
  のご先祖は新潟からきた大工さんで明治期は
  両方の看板を出していたものでしょう.


  薬師如来を奉って、温泉の効能に神をみた
  古人はこけしを奉納して子宝に感謝しました.
 右中に尼湯、 階段を上って、湯の神様.



   温泉街、中央.日本一熱い湯で知られる
  尼湯です.小町開湯で知られる小野川温泉
  の共同浴場の名らしく、尼湯(美人の湯)
  の名があります.



  この作品は、34才の時の「朝」と題された
  作品で、自分で作った台所を描いたものですが
  窓の外のばらの色を出すのに下に反対色を何度も
  塗って苦心したと述懐されています。
  25才で4年半からの苦しい従軍から帰って、郷里で
  結婚し、子供ができ、師につき 32才で三鷹に転居し
  画家としての出発点の希望の色をこのばら色に託したものです。
 

 


   7月18日(月)まで宮島詠士の書が展示されて
   います。常設展と企画展があり、米沢ゆかりの
   芸術家、作家、学者などの展示会が企画されています。


                          
                          

   これは、ネパールの古都で バドガオンの月
   と題された作品です。ヒマラヤを描く志を立てて
   最初にネパールを訪れたのが53才の時で、これは
   62才の時の作品ですから小学生の頃から絵を習い              始めましたから、
   実に息の長い作家です。下の写真はバドガオンの
   朝、昼、夕と詳細なスケッチですが、対象を捉えるのに
   このような詳細な印影の変化にこだわるのは法林が
   単眼であった事と無関係ではありません。

  
                                   
   


   この作品は、朴青葉と題された作品です。
   昭和21年、4年間の従軍から香港で投降し、
   帰って数年の郷里での作品の一つで白布温泉
   で朝、昼、晩とおなじ対象をスケッチして
   それをもとに完成した作品です。