ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ

「ぼくのニワトリは空を飛ぶ〜養鶏版〜」 
1983年の冬、最初に導入した160羽のニワトリたちが少しずつ玉子を産み始めたころ、ぼくは三日後に予定していた「玉子の試食説明会」のチラシを持って町に出て行った。
 それまでにずいぶんとチラシを作ってはまいてきたけれど、自分自身の為にまくのは初めての経験だ。
 行きつけの床屋さん宅前を会場として借り、周囲100軒ほどの住宅にチラシをまいて歩いた。妻は
「まだ160羽のニワトリしかいないし、100軒もまいたら注文に応じ切れなくなるんじゃないの?」とのんきなことを言っている。

 当日の朝、産みたての玉子をカゴいっぱいに入れ、皿、醤油、箸などをもって出かけていった。少し小雪が降っているが、問題はない。会場となる床屋さん前に舞台を作り、皿を並べ、玉子を割って展示した。さて何人来てくれるか。
 予定の時間となった。誰も来ない。三十分ほど待ってみても誰も来ない。床屋さんのご夫婦が心配して見に来てくれた。

「やっぱりなぁ。玉子の為にわざわざ家から出てくることはないかもなぁ。どれ、どれ・・」と言って玉子をひとつ食べて「『商(あきな)いは飽(あ)きない』と昔から言うんだから・・」などと慰みを言って帰っていった。
 結局、雪の上で一時間ほど待ったが、誰も来なかった。皿の上の玉子は半分凍っていた。

 玉子をそのままもって帰ったのを見た両親は
「やっぱりダメだったべぇ。値下げするんだあ。このままなら家中が玉子だらけになるぞお。」
 なにも儲けようと思って価格を決めているのではない。産卵率、生存率、経費などから割り出して決めているのであって、まだ一個も売れてないのに値下げしましたでは、笑い話にもならない。

 更に二日後、公民館から借りた拡声器を持って同じ場所に出かけていった。チラシなら読まなかったということはあるだろう。今度は拡声器でまわってみよう。そう考えてのことだった。ニワトリ達の産みだす玉子もどんどん多くなっていく。一日に100個以上産むようになっていた。このままでは本当に家の中が玉子だらけになってしまう。少しあせってきた。

「ただいまより、床屋さんの前にて、自然卵、『にしねの地玉子』の試食説明会をおこないまぁす。大地の上に放し飼い。お日さまを浴び、自然の草を腹いっぱい食べて大きくなったニワトリの玉子でぇす。どうかお出かけくださぁーい。」

 その時も、一人も来なかった。何でだべ?玉子に問題はない。このような玉子は求められてもいよう。その辺のことは呼びかけのチラシにきちんと書いている。拡声器の呼びかけでもはずしていない。だけど誰も来ないって、なんで?いよいよあせってきた。「たいがいの人は安売りのたまごで充分だと思っているんだよ。高い玉子なんて買ってくれんべか?」と心配していた両親の顔が浮かんだ。

 話を聞いてもらえなければ何も始まらない。来てくれなければこちらから出向こう。翌日からは、一戸一戸を訪問し、チラシを配りながら試食用の玉子を置いて歩いた。
「私のニワトリたちが産んだ玉子です。試しに食べてください。」
 十軒まわって一軒ほどが聞いてくれた。だけどほとんどは門前払い。押し売りか何かと間違えられることもあった。こんな家が続くと、気の小さなぼくのこと、チャイムのボタンを押すのも怖じ気付いてしまう。だけどやめるわけにはいかない。

 この各戸訪問は話を聞いてもらう唯一の方法で、後は数をあたるしかないのだが、反省点もあった。それは私がドアを開けた瞬間、話の聞き手が、ビックリしてしまい、うわの空になってしまうことだった。ちなみにぼくの身長は191cm、体重は当時95kgほど。ドアを開ける。聞き手はいつもの習慣どおり、訪問者の顔の辺りに視線を向ける。しかしそこには顔はない。あるのは大きな胸。あわてて視線を上に向ける。そこにはたまご、たまごとまくし立てる、ひきつった顔の男が・・・。訪問者の為に用意されていた容量はそれを見ただけで満ぱいとなり、ほとんど話など聞く余裕がなくなってしまっている様子。すぐにドアを閉めてしまうか、聞いてくれる場合でも目がうつろ。まったく話は上の空なのがよく分かった。

「それはあんたが緊張していたからでない?大きな身体と緊張した顔との組み合わせでは、知らない人がおよび腰になるのもムリないよ。」と妻がいった。なるほど、たしかにぼくは緊張していた。あせってもいた。

 次の日、一軒の玄関の前に立つ。深呼吸してチャイムを鳴らす。ドアが開く。家の人が顔をだす。一瞬、目線はぼくの胸、すぐに上に上がる。そこで待っているものは・・・。こぼれるような笑顔。昨夜、鏡の前で練習した顔面いっぱいの笑顔・・・。

このようにして一軒一軒訪問していくうちに、少しずつ購買者がうまれていったのだった。


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お忙しい年の瀬をお過ごしのことと存じますが、ちょこっと、ご注目ください。

新年の1月1日、私どものレインボープランの取り組みが放映されます。

NHK総合TV 午後7:20〜8:43
    NHKスペシャル『ふるさとからのメッセージ』

    司会  春風亭小朝 武内陶子アナウンサー
         ゲスト 内橋克人、加藤登紀子 大林宣彦 ほか

過日、NHKのディレクターがまいりまして
「閉塞している日本社会の中にあっても元気な地域がある。新年にそんな地域を紹介することで元気を出そうというメッセージにしたい。」
ということでした。

「いやいや○○さん、長井市は全国でも財政危機ワースト11番目にいる自治体ですよ。破綻寸前なんだ。」
「それは知っていますよ。でも、住民が元気だ。こんなまちは他にありません。番組の『おおとり』にと考えています。」
「えーっ、私たちの事業が?そんなもんですか?」

そんなことで取材となったのですが、もし、あなたがほろ酔い気分で、退屈な時間をお過ごしでしたら、どうぞ見てやってください。

どうでもいいことなのですが、わたくしめは出ていません。ハナミズ垂らしながら、寒さにふるえて農作業をしていました。 
   

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たいへんお待たせいたしました。ようやく「稲刈り」が終わりまして、今日から再開です。なんか、文章の書き方をすっかり忘れてしまったかのようです。気楽なニワトリの話は「ぼくの・・・」へ、それ以外の文章は「虹色の・・」へ。それぞれが重複している文もあるので、バックナンバーの文章も含めて、雪が降ったら休んで整理しなければと思っています。それではおのおの方、これから・・参りますぞ。

里にも何度か雪が降った。春まで消えない雪を指して「根雪」というが、いまやそれがいつ来てもおかしくはない時期に入っている。例年ならば、消えたり、降ったりを数回繰り返したうえで、ドカッとやってくるのだが、昨年は初雪がそれだった。「まだ大丈夫だよ。」とタカをくくっていた農家は大いにあわてた。でもあとのまつり。収穫すべきたくさんの越冬野菜が、雪の下でそのまま春を迎えることになった。

「農家は・・・」なんて、他の人のようなことをいっているけれど、この辺がぼくの限界でしょうか。お察しのように自分のことなのだけど。
 
何しろわが里は毎年2m弱の積雪を記録するところ。根雪はいつ?明日か、明後日か・・・、その時期がせまってくると、人びとは家や畑の周りを走り回るようになる。野菜の取り入れ、家や庭木の雪囲い、果樹の支柱たて・・もちろん雪の下で潰れてしまうようなものは外に放置することはできない。やるべきことはたくさんある。さすがに12月も半ばとなると、すっかり冬の準備を終えている農家がほとんどなのだが、横着なぼくは例年のように、まだ半分しかすんでいない。肝心の鶏舎の雪囲いがまだ終わっていないのだ。

「よしひで、早くしないと雪がくるぞぉ。あっちだこっちだと農作業をほっといて飛び回っているからこんなに仕事が遅くなってしまったんだ。世間に笑われるぞぉ。みっともなくてはずかしいごとぉ。外に出て行くのはやめて、はやくしんなねごてぇ。」
88歳と84歳の両親は嘆く。嘆かれるのは50代になったぼく。情けない話だが、毎年のことだ。

 冬の間、ニワトリ達は鶏舎の中ですごす。屋根があって、四面が金網で、新鮮な空気が通り抜けていく。春から秋にかけては快適だが冬はまったく事情が違う。雪囲いをしなかったら大変だ。金網を通して吹雪が容赦なく入り込み、一晩で中は真っ白になる。鶏舎の中で積雪10cmとなることもめずらしくはない。そうなると寒さと冷たさでニワトリ達は動けない。すみの方でひとかたまりとなってじっとしている。

 やがて雪が解けても床はどろどろ、田んぼのなかにいるような状態になってしまい住まいとしては最悪だ。玉子を産むどころではなくなってしまう。鶏舎のなかにぼくが入っていくと
「どうにかしてくれよなぁ。やってらんないよお!もっとしっかりしてくれよな。」
ニワトリからもそんな嘆きの声が聞こえてくるようでなさけない。

スコップを持ってきて丹念に鶏舎の雪をかたづけ、乾燥したモミガラを厚く敷き詰めることで何とか過ごしやすい環境をつくるのだが、ダメージは大きい。ニワトリとぼくとの「信頼関係」にもきっとひびが入っているはずだ。

鶏舎を金網の外から透明なビニールで囲い、板を打ち付け固定する。固定があまいと、吹雪がいっぺんにビニールをはがしてしまい、ビリビリと破いてしまう。吹雪の破壊力は大きい。
 
もっと早くからやればいいものを、いつもぎりぎりにならなければできない性分。毎年、雪降りのなかでの作業となる。ハナミズを垂らしながら、冷たさで手がかじかむのを耐えながら・・でも、ま、こんな作業も嫌いではないけどね。ヘッ。

 ピリピリするような寒さのなかで、かがんだり、伸びたり、釘を打ったり、ビニールをはったり、・・・していたら
「おい、腰を壊すなよ。」といいながら、幼なじみの正さんが手伝いにきてくれた。こりゃありがたい。あんたにはいつも助けられるなと礼をいいながら、ハナミズを垂らしながらの作業を続けたのだった。

 写真は手伝いに来てくれた正さんと雪囲いの様子。


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お待たせいたしております。
まだ稲刈り中なのです。もう5、6日はかかります。私は九州は佐賀県の山下惣一さんとともにアジア農民交流センターの代表であり、10月14日には毎日新聞から「国際交流賞」をいただいたことを記念して、早稲田奉仕園にて大切なシンポジュームがあり,私が基調的な話をする予定(とはいっても挨拶程度のものですが)でしたが、参加できる状態ではありません。どうしてこんなに遅れてしまったのでしょうか?それが問題です。実は私の住む長井市で11月に市長選挙があり・・・、このことはおいおいお話しすることもあるでしょう。ま、そういうことでブログの更新は出来ないで居ます。もうちびっとお待ち下さい。
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夏のあさの水田風景は美しい。
朝霧の日はことのほかロマンチックで,太陽が上るにしたがって、乳白色の中から少しずつ緑の水田が広がっていくさまは「神様」がいるのではないかと思えるほどだ。

 ようやくお盆が終わり、帰郷者やその子ども達で賑わった村はいつもの静けさを取り戻している。家々のおなご衆は勤めを果たした安堵感にホットしているところだろう。実際のところ、お盆が近付いてくると、家の内、外の大掃除や、障子の張替え、お客用のフトン干し、仏壇の飾りつけ、それに料理をどうする、お酒は大丈夫か・・・というたくさんの準備があり、とにかく気ぜわしい。

お盆が来たらきたで、客のもてなしにおおわらわだ。嬉しいやら、気を使うやら、疲れるやら・・・お盆が終われば、村の病院は高血圧が悪化したり、腰が伸びなくなったおなご衆でどっと混雑する・・・それはないか。いいや、あるかもしれんぞぉ。

女房の友人に、お盆に帰郷してきた義理の兄弟、姉妹に
「久しぶりでしょうから、ゆっくりと親子水入らずのお盆を過ごして」と夫の両親をおいてさっさと夫婦で旅行にいく人がいる。これはいい。これだと迎える長男夫婦にとっても無理がなく、お盆の来るのが楽しみだ。おれ達も来年はこれをやろうかな。でも、頑固な両親はそれをゆるさないだろうな。帰ってくる妹は気が強いから、あとで妻が一層つらくなるかしれないし・・・。そんなわけで先の友人の例を知ったのは今から10年ほど前のことなんだけど、まだ実現できていない。実家は何かと難しい。

 さてと、こちらのお盆は祭りの季節でもあり、この地方のお祭りには必ず「獅子」が出る。頭が獅子、胴体が大蛇、全長10メートルほどの胴の中には10名ほどの若者が入っていて神社の境内や街道をねり歩く。初めて見た人はその迫力に驚かされる。子どもなら泣き出すぐらいだ。その獅子にまつわるいわれが面白い。

 昔(こういう書き出しがいいね)、平安時代のころ、京の都から天皇の御世に従わない東北の豪族を平定しようと、源義家を大将としたたくさんの軍勢がやってきた。
 しかし、東北の人たちは互いに連合し、互角以上に戦い、京の軍勢を幾度も跳ね返した。このままでは負けてしまうと思った源義家は策をめぐらし、豪族の娘にラブレターを送る。
「あなたと結婚したい。そしてあなたのお父さんと都で一緒に暮らしたい。」と。

「都の人はウソが多いから、決して信じてはならない。」という父の教えを忘れ、いつしか義家の意のままに砦の弱点を教えてしまう。
「だまされた!」
でも、気がついた時にはすでに遅く、京の軍勢はどんどん攻め込んでくる。
「私のおろかさによって・・・」
多くの村人が殺されていくのを見ながら娘は朝日連峰の山深く、渓谷に身を投げて死んでいく。

 以来、その娘、卯の花姫は村の守り神となって、頭が獅子、胴体が大蛇の「獅子」をつかわし、今日まで村々の平安、豊作を守り続けているというわけだ。

 恋文を「戦術」にしたのかぁ。きっと源義家は女にもてた京の遊び人だったのだろうけど、田舎のオレなどは今の感覚でも「そこまでやるか」と思う。それに「都の人はウソが多いから決して信じてはいけない。」というくだりが面白い。1000年以上も前からこのような教えがあったのか。オレももう少し早くからこの教訓を知っていたら・・だからといってどうしたというわけではないが・・。

 お盆はおわった。村に静けさがもどった。盆を迎えた村の話と卯の花姫の物語とを一緒に思いながら・・・とうとつだけれど・・・みんな幸せになってほしいと思う。



              


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 ぼくは身体が大きい。ふざけて「もとプロレスラーです。」と自己紹介することもあったが、最近では少し太ってきたこともあって、「百姓になる前は相撲取りでした。」といっている。我ながら情けない。痩せなくてはと思う。けっして贅沢な食事をしている訳ではなく、畑の自家野菜中心の質素なものなのだが・・・。

一方、我が家のニワトリ達には太った奴はいない。みんなスラッとしたいい格好をしている。それは育て方に由来している。

大切なのは運動と食事だ。放し飼いなので、運動量は充分だ。問題は食事で、意外な印象を受けるかもしれないが、ニワトリたちに与えるエサは粗飼料だ。粗(末な)飼料(エサ)といえば聞こえが悪いけれど、満腹にはなるが必要以上の栄養をとらないように考えられているエサだ。例えばエサの中に約10%のノコクズを入れている。お腹がいっぱいにはなるが栄養はない。

他方、ゲージ(カゴ)に入れられている企業養鶏ではニワトリ達に濃厚飼料が与えられている。最も効率よく卵を産むように考えられたエサだ。文字通り、濃厚な高栄養、高カロリー。その結果、どんどん身体が大きくなり、性成熟が進み、生れてから150日ぐらいで5割産卵となる。産卵率は80%を越えるが、たった一年で身体はぼろぼろになってしまい、淘汰される。

粗飼料を与える我が家のニワトリは、運動しながらゆっくりと身体を作っていく。性成熟は遅く、5割産卵は180日以降になる。人間で言えば20歳を過ぎて、身体をしっかりと作ってから玉子を産むようにということだ。それから2年。平均産卵率は60%に届かないが、クスリに頼らずに、いつまでも元気でおいしい玉子を産み続けてくれる。

これは野菜や稲などの作物にもいえて、栄養たっぷりに育てられたものは、身体はでかいが病気に弱い。生きていくためにはクスリの助けが必要だ。見かけはともかく、中味は一人前の健康な作物とはいえない。

ぼくは191cm、105kg。大きすぎだ。ということは・・・一人前の健康な人間ではないということか。そういえば、性成熟も早かったような気もするし・・・。

やっぱりご飯を減らそう。そう思い、食事を途中で止めたら、88歳の母が声をかけてきた。

「なんだお前。ダイエットで痩せようとする百姓なんかいるもんか。たくさん喰え。そして思いっきり働け。百姓は働いてやせるもんだ。」

・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・だとさ。







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おもしろいねぇ。どうしてこうなのだろう。
遊び、愛情表現、ケンカ、散歩、虫を追いかける姿・・・ニワトリたちを見ているといつまでも飽きることがない。それに彼らの一つ一つの行動が人間社会に重ねることもできて、おもわず苦笑してしまうことが多いんだよなぁ。

例えば食事風景だけどね・・。ニワトリたちは三種類の食事をとっている。トーモロコシ、カキガラなどが入ったいつもの「定食」に、野菜くずや草の「サラダ」、それに「日替わりランチ」と呼んでいる学校給食の残りものだ。このランチ、当然のことながら種類が多く、ひじきの煮もの、煮魚、ポテトサラダ、かぼちゃの煮つけ、スパゲッティーなどさまざまだ。

 ニワトリたちは、このランチがことのほか楽しみらしく、トラックに積んで近付いていくと、それを察して、近くにいる者達だけでなく、遠くで遊んでいた者達も「キャッ、キャッ、キャッ」と大きな歓声をあげて駆け寄ってくるほどだ。 これをタライに小分けして部屋ごとに与えるわけだけど、それぞれの鶏舎の戸を開け、彼らの中にドスンと置くと、間髪入れず、すさまじい勢いで飛びついてくる。面白いのはここからだ。

 夢中でタライを突っつく群れの中から、なにかを口にくわえてサッと部屋の隅っこのほうに逃げ出すものが必ずいる。自分が見つけた「いいもの」を独りじめしようという魂胆のようだ。

「いるいる、こんな奴が、人間社会にも。」

ところが、これを横取りしようと追いかけていくものが、これまた必ず出てくる。

「うん、これもいるぞぉ。」

争奪戦の結果、たいていの場合、その「いいもの」は持ち出したニワトリの口には入らず、結局は追いかけていったニワトリか、さらにそのニワトリを追いかけた第三のニワトリに奪われてしまうのだ。

「これも同じだよなぁ。」

それでも最初のニワトリは、食事の間中、懲りずに同じことを繰り返しているからおもしろい。

実際のところタライの上には、同じものがたくさんあり、何も逃げ出さなければ食べられないものではないのに・・・。現にタライの前から動かずにもくもくと食べているニワトリもいるのだから。

「大局観が欠落しているというか、目先の欲に振り回されて、自分を見失っているというか・・・。結局ソンをするのはこういうものたちなんだよなぁ。」

 口にくわえて逃げ出すもの、あわててそれを追いかけるもの、動かず、ただもくもくとたべているもの。どちらがいいというのではない。いろんなニワトリがいていいのだ。社会というものはそういうものだし、だからおもしろいともいえるのだから。

あっ、そうそう、ここから何か教訓を引き出してやろうという訳ではないんだよ。ただおもしろいと・・。それだけなんだけれどね。

ニワトリたちは今日もにぎやかにそれをやっているよ。



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 「虹色の里から」では、少しずつ、バックナンバーを更新しています。
「ぼくのニワトリは空を飛ぶ」は、だいたい10日から2週間に一回のペースで更新していきます。下の話は「番外編」です。


 朝、まだ眼が覚めぬが眠っているともいえない「まどろみ」の時間に、夢とうつつが重なり合って、思わぬ方向に発想がふくらんでいくことがある。

 ある日、まだフトンの中でトロトロしている時、「20才の頃の私」と「桃太郎」と、それに「一寸ぼうし」がつながった。

 以下、その話を紹介するが、多少の飛躍や、突然の転換には眼をつぶっていただきたい。なにしろ、まどろみの世界でのことなのだから。

 20才の私はどういうわけか生き方を求めていた。自分らしい生き方をさがしていた。
 人生の岐路に立った時は、たいていの場合、自分がそれまでにたどってきた道を振り返り、どこかにヒントがないかを捜そうとする。当時の私に最も大きな影響を与えていたのは高校時代の三年間のはずだった。しかし、思い出すのは三角関数や英単語だけとはいわないが、頭の中をさぐっても、出てくるのは生き方とはあまり関係のない、あれやこれやの雑多な(と思える)知識がほとんどだった。

 そこでようやく私は、「いかに生きるか」を全く考えることなく20才になってきたという、それまでの人生の浅薄さに気付いた。
    
 やがて、どうも、その浅薄さは私だけのものではなく、おそらく程度の差こそあれ、同時代人にかなり共通しているもの、あるいは大部分の日本人にさえ言えることなのではないかと思うに至った。

 何故かといえば、その根っこは、だれもが幼児の頃からくり返しくり返し聞かされてきた「桃太郎」と「一寸ぼうし」の中にあるのではないかと思ったからだ。

 まずは「桃太郎」。最大の問題は話の終わりかたにある。荷車いっぱいの戦利品、お宝を満載して桃太郎は村に帰ってくる。桃太郎は「お金持ち」となった。そして・・。話はそれで終わりだ。手に入れたお金で川に橋を架けたり、学校を造ったり・・・そんな話はまったくない。

 「一寸ぼうし」。彼も鬼退治をして、助けたお姫様と結婚し、やがて「エライお役人様」となった。そして・・、この話もそれから先がない。話はそれで終わっている。

 手に入れたお金を使って何をしたのか、あるいは「エライお役人様」になって何をしたのかは全く語られてない。つまり、何かお金を得ること、あるいはエライお役人になることが目的であるかのように描かれているのだ。    こんなお話を、小さい時から、くり返し聞かされてきた結果、「お金」や「出世」が人生の目的であり、その成否もそこにある、と考えるようになってしまったとしてもおかしくはあるまい。

 私の感じた「浅薄さ」と桃太郎たちをつなぐものは「生き方」、哲学の不在である。

 まどろみながら、論理の飛躍を楽しみつつたどりついた結論は次のようなことだった。

 私達は、「桃太郎」と「一寸ぼうし」に変わる「新しい童話」を子どもたちに語り聞かせなければならない。それは俺たち自身の物語だ。あっちでぶつかり、こっちで泣いた、けっしてカッコイイ話じゃないけれど、自分がたどってきた中から得た「生き方」を子どもたちに。

 これが、まどろみの中の結論だった。どうだろうか、ご同輩。


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お久しぶりです。

さて、インターネット上の毎日新聞に「ぼくのニワトリは空を飛ぶ」と題する駄文を書き、26回目からは「個人的なメールマガジンにおいて・・」と宣言したのが昨年の12月、今はもう4月下旬だからもう半年のご無沙汰だ。

 締め切りがないというのはとても自由だけど、ぼくのようにグウタラな人間にはマイナスにしか作用しない。まったくダメ。書けません。それに「メールマガジンにおいて」とは言ったけれど、肝心のその世界のことをほとんど知らなかった。

じゃ、宣言しなければいいじゃないかともお思いでしょうが、ま、最初に広く宣言し、逃げられないようにしてから事に向かうというのは、禁煙の時も同じで、ぼくのやり方。方法としては手慣れたものだ。あとはグウタラを我が家系の遺伝子のせいにして機会を待てばいいというわけだった。

 そして機会はやってきた。筆不精のぼくの背中をドンと押してくれたのは、友人からのメールだ。そこにはびっくりするような話があった。これは書かないわけにはいかないぞと。ぐうたら人間をやる気にさせたメールとはどんなものか。少し長いが引用する。

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菅野 芳秀様

 すばらしいシフォンケーキが出来て,初めて家族にほめられました。本当に素
晴らしい卵力です。ありがとう。

白身を泡立ててレンゲを作ったのですが,泡立ちのしっかりさ,泡の艶色,いき
いきとした感じがいままでの卵とちがう。

オーブンで焼いてみてさらに違いが分かりました。ふくらみの高さが焼き型の煙
突のところまで膨らんでいるのです。これは初めての経験でした。食べてみるとなめらか,しっとり,ふわふわ。

焼いた翌日はどうしてもやや堅くなるのですがそれがあまり感じられません。

そしてもうひとつ決定的な素晴らしいことー焼いたときの香りのすばらしさです。

今まで「平飼卵」というのを使っていたのですが,焼き上がった直後、オーブンを開けると魚滓の油の酸化した臭いがしてせっかくのリキュールやラム酒のにおいが消えてしまい,それが気になってしかたがありませんでした。それがすべて解消したのですから驚きです。

もっと,価値高く売れる卵だと思います。「NPO虹の駅」で、この卵でシフォンケーキを作って売って名物にしてはいかがですか?

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びっくりしたよねぇ。写真の左がぼくの自然養鶏の玉子で作ったシフォンケーキだ。右が生協の平飼い養鶏のたまごで作ったもの。比較のために条件は全く同じにしたという。でもこの差はなんなんだ。友人は農芸化学の専門家で、もと農水省の技官。「たんぱく質の組成の違いが原因だとは思うけれど、調べてみなくちゃね。」と言ってくれた。

 ぼくはその違いを少しロマンチックに考えたい。いのちを持ち、暖めればヒヨコになる玉子と、いのちを持たず、暖めれば腐ってしまうたまごとの違い。持っている生命力、含まれているいのちのパワーの違いだろうと。

いのちはいのちをいただくことでふくらんでいく。いのちは、いのちに加わってもらうこと、参加していただくことで強くなっていく。「食べる」ということはそういう事だ。参加する「いのちの質」(嫌な言葉だけど)によって生命力が決まっていく。

 たまごの外見は同じだ。区別がつかない。だけど、その違いは歴然としている。これは生協の「平飼い養鶏のたまご」との比較だが、ゲージ飼い養鶏との比較ならどんな結果が出ただろうか。

本物の食べ物、生命力あふれる食べ物をしっかりと食べたいものだ。


自然養鶏を始めて25年。いのちを育む百姓として、人間として(わっ、はずかしい!)いい玉子を作りたいと思い続けてきたが、なんだかその努力が報われたようでうれしかった。


P・S ★ 自然養鶏の玉子を食べてみたい方はご連絡ください。当然のことながら数にかぎりがありますので、お受けできないこともありますが、その時は不運と思い、あきらめて下さい。

     
            

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