ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ

春になった。

春になると米作農家は種モミの準備にはいる。まず始めは塩水に浸して、沈むモミと浮き上がるモミを選別する「塩水選」。私たちの地方ではこの作業を「しおどり」と呼んでいる。実の充実した種を選ぶ大切な作業だ。

その後引き続いて、種モミの消毒をおこなう。種モミに付着しているいもち病、バカ苗病などの、もろもろの病原体を取り除くためだ。私はこれを「温湯法」でおこなっている。

「温湯法」とは60度のお湯に種モミを5分間浸け込み、その後冷水で冷やすという方法だ。それまでの私は農薬を使ってこの消毒をおこなっていた。でも、ある出来事をきっかけに今の方法に変えた。15年ほど前のことだ。

「チョット来てみてくれ。大変なことになった。池の鯉がみんな死んでしまったよ。」緊張した表情で訪ねてきたのは近所で同じ米づくりをしている優さんだった。急いで行ってみると池の鯉がすべて白い腹を上にして浮いていた。その数、およそ60匹。上流から種モミ消毒の廃液が流されてきたらしい。川の流れは細く、水に薄められることなく池にはいってきたのだろうと優さんはいっていた。

種モミは農薬のはいった水に浸けられ、殺菌処理されるが、問題はその後の廃液の処理だ。河川に流せば水生生物に被害をあたえる。下流では飲み水として活用する地域もある。流せない。

農協は、河川に流さず、畑に穴を掘り、そこに捨てるようにと呼びかけていた。でも、畑に捨てたとしても土が汚染するだろうし、地下水だって汚れないともかぎらない。どうしようか。種モミの殺菌効果は完璧だが、毎年おとずれる廃液処理に頭を悩ましていた。

そんな中でであったのが「温湯法」である。これを教えてくれたのは、高畠町で有機農業に取り組む友人。この方法はきわめて簡単で、しかも、単なるお湯なのだから環境は汚さないし、薬代もいらない。モミの匂いを気にしなければ使用後、お風呂にだってなってしまう。なんともいいことずくめの方法なのだ。

 へぇー、こんな方法があったんだぁ。始めて知ったときは驚いた。環境にいいし、第一お金がかからない。

 幾年か経験を重ねた後、近所の農家に進めてまわったが、我が集落で同調する農家はごく少数。15年間増えてはいない。どうも私には技術的な信用がないらしいとあきらめていたのだが、この間、農業改良普及センターにいったら、うれしいニュースにであえた。

 「庄内地方に「温湯法」が増加。今年は1,500〜2,000haの見込み」。
いらっしゃったのですねぇ。ねばり強く普及に取り組んでいた方々が。
単純に計算すれば、県内でおよそ400万リットルの廃液ができる見込みだ。

 やっぱり俺もあきらめずにPRしなくちゃ。








 下の文章は、このブログに「種もみの消毒」として一度掲載したものです。
「温湯法」は増えていますが、まだまだ薬剤が幅をきかせており
問題は深刻です。ぜひ、ご一読ください。


春になった。

春になると米作農家は種モミの準備にはいる。まず始めは塩水に浸して、沈むモミと浮き上がるモミを選別する「塩水選」。私たちの地方ではこの作業を「しおどり」と呼んでいる。実の充実した種を選ぶ大切な作業だ。

その後引き続いて、種モミの消毒をおこなう。種モミに付着しているいもち病、バカ苗病などの、もろもろの病原体を取り除くためだ。私はこれを「温湯法」でおこなっている。

「温湯法」とは60度のお湯に種モミを5分間浸け込み、その後冷水で冷やすという方法だ。それまでの私は農薬を使ってこの消毒をおこなっていた。でも、ある出来事をきっかけに今の方法に変えた。15年ほど前のことだ。

「チョット来てみてくれ。大変なことになった。池の鯉がみんな死んでしまったよ。」緊張した表情で訪ねてきたのは近所で同じ米づくりをしている優さんだった。急いで行ってみると池の鯉がすべて白い腹を上にして浮いていた。その数、およそ60匹。上流から種モミ消毒の廃液が流されてきたらしい。川の流れは細く、水に薄められることなく池にはいってきたのだろうと優さんはいっていた。

種モミは農薬のはいった水に浸けられ、殺菌処理されるが、問題はその後の廃液の処理だ。河川に流せば水生生物に被害をあたえる。下流では飲み水として活用する地域もある。流せない。

農協は、河川に流さず、畑に穴を掘り、そこに捨てるようにと呼びかけていた。でも、畑に捨てたとしても土が汚染するだろうし、地下水だって汚れないともかぎらない。どうしようか。種モミの殺菌効果は完璧だが、毎年おとずれる廃液処理に頭を悩ましていた。

そんな中でであったのが「温湯法」である。これを教えてくれたのは、高畠町で有機農業に取り組む友人。この方法はきわめて簡単で、しかも、単なるお湯なのだから環境は汚さないし、薬代もいらない。モミの匂いを気にしなければ使用後、お風呂にだってなってしまう。なんともいいことずくめの方法なのだ。

 へぇー、こんな方法があったんだぁ。始めて知ったときは驚いた。環境にいいし、第一お金がかからない。

 幾年か経験を重ねた後、近所の農家に進めてまわったが、我が集落で同調する農家はごく少数。15年間増えてはいない。どうも私には技術的な信用がないらしいとあきらめていたのだが、この間、農業改良普及センターにいったら、うれしいニュースにであえた。

 「庄内地方に「温湯法」が増加。今年は1,500〜2,000haの見込み」。
いらっしゃったのですねぇ。ねばり強く普及に取り組んでいた方々が。
単純に計算すれば、県内でおよそ400万リットルの廃液ができる見込みだ。

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今日は孫たちの手を借りて種モミの種子消毒を行った。FBに書いた温湯法。60度の温度に浸け、間髪入れず、即冷水で冷やす。そこまで10分。わが家では毎年、家族ぐるみの作業。新6年生、4年生、1年生だけど充分に戦力になっている。その後に芽だし、播種と続き5月の20日ごろが田植えの予定だ。
 左上の花は「梅」。ようやく花をつけだした。7月には我が家特製の「梅酒」となる予定。これがまた美味い!おいでいただければご馳走致します。
 まだ間に合います。「もし、あなたが稲作農家の友人でしたら、ぜひ、この文章を最後までお読みください。そしてお届けください。」
こんな書き出しで始めた「コメの種子消毒」とその廃液についての一文を覚えておいででしょうか?春、全国の河川に大量に廃棄される、魚毒性が極めて高い廃液。今年もこれから始まります。農家、生協関係者など、おられたならぜひ下の文章を転送してください。今ならばまだ間に合います。1年前と同じ文章の再送です。
以下
 
 春。なんといっても我が家は米の生産農家だ。雪解けと同時に気持ちは高ぶり、田んぼに向かう。
作業の手始めは種籾の消毒作業だ。種籾に付着している「いもち病」、「バカ苗病」などの雑菌を退治する重要な仕事で、この作業をおろそかにすれば、苗の生育にダメージを与えるだけでなく、秋の収量にも大きく影響する。このため、多くの農家は完璧を求めて農薬を使っているが、我が家では30年ほど前からそれをやめ、薬によらない方法でおこなっている。
 それは「温湯法」と呼ばれている方法で、モミを60℃の温度に10分間浸すだけの簡単な方法だ。60℃という温度は生玉子が白く固まり、ゆで卵に変質していく温度。種にとっても危険な温度なのだが、漬け込む時間を守りさえすれば、ほとんど農薬使用と同じぐらいの効果を上げることができる。更にこの方が農薬代はかからないし、使用後の廃液に頭を悩ますことも環境を汚すこともない。私がこの方法に改めたのはある事件がきっかけになっている。その事件とはこんなことだ。
「チョット来てみてくれ。大変なことになった。」緊張した表情で我が家を訪ねてきたのは近所で同じ米づくりをしている優さんだった。急いで行ってみると優さんの池の鯉がすべて白い腹を上にして浮いていた。その数、およそ60匹。上流から種モミ消毒の廃液が流れてきて我が家の池に入ったに違いないと優さんはいっていた。こんなことになるとは・・それらの鯉は優さんが長年かけて育てて来た自慢の鯉だった。
 農薬の袋には、魚に対する毒性があるので使用後の廃液は「適正に処理するように」と書かれている。農協も、河川に直に流さず、畑に穴を掘り、そこに浸透させるようにと呼びかけていた。でも、畑に捨てたら土が汚染し、浸透させれば地下水だって汚れかねない。また浸透させたつもりでも雨が降って、再び表面水となり流れ出すことだって充分考えられる。たいがいの農家は廃液を自分の農地の下流に捨てていた。一軒の農家の下流はもう一軒の農家の上流にあたる。そんな数珠つながりが上流から下流まで続いていた。更にひどいことに下流では飲み水にも利用している。そのため、廃液をどうするか。種モミの殺菌効果は完璧だが、毎年おとずれるその処理に頭を悩ましていた。そんな中での優さんの事件だった。
 
 そこでであったのが「温湯法」である。この方法を教えてくれたのは、高畠町で有機農業に取り組む友人。方法はきわめて簡単で、しかも、単なるお湯なのだから環境は汚さないし、薬代もいらない。モミの匂いを気にしなければ使用後、お風呂にだってなってしまう。なんともいいことずくめの方法なのだ。
 へぇー、こんな方法があったんだぁ。始めて知ったときは驚いた。いつのころから行われていたのか詳しくは分からないが、あっという間に広がっていくだろうと思っていた。もちろん私も近所の農家に進めてまわったのだけれど、我が集落で同調する農家はごく少数。どうも私には技術的な信用がないらしいとしばらくの間、あきらめていたのだが、先日、農業改良普及センター経由で山形県のうれしいニュースにであえた。
 山形県では「温湯法」で種子消毒をする面積はずいぶん増えて、全水田面積の28%に及ぶと言う(平成29年)。少しずづ増えてはいると思っていたのだが、これほどまでとはおもわなかった。いらっしゃったのですねぇ。ねばり強く環境を壊さない農法の普及に取り組んでいた方々が。久しぶりにいい気持にさせていただきました。俺もあきらめずにがんばるべえ!そんな気持ちになりましたよ。
 まだまだ毒性をもった膨大な量の廃液が日本の河川から海へと流れて行っている。どうぞ皆さん!お取引のある農家があれば、くれぐれも農薬に寄らない「温湯法」を進めてください。必ずお近くに「温湯法」の農家がいるはずですから。今年はまだ間に合います。
珍しいぐらいの晴天続きで、何よりも苗の成長が早い。
そのため例年以上に仕事に追われている。さらに我が家では有機肥料の散布を行っているため、まわりの農家に追いついていくのが大変だ。
えっ、苗の成長に合わせるのはともかくとして、なぜまわりの農家に追いつく必要がある?自分のペースでできないのか?と思われるでしょう。はい、できません。

問題は水。村の水田は傾斜地にあり、田んぼに水をあげれば、どうしても下の田んぼに浸透して行く。耕耘は水のない中で行うのがよく、そのため、農家は隣接する下の田んぼの耕耘が終わるのを待ってから自分の田んぼに水をあげる。お互い様なのだけれど、だからといっていつまでも待たせるわけにはいかない。で、まわりの農家の作業状況を見ながら、それに合わせて自分の田んぼの作業をすすめて行かなければならなくなる。

作物の生育状況とまわりの農家の農作業、それらに合わせながら田植えまでの忙しい日々が続く。
http://www.christiantoday.co.jp/…/shukyosha-shinjya-zenkoku…

このように呼びかける宗教者がいる。
「日本会議」の構成団体なっている宗教者(団体)もいる。
決して無関心であってはならない。いま、だれもが当事者だ。未来の日本に責任を負わなければならない。
 秋から冬に向かう今の季節は、壮大な「いのち」の交替期だ。
森の木々はすっかり葉を落とし、草ぐさは朽ちようとしている。

自然界全体で見れば、一つの生命の終りは、もう一つのいのちの始まり。

 やがて、それぞれが土に戻り、養分となって新しい「いのち」に役立てられていく。新しい生命に参加していく。加わっていく。いのちのめぐり、いのちの交替期。土はその舞台。

 朝日連峰のすそ野、雑木林に分け入る。
モクモクとしたやわらかい落ち葉の床。土の感触が伝わってくる。
あたりを包んでいる甘酸っぱい香り。草や葉、たくさんの生物達が土に戻ろうとして放つ醗酵の香りだ。

それらが私を柔らかく包みこむ。呼応する身体とこころ。ゆったりとした、しみじみとした感動が湧いてくる。

秋から冬、それはとても哲学的な季節だ。

(バックナンバー「シーッ静かにしよう」にも同じ世界があります。)
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秋の空は変わりやすい。

裏日本の気候は特にそうだ。午前中は晴れていたと思ったら、午後には曇りとなり雨が落ちてくる。
困るのは外に干している洗濯物や布団。へたすると間に合わずに雨にあててしまうことになる。秋に入ればこんなことはいつものことだ。

さて、昔からこのように移ろいやすい秋の天気を、これまた変わりやすい男心にたとえ「男心と秋の空」といってきた。近年『女心と秋の空』などと言われたりもするが、たとえの始まりは「男心」の方がであって、「女心」ではない。開いたことはないが、広辞苑などにもそのように掲載されているらしい。

ちょっと前になるけれど、我が家に東京から男4名、女4名の8人の友人が訪ねて来たことがあった。それぞれが社会運動に何らかの形でかかわっている人たちだ。全員理屈はたつ。
秋の空はそもそも「男心」か「女心」か・・・このことをめぐって議論になった。「男心」と言ったのは俺一人で、あとは全員「女心」。シャンソンから、あるいは東西の詩から・・、あれやこれやと「女心」であることの理屈を並べる。頭でっかちの世間知らずが!!
男と女ではことにあたっての腹のすえ方が違うんだよ。ちょこっと世の中を見渡してみても、女のほうが「決意」を育てながら人生を送っていることが分かる。どんなに屁理屈を並べようと移ろいやすいのは「男心」であることに変わりはないべ。

「そうか、それじゃお酒一升を賭けよう。負けたほうが勝ったほうにお酒を一本送るんだ。」

一対八の勝負。みんなで調べてみた。その結果は・・・やっぱり俺の勝ち。「男心」だった。ざまぁ見ろ。いっぱいの理屈をこねたあとだけに、彼らの落ち込みは大きかった。源氏の若旦那の例を持ち出すまでもなく、男なんて・・・なっ。まぁ、彼らにはいい薬になっただろう。八人全員が俺にお酒を送ることを約束して帰っていった。

後日、お酒が届いたのは女からだった。女の全員がそれぞれにお酒を送ってくれた。でもな、男からは一本も・・一人も送って来なかったよ。
やっぱりな・・・、ここでもまた証明された。ほんに移ろいやすいは「男心」だ。どうしようもないね。

 社会運動でも政治運動でも、俺はもう女しか信じないな。男はだめだ!


 (写真は我が家の後ろにそびえる朝日連峰。11月の初雪。半分が紅葉初期、半分が雪だ。よく見られる秋の光景。写真はダブルクリックで拡大します)


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 何年ぐらい前になろうか・・・僕がまだ洟垂れ小僧だったころのことを思い出す。

 当時はどの家でも、家の中の囲炉裏やかまどで火を炊いてご飯を作っていた。その煙が家々の屋根から立ち上っていく。だから夕方になると村はうっすらと煙でおおわれていた。

 男の子は坊主頭、女の子はおかっぱ。子ども達は風邪をひいているわけではないのに一様に洟を垂らしていた。それも透明なものではなく、白っぽいものだった。その洟をこするため、上着の袖はピカピカに光っていて、遊びのズボンには例外なく膝やお尻にツギがあてられていた。そんな子ども達が村のあちらこちらで歓声をあげながら走りまわっていた。

 村の中にはヤギやニワトリ、牛や馬が飼われていて、夕方になるとエサをねだる鳴き声が聞こえてくる。犬は放し飼いで、自由に歩き回り、恋をしたり、ケンかをしたり・・・、ストレスの少ない犬自身の人生を楽しんでいた。

 そういえばあのころは酔っぱらった村人がよくもたれ合いながら歩いていたっけ。どこかの家で酒をご馳走になり、「今度はだれそれの家に行くべぇ。」「いやいや、おらえさ行くべぇ。」と一升瓶をぶら下げながらふらふらと。村の中のあっちの家、こっちの家、飲みに行くところはたくさんあったのだろう。我が家にもしょっちゅう酒飲みが来ていた。

 こんな光景も思い浮かぶ。ばぁちゃん達の立ち小便。腰巻を前後に広げて、畑の方にお尻を突き出し、両足を広げて「シャーッ」と。小便をしながら道行く人たちと立ち話をしていた。「いまからどこさ行くのや。」「うん、買い物に。お前もえがねがぁ。」「うん、えぐ。」なんてな。そんな光景になんの違和感もなかった。ごく当たり前のことだった。

 お金のかからない、自給自足のくらしだった。モノはないけれど、のどかでのんびりとした時間が流れていた。貧しかったのだろうが、子どもも大人もどこかで将来に「希望」をもっていた。

 それからずいぶんと時が流れた。イガグリ頭やおかっぱの子ども達、洟を垂らして外で歓声をあげて遊ぶ子ども達はいなくなった。ヤギもニワトリも、牛も馬も消えてしまった。村を歩く酔っ払いも、立ち小便のばぁちゃんもいない。

 そしてただむやみに忙しい。子ども達から大人まで、あわただしく暮らしている。村人どうしの関係もずいぶんと希薄になった。大人達の口から希望を語る言葉は聞かれない。モノはたくさんあるけれど、みんな・・・あんまり幸せそうではない。

 おーい!もどってこいよぉー!ヤギもニワトリも、牛も馬も、イガグリ頭やおかっぱの少年少女も・・・酔っ払いも、立ち小便のばぁちゃんもみんな戻ってこい。もう一度やり直さないかぁー!

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暑い、暑いと思っていても確実に秋は始まり、成長している。
お盆のお墓参りの日に見たのだが、わが家の裏の栗の木の「イガ」が大きくなっていた。
庭のリンゴも大きくなっている。田んぼでは緑が黄緑に変わろうとしている。
朝、タオルケットだけでは寒いと思う様になって来た。
夜、鈴虫やコオロギたちの鳴き声がにぎやかになって来た。
色んな事があった暑い夏だけど、でも大丈夫だ。
それにつけてもオリンピック。
予定通り強行していたら選手、観客問わず、倒れる人が続出していたに違いない。

急に秋らしくなってきました。
朝晩は涼しく、タオルケットだけでは寒さを感じるようになっています。
田んぼの色も少しづつ黄色みがかってきました。
夜のしじまにコオロギや鈴虫などの鳴き声が聞こえています。

季節は巡っていくのですねぇ。

 ありがたい。
昨日の午後、息子のフエンス作りがようやく完成し、ニワトリたちの一群がはじめて外に出る。
うれしいんだねぇ。喜びを全身であらわしているよ。それはそうだね。鶏舎の中は10坪の世界。やっぱり狭い。お日様の下で、駆けたり、草を食ったり、土を突っついたりとさまざまだが、一様に喜んでいるのが良く分かる。見ていて退屈しないね。
ようやくはじまった春。まだ草は十分ではないがやっぱり緑にニワトリはよく似合う。これからずっと、外遊びができるぞ。彼らにとってもうれしい日々が続く。

 昨日、ビニールハウスに行き、苗床にかけていた育成用の被覆シートをはいでみたら、稲の苗がようやく1.5cmほどになっていた。全体的に寒さの影響を受け、生育が遅い。今日から、息子は鶏糞散布の準備に入る。オレは苗への散水作業の後、玉子の配達と集金だ。春はあわただしい。

写真をダブルクリックしてみてください。ニワトリたちの喜びようが
 伝わってくるようです。



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