ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ

前にも書いたが、寺山修司の脚本の中にこんな一節があった。ちょっと長いが引用する。
「中学校の頃、公園で トカゲの子を拾ってきたことがあった。コカコーラの瓶に入れて育てていたら、だんだん 大きくなって出られなくなっちまった。コカコーラの瓶の中のトカゲ!コカコーラの瓶 の中のトカゲ!おまえにゃ、瓶を割って出てくる力なんてあるまい、そうだろう、日本。(後 略)」
 コカコーラの瓶はアメリカ、トカゲは日本。その一節はやがて有名な「身を捨て るに値すべきか、祖国よ。」と続くのだが、最近とみにそれらの言葉が骨身に染みる。

 1949年生まれの俺は、植民地日本の中に生を受け、植民地日本の中で生を閉じるだろうな。このままならば間違いなくそうなっていく。切ないねぇ。

「杉作、日本の夜明けは近いぞ。」
これは幕末の京都を背景に奮闘した、大仏次郎原作「鞍馬天狗」のキメ台詞だが、鞍馬天狗よ!それから160年経っても「日本の夜明け」は遠いぞ。悔しいが更に遠くなっていく感じだ。団塊の世代の仲間たち!もう一度かつての「こころざし」を・・・。
 え?おれ?俺は君の後ろからついていくよ。

昨日、コンバインの整備代金の見積もりと、新しい機械を紹介するカタログをもって農業機械屋の村さんがやって来た。見たらコンバインの整備代金が90万円。勧められた新しいコンバインがなんと500万円。コンバインとは田んぼの中を走る稲刈り機械のこと。前に刃がついていて茎ごと刈り取り、瞬時に脱穀し、モミはタンクに、茎を小さく切断して田んぼにバラまいていく、そんな機械だ。足回りはキャタピラーでできている。

「エーッそんなの無理だ!毎年、絶望的に安い米代金が続いているのに、そんなお金があるわけがない。」と思わず叫んでいた。
昨年の秋は雨続き。稲刈りには最悪の環境だった。田んぼがぬかるんでコンバインが動けない。足回りはキャタピラーだからぬかるみには強いのだが、それでも田んぼのあっちこっちで立ち往生している姿を見かけた。機械が壊れたとの話も聞いた。我が家でも故障をおこし、田んぼまで何度か村さんに来てもらっていた。なにせ、3条刈りのコンバインを中古で手に入れたのが10年ほど前。以来、丁寧に使ってきたとはいえそろそろ故障が出てもおかしくない頃だ。今年は何とか稲刈りを終えたが、きっと機械には多くの不具合ができているだろう。そこで来年に備えて機械屋に点検と整備した場合の見積もりを頼んでいた。あえて修理ではなく、見積もりとしたのにはわけがある。安くおさまればいいが、もしも高い修理代となった場合、この機械は高額の修理に値しないのかもしれない、すでに寿命が来ているのかもしれないとの考えがあったからだ。

 コンバインの一日の稼働時間はせいぜい6時間。モミ乾燥機の容量もあり、それを面積に置き換えれば40a(100m×40m)。年間稼働日数は我が家の場合、11日間で足りる。実際には1か月近くかかるのだが、あくまで稼働日数を言えばこんなもんだ。10年間で110日。もしここで廃棄となれば、130万円で買った中古のコンバインの寿命が10年で尽きたということになる。高額の割には稼働期間が短い。だからと言って機械の共同化はやりにくい。稲も作物、刈りとりには適期があり、またお天気にも左右されやすいので刈りたい時が重なるからだ。

「菅野さん、ここはよ〜く考えてくださいよ。90万円かけて整備する価値があるかどうか。古い機械だから部品がそろそろ切れる頃でもあるしな。」と村さん。
我が家には3つの選択肢が準備されているというわけだ。90万円で修理を行い、なお古いコンバインを使い続けるか。または新しい機械を500万円で買うか。あるいはもう一度中古のコンバインを探してくるかだ。
村さんは「古いコンバインは論外だ。中古も当たりはずれがあって勧めない。菅野さんには若い後継者がいるのだから、やっぱりここは新しく買った方がいいと思うよ。」と言う。機械屋が新しいコンバインを買えというのは当然だろうが、そうは行かない現実があるんだよなぁ。

今年のJAへの売り渡し価格は1俵(玄米60kg)で13,000円前後だ。だけどその生産費は15,000円ぐらいかかっている。農水省東北農政局が言っているのだから間違いはない。生産原価を割って販売する状態がすでに10年以上続いていて、産業としてはまったく成立していないのだ。稲を刈るだけの500万円もする機械などとても買える状態にはない。もし、私に後継者がいなければ稲作はここで終わりだろう。残りの機械をすべて売りに出して、販売農家としては廃業する道を選ばざるを得ない。

 だが、幸か不幸か・・・いや、幸いにもだ。我が家には、殺菌剤ゼロ、殺虫剤ゼロ、化学肥料ゼロを基本とした稲作に情熱を燃やし、直に消費者の台所とつながることで何とかこの苦境を乗り越えようとする若い後継者がいる。息子だ。そのような道を歩もうとしているからと言って決して先が明るいわけではないが・・。
 500万円は重すぎる投資であることには変わりはない。
悩ましい現実が続く。

(拙文・月間「地域人」大正大学出版会・おきたま通信「百姓の独り言」より

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菅野農園は今年も健康な農作物をお届けします。

<玉子編>
1、自然に近づけてニワトリを飼います。
2、遺伝子組み換え飼料は使いません。

(今や日本の養鶏界はほとんどすべてが遺伝子組み換え飼料となっています。トウモロコシ、大豆、ナタネ・・・この遺伝子組み換え食品を食べ続けるとどうなるのか。モルモットの実験では4ヶ月後ぐらいから癌にかかる割合が急上昇し、2年後にはほとんどすべてが罹患して行ったといいます。だが、遺伝子組み換え作物を開発した企業(モンサント社)は3ヶ月までのデーターしか公表せず、もって「異常なし」としています。人間の場合のデーターはありません。いま、その人体実験が暮らしの中で進行中ということなのでしょう。)

3、いま流行の黄身の色を濃くするための色素は使用しません。
4、その他、一切の薬物、化合物は使用しません。あくまで自然卵にこだわります。
5、子どもからお年寄り、病人、妊婦まで安心して食べられる玉子をつくります。

<お米編>
1、今年も「殺菌剤ゼロ、殺虫剤ゼロ」の米作りに取り組みます。
2、化学肥料を使用せず、有機肥料のみで作ります。
3、「おいしい」と言ってもらえるお米を目指します。
4、昨年、50aで作った無農薬米(殺菌、殺虫ゼロに加えて除草剤ゼロ)は10aあたり3俵(目標は8俵)と散々でした。今年こそ8俵を目指します。

<暮らし編>
1、今年は自給用に放し飼いの豚を飼います。(注1)
2、自給用の野菜をもっとたくさん作ります。
3、自給用に育成している甘柿、りんご、和梨、クリなどをしっかり育てます。
4、芳秀はもっと田畑に出るようにします。
5、父子のチームワークを良くします。(注2)
6、家族みんなで農業を楽しみます。

(注)
1、昨年の暮れに農民仲間から放し飼いの豚肉をいただきました。「うまい!」とおもいした。スーパーの豚肉とは大きく違います。今年は我が家でも飼ってみます。
2、父子の関係が悪いわけではないですよ。誤解なさらぬように。
3、お米は「つや姫」、「ひとめぼれ」です。白米、7分、5分米は2,500円/5kg、玄米は2,300円/5kgです。送料は10kgまでなら関東で630円です。なお、消費税はいただいていません。毎月10日が配達日です。
☀10aあたり8俵(1俵/60kg)が生産目標。
普通にお米を作って農協に出荷していたころは最低でも10a(10m×100m)あたり10俵(1俵/60kg)の収穫量がありました。12俵とって表彰されたこともあります。でもそれをやめて10年になります。今は8俵が目標です。通常の収穫量を10俵としますと、我が家の面積は430aですから、単純に言って86俵ほど減収したところを生産目標としているわけです。なぜそんなことをしているのでしょうか?

1、それは殺菌剤ゼロ、殺虫剤ゼロのお米を作りたいからです。
そのことによって、人体や環境への悪影響を少しでも減らしたいからです。本気でそう思っています。
 多収穫の為には、太った体格のいい稲をつくらなければなりません。それを化学肥料で実現しますが、そんな稲はどうしても病気に弱くなります。そこで農薬の登場です。化学肥料と農薬と・・このセットで米の多収を実現しているのが今の米作りです。
そのようなコメ作りをやめて、殺菌、殺虫剤、化学肥料をゼロにして、もっと食べるものの健康にいいお米を。環境にいいお米を作りたいというのが8俵を目標にした動機です。

2、おいしいお米を作るためです。
我が農園の米は、稲を追い込まず、無理をさせず、そうして自然に成粒になったものだけをお米として選別します。
多収穫のお米はおいしくありません。本来ならば未熟なお米で終わるところを、化学肥料の力で無理やり膨らまして成粒にしてしまい、多収穫を実現します。そんなお米は食べても水っぽくておいしくありません。同じ品種のお米でも、8俵を目標にしている米と決して同じではありません。食べ比べていただければ良くわかります。

3、殺菌、殺虫ゼロのお米は、食べる人の身体を守り育みます。自然環境も汚しません。
もちろん、食べる人の安全を守ります。赤ちゃんでも病気がちな方でも、菅野農園のお米はエネルギーにはなっても害になることはありません。また、近年、ミツバチが激減していますが、その犯人と指摘されているカメムシ用の殺虫剤などもまったく使用していないために、その点での環境への負荷もありません。菅野農園のお米はこんなお米です。

4、他のお米よりも少しは高い価格になっています。
そのような主旨での8俵を目標とする米作りです。スーパーやお米屋さんのお米よりは少しは高くなっています(白米、七分、五分米は10kgで5150円、玄米は4740円・・送料は全国一律650円)。
 どうかこれからも菅野農園の米作り、ご支援いただきますようにお願いいたします。

☁米の中に黒い斑点米が入ることもあります。
この斑点米はカメムシの食痕です。この斑点が1,000粒の中に3粒以内が1等米、4粒入りますと2等米となります。1等米と2等米では600円の差が付きます。この価格を我が家の田んぼにあてはめれば240,000円の差になります。そのために農家は農薬を使わざるを得ませんが、私は使用していません。使わない米作りを皆さんから支えられているからです。3粒が4粒になろうとも、食感的にまったく影響はありません。

土といのちとの循環の下に・・・菅野農園(代表:菅野春平)
〒993-0061 山形県長井市寺泉1483
FAX;0238-84-3196  携帯:090-9636-0360(春平)
アドレス;narube-tane@silk.ocn.ne.jp
 今年の確定申告は、始めて息子が事業主となって行ったという意味で
我が菅野農園にとって大きな節目となった。
玉子もお米も耕作権も通帳も・・すべて完全に息子の名義に替えた。

私が父から農業(農作業)を引き継いだのは26歳だった。
以来今日までの30数年間、我が家の中心となって働いて来た。
 やがて長男が生まれ、育ち、そして・・・引き渡した。
息子は31歳。これで「タスキ渡し」が終わった。

 あぁあ!長かったなぁ。
雪が融けたら川に魚釣りにでも行こうかな。

 この4月から、俺は息子から給与をもらって働くことになる。
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「こんど、人間以外に生まれなければならなかったとしたら、ぜひ菅野農園のニワトリに生まれたい」
 俺がこだわったニワトリを飼う基準、その飼い方。以来、ほぼ40年間,写真のように飼って来た。もちろん美味しい玉子を得るためだけど、これならニワトリでもいい。(いまは雪だが、こんな風景はもうすぐだ。)
 菅野農園の放牧養鶏、自然養鶏の玉子です。

 雪解けがすすみ、温かな春の陽気が戻ってきました。
と、なると、ニワトリ達は盛んに玉子を産むようになります。
菅野農園の自然卵を食べてみたい方はおいでになりませんか?
この時期ならご提供できます。

 味は玉子本来の味。ゲージ飼いの卵のようにエサや飼料添加物で操作された濃密なものではありません。一瞬、アレッと思うような淡白なもの。そこにふくよかな味わいが含まれています。
 黄身の色は淡い黄色。人工色素と無縁です。エサの主要穀物はおコメです。(右が菅野農園の玉子です。)

 1p(10個入り)680円。送料は首都圏までなら2pで950円、4pまで1,130円。8pまでなら1,330円となります。箱の関係上、4の倍数が良いようですがいくらでもかまいません。ご注文はメッセンジャーかメール(narube-tane @silk.ocn.ne.jp)でお願いします。
 (写真をクリックしてみて下さい。アップで見る事が出来ます。この写真は夏のモノです。)
玉子やおコメのご注文は
菅野農園までお願いします。

アドレスは narube-tane@silk.ocn.ne.jp です。
携帯電話でのご連絡は090-9636-0360 菅野春平
FAXは0238-84-3196となります。

よろしくお願いします。

 御用の際はお気軽にご連絡ください
 
 菅野芳秀
 住所:山形県長井市寺泉1483
 FAX:0238-84-3196 携帯:090-4043-1315
 メール:narube-tane@silk.ocn.ne.jp
☂ 遺伝子組み換え穀物・その人体実験中?
「世界が食べられなくなる日」(フランスの製作)というドキュメント映画を観た。
トウモロコシ、大豆、ナタネ・・・この遺伝子組み換え食品を食べ続けるとどうなるのか!フランスで極秘に行われた研究を映し出していた。
モルモットに遺伝子が組み換えられたトウモロコシを食べさせ続けた結果、4か月後ぐらいから癌にかかる割合が急上昇し、2年後にはほとんどすべてが罹患して行った。
だが、遺伝子組み換え作物を開発した企業(モンサント社)は三か月までのデーターしか公表せず、もって「異常なし」としている。人間の場合のデーターはない。いま、その人体実験が我々の暮らしの中で進行中ということだ。

☀ 遺伝子組み換え作物・・トウモロコシの場合
遺伝子組み換え作物ってなに?
「除草剤耐性」と「害虫抵抗性」の二種類があるが(映画はラウンドアップの除草剤抵抗性)、害虫抵抗性のトウモロコシの場合はこうだ。
トウモロコシを食べようと畑に虫が寄ってくる。そこで殺虫剤の散布となるのだが、種子メーカーはその虫に天敵がいることを発見する。微生物の一種で、虫にとりつき毒をだす。その微生物から毒を出すという能力にかかわる遺伝子をとりだし、トウモロコシに埋め込む。するとトウモロコシは毒を出しながら成長して虫を寄せ付けない。毒がトウモロコシの身体すべてに万遍なくいきわたっているためだ。これは自然界には存在しない作物。

いまや日本に輸入されているトウモロコシ、大豆、ナタネなど、家畜の飼料にも含まれるそれらのほとんどがこの遺伝子組み換えになっている。納豆、豆腐、味噌、などの大豆食品・・。その他、醤油、食用油、トウモロコシから作られる果糖ブドウ糖液糖(甘味料)、発泡酒の原材料の大豆たんぱく、糖類など、表示義務のないものも多く、私たちがそうと知らずにとっているものもたくさんある。それらはまた家畜を通して、肉や卵にも侵入している。
いのちの問題として、人の食べる食品のすべて、家畜のすべてから「遺伝子組み換え」作物を除いていかなければならない。切実にそう思う。

☂ 我が家の玉子は
菅野農園のニワトリたちには遺伝子組み換えトウモロコシ、大豆などは一切与えていない。飼料会社に特別に要請し、そうでない穀物を手に入れている。2割ほど高いが、食する子どもたちのためにも妥協はできないな。

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 あけましておめでとうございます。

 皆さんはどのようにお正月を過ごされたでしょうか?
我が家族は当然ことながら、まったく普段と変わらない暮らしでした。ニワトリにエサをやり、玉子をとってパック詰め、曜日がくればそれを配達する。変わったのは元旦の朝、お酒をいただいたのと、伝統的な風習に従って、決められた料理で食事をしたぐらいのことでしょうか。

 あらためて年頭のご挨拶をいたしますが、今回はお正月の間に読んだ本を紹介させてください。

 山形市に齋藤たきちさんという農民がおります。その方が昨年の秋「北の百姓記(続)」(東北出版企画)という題名の本を出版されました。一昨年に出された「北の百姓記」に続いてのことです。両方とも読み応えのある本です。どんな本かを「書評」風に書けば・・こんな本です。(以下)


 三十五年ほど前になろうか。まだ私が東京の学生だったころ、よく読んでいた書物の中で幾度か「齊藤たきち・山形県・農民」の著名入りの文章に出会った。
当時、私は農家のあとつぎとして期待され、農学部に在籍してはいたものの、その道がいやで、何とか田舎に帰らない方法はないものかと考えていた。そのくせ、人生の方向を見つけられないまま、成田で起こっていた農民運動などに顔をだしていた。

 その時のたきちさんの文章は、同じ農民という立場から、運動を担う成田の農民に心を寄せて書かれた、どっしりとしたものだった。農民であることに誇りをもつ、土の香りがする文章だった。
「山形にもこんな方がいるんだ。」同じ山形県人であることに親近感をもちながらも、当時の私にそれらの文章は重くこたえた。

 やがて私も農民となるのだが、その時以来ずっと今日まで、「齋藤たきち」の名前はいつも気になる存在として私の中にあった。

 齊藤たきちさんは山形市門伝で農業を営むかたわら、農民の立場から詩をつくるなどの創作活動に精力的に取り組んでいる方だ。山形県を代表する詩人で野の思想家、真壁仁がおこした「地下水」の同人でもある。

 そのたきちさんが昨年の秋、「北の百姓記(続)」(東北出版企画)を出した。一昨年の春に出版された同名の本の続編である。「あとがき」に、先に出した本には「六十年余に渡る私の『百姓暮らしの叫び』」を、このたび出した続編には「百姓としてどう生きているか」を書いたとある。

 読みながら、三十数年前の感情がよみがえってくるのを感じた。たきちさんはずっとあの時の姿勢のまま生きてこられたのだ。

 彼は単なる知識人ではない。それは彼の広い肩幅と、厚い胸、がっしりとした体躯をみたら分かる。田畑に働くことでつくられた身体だ。そこから出てくる情感、思想を詩人の言葉でつづったのがこの本である。作物や郷土に対してそそがれる目がやさしい。

 たきちさんは自らを「百姓」という。彼にとって百姓とは単なる職業なのではなく「生き方」そのものである。
まさにこの本には、土の上で懸命に生きてきたひとりの百姓、齋藤たきちの生き方があり、哲学があり、世界観があり、詩がある。
 
 そのたきちさんがついに自分を「最後の百姓」と呼ぶに至った。そこまで彼を追い詰めたものは何なのか?我々とて決して無縁ではない。

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 書評風の紹介はこれで終わりです。たきちさんは今月の21日、真壁仁を記念して設けられた「野の文化賞」」を受賞されます。

 この二冊の本は、農業に従事されている方だけでなく、広く社会人、学生にも読んでもらいたい本です。

ナンカ、オオマジメニ、カタッチャッタナ・・・。




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南国タイの農民たちの話だ。俺は日本各地の仲間や、タイ、韓国、フィリッピンなどの農民たちと一緒に「アジア農民交流センター」を作っていて、農業を中心とした経験交流を行っている。立ち上げたのは1990年ごろからだから、かれこれ30年ほどになろうか。分けてもタイの東北部(イサーン)には幾度も訪れている。
そんな我々の事業に対して「タイの村に行って、何か参考になることってある?彼らの農業は遅れているだろう?」との反応が多い。確かに我々が行く村には日本のように圃場整備が行き届いている水田があるわけではない。水は雨期を利用して貯めた天水。田植えは、ほとんどが手植えで、稲刈りも人力だ。このように日本とは大きな違いがあるが、土を耕す同じ農民として考えさせられることは実に多い。
その一つが、「生きるための農業」と呼ばれているものだ。そう、生産性を上げて利益を増やす為の農業ではない。もちろん生きて行くためには利益も必要だが、それを他の何よりも優先させるということではなく、穏やかに暮らし行くことを目的とした農業。生きるための農業。生きていくための農業だ。
 背景には、農民たちが政府から奨励された輸出専門の換金作物生産によって借金まみれになってしまった現実があった。利益を目的に誘導され、破たんした農業があった。それまでの自給自足を中心とした農業には、貧しくはあっても借金苦はなかったという。
それを政府の方針で、自給中心型から換金を目的としたサトウキビだけ、あるいはキャッサバだけを作る輸出作物栽培に切り替えた。しかしその作物価格は国際市場の動向に左右され、浮き沈みが激しい。
また、それらの作物は土壌からの収奪性が高く、継続して栽培するには作物とセットになって奨励されていた高い化学肥料と農薬を使うしかなかった。作物が暴落しても経費は安くはならない。それまでの自給的暮らしと比べれば、とてもお金のかかる農業に変わってしまった。
やがて輸出作物が暴落し、借金だけが膨らんだ。農民たちは農業を捨て、出稼ぎに活路を見出さざるを得なくなっていく。イサーン農村は出稼ぎ労働者を多く生み出す地域となっていった。家族はバラバラになってバンコクへ、中東へ、トウキョウへ、ソウルへと出て行った。
 そんな中で、かろうじて残った農民から始まったのが「生きるための農業」である。当初、それは村の中の「変わり者」の農業だったという。変革者は必ず「変り者」として登場するのが世の常だが、「生きるための農業」は間違いなく少数者の農業だった。そこには生活を守ろうとする自給の為の様々な工夫があった。農地の真ん中に池がほられ、魚を飼う。台所の生ごみは細かく刻まれて魚たちに与えられた。池の周囲にはマンゴなどの果物が植えられ、木陰には小さな豚舎や鶏舎を建て、家畜を飼う。堆肥を作り、肥料も自給する。その外周には水をうまく活かして野菜畑を作る。いわば、自給と資源循環の農業である。農業と暮らしの操縦桿は再び、国際市場から農民の手に取り戻した。

 さて、日本である。自由主義市場経済の名のもとに、あくまでも「利益と効率」が中心で、水田や畜産、畑作の大規模化が半ば強引に進められ、たくさんの家族農業、小農の淘汰が行われている。経営の操縦桿は、大規模化が進めば進むほどに農家の手を離れ、機械、肥料、農薬関連の企業の手に移り、他方で健康や環境問題への不安が広がっている。この利益と効率のレースにはゴールはなく、勝者もいない。少なくとも身近なところには、それで幸せになった人はいない。ただ辛い日々が続くだけの毎日。
 近頃、農水省から「みどりの食料システム戦略」なるものが出されたが、遺伝子組み換え技術やゲノム編集などの上に農薬や化学肥料の削減などを接ぎ木しようとする訳の分からないものとなっている。
我々はいったいどこに向かおうとしているのか。自分たちで操縦桿を手にしたタイの農民のように、そろそろこの辺で立ち止まり、穏やかに暮らすことを目的とした農業、みんながともに生きて行けるための社会づくりに舵を切ってみたらどうだろうか。