ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ
米価が安い、安すぎる。
前回お伝えしたように農家への仮払いが一俵60kgあたり平均1・1万円、20年前の1/2以下の価格だ。東北農政局が発表している一俵あたり生産原価よりも4,000円も安い。おまけに10aあたり35%の減反がついている。これではやっていけない。作れない。世界中が穀物不足だというのに・・。 3月の下旬、農繁期の前に集落の総会があった。 「おみちさんから田んぼを手放したいという申し出がありました。どなたか買い求めてもいいという方は役員まで申し出てください。」 おみちさんは80歳。10年ほど前に旦那さんを亡くして、一人暮らしをしている。田んぼは地域の転作組合に貸していたのだが、子どもがいないということもあり、手放す気になったのだろう。全部で五反歩、一反歩(300坪)あたり30万円ということだから五反歩で150万か。ずいぶん安くなったものだ。30年ほど前には一反歩あたり100万はしていたのだから。 総会があってから一ヶ月ほどになるが、まだ田んぼの引き受け手がいないという。誰も手をあげない。米づくりに熱心だった市さんも「おみちさんの都合は分かるけど・・、今の米価ではなぁ。30万が20万でも無理だ。自分の田んぼを維持するだけで精一杯だよ。」という。村の農家の平均年齢は67歳。ほぼ日本農民の平均と一緒だ。これから田んぼを手放さなければならなくなる人が増えてくるのに、引き受け手がいない。 我が村は東京の生協との交流をおよそ30年ほど続けてきた。いまでも1万俵以上のお米が首都圏に向けて出荷されていく。その米は特別栽培米といって、農薬を慣行栽培の1/2以下に抑えたものだ。通常価格に60kgあたり800円加算。安全・安心をモットーとする米づくりをうながす生協からの加算金だ。農家も多くのリスクを負いながら、向かう方向に意義を感じて応えてきた 20年ほど前までは、2万数千円に800円加算だった。それが1・6万円に800円加算、1・3万円に800円加算と下っていき、今は価格の面だけでいえば、ほとんど説得力を失っている。 月一回、NHKの「ラジオ深夜便・日本列島暮らしのたより」で話をしている。毎月第一月曜日の夜、11時20分からの10分間、村や農業にかかわるアレヤコレヤをしゃべっているのだが、今回、「米の話」をひととおりおこなった上で、次のように呼びかけた。 「皆さんの友人や知人のつながりのなかに米作り農家はいませんか?いましたら、どうか直にその農家からお米を買いもとめてください。慣行栽培米なら10kg、4,000円ぐらいで買えるでしょう。まざりっけのない純粋品種のお米を求めることができます。一方、一俵60kgからは55kgの白米ができます。10kg4,000円なら農家の手取りが2万2千円。農協の仮渡金のほぼ2倍の価格になります。ある程度の数があつまれば農家に利益ができますし、なによりも勇気づけられるでしょう。消費者の皆さんの行動が農家を救うことができるかもしれません。」 そんな話をしたら、義憤を感じたと、夜の12時前だというのにたくさんの電話があった。農家を紹介してほしいという申し出もあった。数日たったいまでも問い合わせが続いている。うれしかったですねぇ。うれしいですよ。 ところが残念。この季節、農家にお米の在庫がない。自家用米以外は全て出荷してしまい、ご要望に応えるためには秋の新米をまたなければならない。肝心の点をうっかりしていましたよ。だめですねぇ。アホですよ。 ですが・・ですがです、みなさん。今すぐにご要望にはお応えできませんが・・・、それでも・・・秋にむけ、今からでもお知り合いの農家にお声をかけてみてください。 そんなことで日本農業が護れるのかいというご意見もあるでしょうが、ま、今は何よりも行動です。はじめてみましょうよ。 (念のために・・私のお米を買ってくださいという小さな利益からの提案ではありませんぞ。写真は昨年の秋の水田風景,わが村・・いつまでつづくか。) ...もっと詳しく |
もうじき稲刈りがはじまります。 写真の風景は我が村と水田。 黄金色です。きれいですよぉ。 (ダブルクリックで。) 秋も深まったある日、こんなメールが飛び込んできた。農業を学ぶ学生からだ。 いつも楽しくブログを拝読しています。多分、2日に1度は覗いているのではないかと思います。ところで、今回メールさせていただいたのは9月10日付けの記事「芸能プロダクション」についてです。 日本雇用創出機構というところの調査では、日本のフリーターの約4割が「農業に興味を持っている」と回答しています。菅野さんの言うように、「時代が確実に農の側に来ている」のは間違いありません。ただ「生活の一部である」という農業を否定する人々は多いと思います。これは、日本の若いフリーターたちが行動できなかった理由の1つかも知れません。でも、そんな人達を説得するとしたら、一体なんと言えばいいのでしょうか?どうすればいいのでしょうか?どうしても分からないのがそこなのです。雇用や工業化が望ましいのかといえばそうではないと思うのですが、理由がついて来ないのです。(要約) さてご質問への答だけど、難しいよなぁ。 俺が農民となった理由は単純だけど(「地域のタスキ渡し」参照)、たとえそれがなかったとしても、勤め人となり、給料をもらう農業労働者にはならなかっただろうなぁ。いまさらという感じだけど、それに恥ずかしながらでもあるんだけれどさ、俺は農業の魅力を以下のように捉えてきたんだ。 農家のやる農業はたいがい労働の場と生活の場が一緒だ。それだけに自分の個性、主体性、創造性において暮らしを自由にデザインできる。作り出すものの世界観においてさまざまな農業、さまざまな暮らし、さまざまな世界が生れる。そこが魅力だと。 だから、ここのところに面倒くささを感じたり、いまいち魅力を感じない人は勤め人のほうがいいだろうな。 俺は自分らしく生きたいと思い、個性を削りとられることなく、その個性とそれにもとづく創造性を何よりも大切にした農業と暮らしをと思ってきた。そこを基礎にして土や生命系、食に関係していきたいと思ってきた。こうなると単なる職業として農業を選び取ったというよりも、生き方として農民になったというほうが近いね。でも、これを言うと、生き方として・・・キザだねぇ、ぬけぬけとこんなことが良くいえますねぇという声はなかったわけではないよ。 それを承知でもう少し続けさせてもらうと・・・その観点に立ち、農業を始めるにあたっては、<二つの基本と四つの基準>を作ったんだよ。別に特別なことを考えたわけではないけどさ。 <二つの基本>は「楽しく働く」「豊かに暮らす」・・・なぁんだぁとなるかもしれないが、でもよく考えてみるとこれに尽きるんだよな。 これを受けての<四つの基準>は 1、暮らしの自給を大切にする 2、できるだけ自然生態系と共生する。 3、周囲の景観をデザインする 4、家族が参加できる農業とする これを「金太郎飴農業」ならぬ「芳秀飴農業」と称し、さまざまな作物を植え、ニワトリを飼い、田畑との循環を作り出し、鶏舎のまわりには梅、プラム、サクランボなどのきれいな花を咲かせえる木々を植え、下には赤つめ草と白つめ草の種をまき・・・、田植えのときや、稲刈りのとき、子ども達は学校を休んで家族みんなで働いてきた。 学校を休むといえば冬の雪下ろしのときも休ませて、一緒に屋根に上ってきたよ。娘、息子のどちらの担任の先生も、ことわりの電話を入れると、笑いながら承諾したくれたっけ。子ども達がそれを望まなくなってからは止めたけどね。 「暮らしをデザインする」・・、農業を志す青年も、私の若いころと一緒だろうとおもっていたのだけど違ったのかな。 もう一度同じことを言うけど、俺は人生の一部として、だから当然「生活の一部」として農業を捉えてきた。職業としてというより、生き方として農業に就いてきた。他の何かのためにすり減らされる人生はいやだったしな。 だから質問にはそんな自分を語るしかないんだべね。 どんなもんだべ? それと、青年を企業農業の勤め人に追いやるものの中に、百姓暮らしを自分で起こすことの大変さがあるだろうな。 そこのところは社会全体で考えてやらなければならないことだと思うよ。 ...もっと詳しく |
雪が消えた。
ニワトリたちが外に出て遊ぶ。 緑の草たちも少しずつ増えてきた。 農作業の合間に草の上に腰をおろし 梅の花の下のニワトリたちを眺めている。 いいねぇ。お日様と緑とニワトリたちと・・。 見ている私もどこかゆったりした気持ちになってくる。 一羽が身体をくっつけるように近づいてきた。 羽をなでる。 こんな時にはこの娘の産む玉子はおいしいかな・・なんて考えないね。 ただ春の陽ざしのなか、私とニワトリたちとのいい時間が流れていく・・・ ・・・・ それだけ。 ...もっと詳しく |
しかし、寒いですねぇ。 冷たい春ですよ。 いっとき、暖かくなって、半袖で充分かなというやわらかいお天気を 経験したあとのこの寒さ。こたえますね。 冬に比べたらずっと暖かいはずなのにそうは感じません。 一度貧乏から自由になって、少しの余裕を楽しめるようになった後の 貧乏再びというのも同じようにこたえるだろうなぁ。 オレの場合はずっと貧乏だったから、どおっていうことはありませんがね。 この寒さ、いつまで続くのだろうか? 「どんなもんだ、この低温。夏は大丈夫かなぁ」 近所の優さんが先ほどお茶のみにきて話していった。 百姓は、寒いにつけ暖かいにつけ、田んぼや畑のできに関連付けて受け止める。 種まきが終わって、芽がでてきた。 田んぼには二種類の堆肥を撒くが、レインボープラン堆肥は振り終わった。 後はケイフンだ。今年はケイフン散布用の機械を共同で買った。 うまくいくかどうか。 5月7日には300羽ほどのヒナがくる。 いよいよ忙しくなるなぁ。 ・・・ということでまとまった文章は書けないでいます。 忙しさにひと段落着くまでは、こちらの様子を知らせる 短い記事となります。どなた様も、もう少し、おまち下さい。 ...もっと詳しく |
農民の離農の速さは尋常ではない。
この国から、村が消え、農家、農民が消えようとしている。 原因は農業収入の異常なまでの低さ。それに規模と低価格を追い求める政治の貧困。 農の崩壊が進み、この国の食といのちの関係が更に危うさを増した。 果たしてそれが「国民の意思」なのか?もし、そうでないというならば、全力で声をあげよう。 生産者も消費者も、市民も農民も、共に声をあげよう。 農の崩壊は日本の崩壊につながっている。 農民に欧米並みの「所得補償」を! 市民に安定して食料を手にできる生活を! 明日の昼に、デモと集会のご案内を発信いたします。 家族中でご参加ください。 |
「農民講談師」 しばらく前のこと、携帯電話をみたら「03-0000-0000」の着信暦があった。 「先ほどお電話いただきました菅野と申します。ご用件はなんだったのでしょうか?」 「あのう、失礼ですがどちらの菅野さまでしょうか?」 電話の相手は受付係のような感じだ。そうか、向こう様は会社なんだ。 「山形県の百姓です。30分ぐらい前にお電話いただいたようですが・・・。」 「そうですか。それではしばらくお待ち下さい。こちらでお調べいたします。」 「ありがとうございます。ちなみにそちら様はどのような会社なのでしょうか?」 「はい、『東京○△』ともうしまして芸能プロダクションです。それではお待ち下さい。」 なに!芸能プロダクション? そのような職種に友人はいない。ということは・・・会社の業務としてわざわざ電話をくれたということか。 だとすると・・・もしかしたら・・・おれに?そうか。時代はついにここまで来たか。やって来たのか。 「青年達よ。無くなったって誰も困らない虚飾の文化(仕事)の中で、貴重な人生をこれ以上浪費するのはやめよう。自分を擦り減らすのはやめよう。田園まさに荒れなんとす。日本を土といのちから問いなおそう。築きなおそう。農業と農村は君達を待っている。」 プロダクションに興行実務を依頼しながら、俺は百姓として、百姓のままで、広く全国にこんなメッセージを飛ばし続ける・・・うん、いいかもしれない。 今だから言うけれど、今は亡き作家の井上ひさしさんは誰よりも農業の大切さを知っていた方だったが、かつて彼が主催する「生活者大学校」で3度ほど講師を務めたことがあった。何回目かの時か、井上さんは私にこう話された。 「菅野さん、あなたの話は一つの芸になっているよ。さらに磨いて農民講談師となり、農の大切さを訴えながら、全国を話してまわったらどうだろうか?」、「え、こうだんし?」「うん、玉川ナニガシとか、一龍齋ナントカとかの、あの講談師だよ。いけると思うよ。」 大作家の井上さんから直にいただいたご助言。かなり、グラッときましたよ。 実際、今までもいくつかのラジオに出て、久米ひろしさんや伊奈かっぺいさんなどと「土、いのち、農、」の話をする機会があったのだけれど、局の人に言わせればけっこう評判は良かったという話だ。自分で言うのも変だけれどナ。 まあ、他にも、そんなこんなで、さまざまな手ごたえを感じてきたのだけれど、まさか、大きな波がこのような形でやってこようとは・・・。農民講談師・・本気で考えてみようかな。 絶滅危惧種になりかけている農民、崩壊目前に追い込まれた農村。これによって日本農業のみならず日本そのもの崩壊が近づいているのかもしれない。こんな時だから、ここはひとつ、覚悟を決め、これからの人生を講談師にかけてみようか!まだ時間はある。 「あのう、菅野さま。ただいま調べましたが社員の中には該当者はいませんでした。申し訳ございません。間違い電話だったかと思います。」 「えっ、間違い電話ですか?」 「はい、菅野様は当社のオーデションをお受けになりましたか?」 「オーデション?いいえ、なにも特技はありませんので。」 「それではやはり間違い電話だったと思います。大変ご迷惑をお掛けしました。」 「えっ、あ、えっ、そ、そうですか・・」 後日、この出来事を村の百姓仲間たちに話したら、さんざんからかわれ、酒席を大いに陽気にさせて終わったよ。せっかく農民講談師、覚悟を固めつつあったのに・・。 だけどな、ま、こんな笑える話はわきに置くとして・・だ。いよいよ農業は来るところまで来てしまっている。この現実は笑えない。 |
田畑から雪がなくなった。 いよいよ農繁期だ。 昨日(14日)はTPP含みの会議で日帰りで上京したが 今日はその分、挽回しなければ。 幼馴染が助っ人で来てくれる。 苗箱に土を入れる段取りと 種の目出しに玉子の配達・・。 下を向いて仕事をしているうちに、いつの間にやら 桜が咲いていた・・なんてね。 実際、花が咲いたことは分かるが、ゆっくり愛でる余裕がない。 どこの農民もそんな中で種を撒いている。 さぁ、ニッポンの百姓のみなさん! なにかと、馬鹿を相手に疲れることの多い 日が続きますが、 あきらめずにまいりましょうぞ! ...もっと詳しく |
蛍が飛んでいる。
まだ朝晩の肌寒さはあるけれど季節は確実に夏に向かっているなと思っていたら、 昨日、トンボが飛び、夕方にはカナカナかな・・とヒグラシが鳴きだした。 夏なのですねぇ。 という訳で、コメのあれやこれやをひとまず休み、孫たちを動員して梅をもぎ、梅酒の仕込みをやった。今年は昨年の半分の8ℓの瓶に2つ。秋には特製の梅酒が出来上がる予定だ。 朝日連峰の山々が育んだ湧き出る水と大地の梅の実の芳醇な合作、梅酒。 いくら何でも私一人では飲み切れない。コロナが無くなったらお出かけください。 濃緑の田んぼを渡る風に頬をまかせ、草地を走るニワトリたちを眺めながら、梅酒で一杯やりましょうぞ。 |
我が家の前に広がる水田はおよそ800ha。見わたす限りが田んぼだ。その田んぼ、ちょっと前までは、一面むせかえるような緑だった。今は急速に黄色へと変わりつつある。秋が来たのですねぇ。
白になって、緑になって、黄色になって、白になるものな〜んだ?答は田んぼ。 じゃ、白になって、青になって、赤くなって、白になるものは?答は山。 風景の支配的な色が変わるとき、子どもを相手にこんな「なぞなぞ」を出していた。じっさい、季節の変化に合わせて、前に広がるだだっ広い水田と後ろに横たわる朝日連峰が、広大なスケールでその色合いを変えていく。 そんな中に入っていると「オレの年収は同世代のサラリーマンの1/3にもみたないけど・・・まぁいいかぁ。」こんなおおらかな気分になっていくんですねえ。 でな、季節の変化にともなって音も変わっていくんだよ。田んぼを中心に振り返ってみると・・・春、雪解け水が用水路を流れ始める音。とどろくトラクターの音。「ちょろちょろ」と田んぼに水が入る音。かえるたちの大合唱。夏、せみたちの鳴き声。田んぼを渡る風がサラサラと硬質の音を出すようになれば稲刈りの季節、秋だ。 白いお米は、それらの音を吸い込んで成長する。ふくらんだお米は、ふるさとの音のパッケージ。パキッと割って耳元に持っていってごらん。カエルやセミの声が聞こえるぞ、なんてね。(ここのあたりがちょっとはずかしい) もうじき稲刈りだ。今年、2.2haの僕の田んぼには殺菌剤、殺虫剤を使用しなかった。お盆のころまでは順調に成育してきたのだが、その後、急速に「いもち病」がでてきた。これはカビが作り出す病気で、高温多湿の気候が続くと発生する。それにかかると稲は成長途中で枯れていく。 堆肥を多く入れすぎたのかな。肥満した人がどちらかといえば病気にかかりやすいように、稲も栄養過多は病気に弱くなる。春先の堆肥散布のときはその辺を考えながら施したのだが・・・。 農協の技術指導員は「農薬を制限した人や使わなかった人にずいぶん被害が出ているよ。」と教えてくれた。 「当たり前に農薬をかけておけばいいものを。」まわりからこんな声が聞こえてきそうだ。いもち病にかかった田んぼを前に、環境や食の安全性を説いてもほとんど説得力がない。農薬を制限してお米を作る運動全体が笑われているようでとても辛い。 被害を補償する「農業共済制度」というのがあるが、それに該当するには、共済組合に被害届を出して、幾人かの農民評価員に見てもらわなければならない。彼らは田んぼをくまなく診て回りながら評価を下す。その間中、ぼくはさらし者になっている気分になる。被害届け、出すのは止めようかな。なーに、その分、酒を制限・・・無理かな。 全部の田んぼに被害がでたわけではない。また、LLの網目を通っていくおコメしか発送しないので、病気にかかって未熟に終わったお米は消費者に届くわけではない。発送するのは健康なお米だけだ。消費者には迷惑をかけないが・・それでも悔いが残る今年の米作りとなった。 白になって、緑になって・・・なんて言っている場合じゃないよなぁ。 ...もっと詳しく |
6月29日。月山の麓の旅館。
夜中のトイレの大鏡に映った自分の姿を見て、大きな衝撃を受けて始めたダイエット。 様々な方法がある中から「炭水化物ダイエット」を選び、決意を新たに歩みだして8日目を迎えた。その間、ごはん、麺類などの炭水化物はよほどのことがない限り取らなかったよ。ただ一度だけ「早苗ぶり」でお寿司を3個つまんだけどな。 1日3度の食事は、畑からとってくる「大根葉」を中心に、少量の肉と大根葉の煮物、サバの缶詰と大根葉の煮物、油揚げと大根葉の煮物、カレー味の大根葉の煮物、とろみをつけた大根葉の煮物・・・、それに豆腐とか納豆とか。ま、こんな感じで・・・バラエティーにとんでいると言えばそう言えなくもないけれど、ちょっとツラクなり、来週からは豆もやしを中心にしたメニューにしようと思っていた。 お酒も焼酎かウイスキー。そりゃ、一回ぐらいはビールの2本ぐらいは飲んだよ。ご飯好き、ビール好きの私にとって、決して楽な8日間ではなかったね。 そして今日、久しぶりに体重計に乗ってみた。その結果にびっくりし、愕然としたよ。なんと・・なんとだよ。やる前と比べて体重が500gほど増えていた・・・。こんなことってあっていいのだろうか! こんばんは久しぶりにビールを飲もうと決めた。 ...もっと詳しく |
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今年75才になる我が集落の栄さん。彼は5年前の70才の時、自分の田んぼ1ヘクタールの他に、近所の農家から60アールを借り受けるほど米作りに情熱を燃やしていた。でも、この春、借りた田んぼをもとの農家に返したという。
どんなにかがっかりしているだろうと、田んぼの水加減を見ての帰り、栄さんの家によってみたら、想像していたよりずっと元気だった。
「足腰が痛くてよぉ。これがなければまだまだおもしろくやれるんだがなぁ・・」
「自分の田んぼはつくれるのかい?」
「あたりまえだぁ、だまってあと5年はできるぞ。生きているうちは現役よ。」
まだまだ意欲は衰えていなかった。やっぱりこの世代の人達は今の若い衆とモノが違う。
集落44戸のうち20戸が生産農家で、主な働き手の平均年齢は64才と高齢だ。
私が26才で農業に就いたときは、若い方から数えて三番目だった。若いということで寄り合いの時などは年輩者から「机をだして。」「灰皿ないよ。」と指示され雑用係を務めていた。そのときから28年たった。いまも私は若い方から数えて三番目だ。54才の私は、60代、70代の先輩のもと、同じように皿だ、箸だと率先して動かなければならない。おそらくは10年後も。あまり考えたくはないが。
「俺たちはよう、若い者たちをいたわっているんだよ。」そう話すのは74才の優さんだ。毎朝4時半には目が覚めるけど、家の若い衆を起こしてはならんと、しばらくじっとしていて、田んぼにいくのは5時半をまわってからだという。それもそっと。
そばにいた優さんの奥さんが笑いながらつけたした。
「私も、朝ごはんを出したり、掃除したりと、嫁を起こさないように注意しながらやっているよ。」
外に出てからもな・・と優さんはつけ加える。「勤めに出ている村の若い衆を起こさないように、遠い方の田んぼに行って草刈り機械のエンジンをかけるんだ。」
村では年寄りはいたわられるものという、よそで普通に聞く話は通用しない。我が集落の水田は、栄さんや優さんが現役でいる限りは大丈夫だ。
だが、もう一つの現実もある。栄さんは今年、畔草に除草剤をまいた。除草剤をまけば、畔の土がむき出しになり、崩れやすくなるのだが、足腰の痛みにはかなわないということだろう。
緑が日々濃さを増していく6月の水田風景。そのところどころに、除草剤による赤茶けた畔がめだつようになってきた。これもまた、高齢化する農村と農民の現実である。
10年後、どういうたんぼの光景が広がっているのだろう。