ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ
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人を獣(けもの)にしてはいけない。
<人を獣(けもの)にしてはいけない。>
キツネが来た。我が家は朝日連峰の麓(ふもと)にあり、水田5hと納豆用大豆(小粒大豆)栽培3h、自然養鶏1,000羽とを組み合わせた小さな循環農業を営んでいる。主な働き手は42歳の息子。俺は76歳。村ではついこの間まで「若手百姓のホープ」だったのだが、腰と膝にトラブルを抱え、今は事務労働に専念している。専業農家だ。自然養鶏と言っても聞きなれない方もいようが、要は健康でうまい玉子を得るためと、肥料に使う鶏糞の自家調達が目的で、ニワトリ達を野原に放し飼いする放牧養鶏だ。夜と冬は鶏舎の中での平飼いで、1年もすれば、その年に必要な肥料が貯まる。養鶏歴は40年になる。
山すそ野で自然に近づけてニワトリを飼えば、当然のことながら自然の方だって近づいてくる。そこに生息する腹ペコのタヌキやキツネにとって、ニワトリ達は歩くおにぎりやパンと同じだ。かくして、長きに渡って奴らと我が家とのニワトリ達のいのちをめぐる攻防戦が繰り広げられてきた。意外と思われるかも知れないが、今まで数多くのタヌキやキツネを捕まえはしたが、多くは半死の状態にして森に帰してきた。数多い奴らの中から、数匹をヤッツケテしまうよりも
「あそこには行かない方がいいぞ。殺されるところだった。」とのPR効果をねらってのことだ。しかし、彼らを何度懲らしめても繰り返し, 繰り返しやってくる。同じ奴も負傷した足を引きずりながらやってくるのだ。そこで私は彼らの家庭を思った。
「なんだって?もう行くのは嫌だって?何いってんのよ。子どもたちを飢え死にさせる気?グズグズ言わないで、とっとと行っておいで!」
奴らは女房から(たぶん)こっぴどく叱られ、子を餓死させるよりは・・と、恐怖に震えながらやってくるのではないか。きっとそうに違いない。食べ物がないということは命がけのことだ。
人だって食べ物が無くなれば容易にタヌキにもなり、キツネにだってなってしまうだろう。食べ物をめぐっての争いにとどまらず、殺し合いすら起きかねない。歴史が教えてくれている。
近年、農業の衰退が著しい。農業の問題は農民の収入の問題をはるかに超えて、この国に住む人たちのいのちの問題、この国の存続にかかわる問題だ。人をタヌキやキツネにしてはいけない。ケモノにしてはいけない。
<いま農村で起きていること>
いよいよ農業の世界は切羽詰まってきた。特に稲作では際立っている。「おれ、都会人だから関係ない」って?食糧を供給してきた農業の危機は、あなたの食といのちの危機に直結しているよ。
まず、いま食べ物の供給地である農村で起きていることを、稲作を中心に思いつくままあげてみる。
農民はどんどん離農していっている。もちろんずいぶん昔からその傾向はあったのだが、ここ数年はそれ以前とは比べものにならないぐらいの早さと規模で離農者が相次いでいる。このままでは日本の農村から農民がいなくなる。村がなくなる。農民が作る作物がなくなる。村では今までになかった「農仕舞い」(農終い)という言葉が行き交うようになって久しい。WTOやTPPに示されるように、安さを求めて風土の違う海外の農産物と無理やり価格競争させ、安い方に、より安い方にと国内農産物を買い叩いてきた結果だ。農家のコメの出荷価格は、生産原価にすら届かない年が20年以上続いた。こんな国ではアホらしくて農民なんてやってられないという事だろう。自分の家族の為のわずかな畑や水田を残して、後はきれいサッパリと離農する。
その結果、農業は少数の大規模農業法人と、「今さら勤めには……」と残った年寄りだけになってしまったと言っていい。就農している農民の年齢層(5年刻み)の中で、65歳以上と75歳以上がダントツに多い。その人たちもあと数年で現場から離れていくだろう。そのあとを継ぐ世代はほとんどなく、いてもやがて離農に追い込まれていくに違いない。無策のなか、国内農業には破綻への道だけが大きく開かれている。
戦後の日本農業を支えてきたプロの農民たちが逃げ出すぐらいだから、稲作の現場は慢性的労働力不足。だから圃場も充分に管理できない。水田から春の若草の風景が消えつつある。代わりに広がっているのは、除草剤による赤茶けた枯草の風景だ。農法の省力化、ケミカル化の結果だ。SDGs?どこの話だ?
そこに追い打ちをかけているのが、海外に依存している化学肥料と家畜のエサとしての飼料穀物、そして農業機械の高騰だ。機械への補助金があるだろうって?それは昔の話。今は規模拡大など「成長路線」を基調とした計画書を提出できなければ補助の対象にはならない。よって土と作物の循環を大切にして、経営規模の拡大の道を選ばない我が菅野農園などの家族農業には一切の補助金が無く、いったん大型機械が故障したらそのまま離農するしかない。経営規模の拡大か、離農かを補助金の窓口、地方自治体の農林課に迫られる。つまり、農政の基調は「小農はやめてしまえ」という事。事実、有機農業を旨としている農家を含め、どんどんやめていっているのが現状だ。
その上、かぶさる異常気象や政変などによる流通ルートの不安定さ。それが顕在化すれば、他国の田畑に依存してようやくのところで命をつないでいる現状に狂いが出てくる。その結果、最悪のシナリオが始まっていくように思える。そうなれば遺伝子組み換え作物であろうが、農薬漬けの穀物であろうが、それがコオロギなどの昆虫食であっても、手に入るものは何でも食べなければならなくなる。
予想できるこの事態への対策は国民的な問題だが、深刻なのは国民の多くがこの現実を知らないか、知っていても深刻に受け止めることができないということだ。なんという感性の鈍さだろう。
<多くの都道府県で「令和の百姓一揆」が>
農家が離農する前に、安心して作付けできる環境を作り、他国の農業への依存ではなく、自国の農を守り、育てる道こそ肝心であり、それが、消費者が安定して食べ物を確保できる唯一の道でもあるのだが、農政の方向はそうなってはいない。国民の意識もそうなっていない。
2025年、国の軍事予算は8兆7000億円に対し農業関係予算は2兆2700億円でしかない。国の予算配分の中にどんな国造りを目指しているのかが如実に示されている。明るい未来が感じられない。
そんな情勢を受けて3月30日。東京・青山の公園を主会場に「令和の百姓一揆」が行われた。4500人の農民・消費者市民と30台の農耕用トラクターによるデモが行われ、全国の人々に農業、農村の危機的現状を知らしめると同時に、国民に身近に迫る食料危機への早急なる対応の必要性を訴えた。
その日に連動して決起したのは沖縄、奈良などの13都道府県。それを起点に更に多くの都道府県に飛び火した。東北の一番手は秋田だ。稲刈りが終わった11月10日に秋田市中央部で決行。次は山形。11月24日、農耕用トラクターを先頭に200人の農民、市民のデモ隊が続き、「農民に所得補償を!」「市民が生活できる食の補償を」「食料自給率の向上を」と 訴え、その後、300人が参加して農と食の現状を共有し、これから何をしなければならないかを話し合った。
このような農民と市民が連携した「一揆」は、3月30日から12月下旬まで全国各地およそ25の都道府県で行われた。
2026年3月下旬には再び「令和の百姓一揆」の全国展開が準備されている。日本の農と食と農村を守ろうとする一揆はいよいよ正念場を迎える。
<地域の為の農業、生きる為の農業へ>
さて、農業政策には、「産業政策」と、「地域(づくり)政策」の両面がある・・というか、そうでなければならない。しかし今の日本には規模の拡大を進める産業政策しかない。その延長線上では地域を飛び越えて海外と直につながる例も出てきている。地域農業の地域社会離れ。その結果として地域の台所では『外米』食が進んでいる。
さて、ここからだ。進行するこの現実の中に、地域と地域農業の結びつきを取り戻す。地域(づくり)政策の課題は、地域農業と教育、福祉、健康、市民参加をつなぎ、市民の台所や、学校給食、病院などをつなぐこと。俺は山形県長井市の「レインボープラン」(乞う、検索)や、「置賜自給圏」(乞う、検索)を通して実際にその道を歩んできた。
地域の為の農業。生きる為の農業。市民が健康に暮らすための農業。つまりは地域社会農業だ。その全国的な連携を軸に日本農業を立て直す。立て直したい。
この視点に立って、まず、都市の消費者に呼びかけたい。共に「食といのちの自給圏」を作ろうと。ここで言う自給圏とは地理的概念ではない。人と人との関係性を表す概念だ。都市の生活者と全国各地の農民、農村が相互に連携して、共に「自給圏」を作って行こう。
食料危機が予見される都市の暮らしと、危機の中にある農村、農民が具体的、実体的につながることで、食と農の希望を足元から創り出して行こうとする。
求められている地域政策の一つはここだろう。
食糧自給率が38%。実際は、種(たね)が自給できていないことを織り込めば、わずか9%しかないという学者もいる。求められているのは「農と食」を基軸にしたこの国の大胆な軌道修正だろう。進むべき道の根本的な見直しだ。それを人々の共同の事業とすることなのだが、生産者と消費者、町と村、政治的立場の違いなどからくる『対立』からはこの流れは生まれない。求められているのは、違いを超えてつながる共同事業だ。連携なのだ。令和の百姓一揆はこれを求めてやってきた。この矛を収めるわけにはいかない。
小農・家族農業潰しの政策はいよいよ勢いを増し、仕上げ段階に入ろうとしている。果たしてそこに日本の食と農の未来があるのか?俺には、どうしてもそうは思えない。思えないのは俺だけではあるまい。だからこその野火のような一揆の広がりであり、思いを共にする消費者、市民との連携の拡大なのだ。暮らしと共にある農業、家族農業を切り捨てようとする君たちよ!どんな社会(国)を創りたいのだ?それはどこに向かう社会(国)づくりなのだ?
一揆は米どころの秋田、山形、青森を経て、岩手、宮城、福島へと続くだろう。そこから再び全国へ。小農・家族農の隣にはたたくさんの兼業農家、日曜農業、多様な市民参加の農業が続いている。それは、人々と農、土との結びつき、土を基礎としたいのちの世界の構築、循環型社会の可能性につながっている。
だからこそ負けるわけにはいかないのだ。潰れるわけにはいかないのだ。
「すべての国民が安心して地元産の食料を手にできるために」
「すべての農民に所得補償を」
「未来の子どもたちにも国産の食料を食べてもらえるように」
「日本の食と農を守ろう」
3月下旬の令和の百姓一揆に結集を強く呼びかけたい!
2025.12.18:
kakinotane
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つながろう! 希望が小さな時代に!
新聞の小見出しの中に、引き付けるコピーを見つけた。
「つながろう! 希望が小さな時代に」
いま、我々の足元では「農と食の危機」が一体的、構造的に進んでいる。多くの人々はこの事の持つ深刻さを理解できて知らない。知ろうともしていない。俺にはそう見える。
「当面の食が手に入ればそれでいい」「安ければどこの国が提供しようが構わない」
かいつまんで言えば、こんなところか。
「農と食の危機」はそのまま生活の危機、社会の大混乱につながっている。だからこそ、この危機に対して、単なる農政批判、時代批評で終わらせてはならないのだ。
求められているのは政府や国に頼らない「そうではない道」を、持てる力をつないで具体的、実体的に作り出すこと。
農家が消費者・市民の食を支え、消費者・市民が農家の持続的生産活動を支える。その為に、農民と市民が、職業や政治の壁を越え、互いを支えあえる関係を作り出そう。その為の行動を起こそう。まさに今、この機会を失っては二度と創れない。
まず消費者、市民に呼びかけたい。近い範囲に、イザという時の為の「かかりつけ医者」というのがあるが、これからは「かかりつけ農家」の時代だ。それを面的に広げ、共に『食といのちの関係を作ろう。(前号のフェースブック参照)
「近くにはビルばっかりで村がない」と嘆く必要はない。関係を地理的に広げるばかりではなく、「つながり」としても広げよう。辿(たど)って行けばどこかで村や農民にたどり着けるはずだ。そこから始まる交流から温かい関係を築いて行けばいい。
急いで辿ってほしい。農家が離農を決意する前に!今や「絶滅危惧種」と言われるまでに追い詰められている農民達。
それも中・山間地の農民たち。彼らに離農を思いとどまらせることが出来るのは消費者・市民たちだ。もちろん崖っぷちでとどまっている我々農家も力を尽くす。
つながろう! 希望が小さな時代に!
2025.11.08:
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少し恥ずかしいですが、76才になりました。
たくさんの誕生祝いのメッセージを頂きました。ありがとうございました。この歳での誕生祝いは少し恥ずかしいですが、76才になりました。
アッチコッチに傷と故障を抱えてはいます。だけど元気です。この元気が続く限り、これからも誇りある日本の百姓の一員として、農業処分・小農切り捨ての嵐に抗して歩んでまいります。
大、小、非農家、市民問わず、日本の農業を守らんとする仲間たちとともに!いつまでも!みんなでなるべぇ、柿の種
<注>柿の種
雪をかぶった柿の実がぶら下がっている。
こんな光景をみるといつもの柿の種の話を思い出す。
ふふ・・、オレの創作話だけど・・。
今にも落ちそうな柿の実に聞く。
お前の今の気持は?
「俺は危機のなかにいる。情勢は非常に厳しい。希望を見いだせない。」
今度は柿の実の中の種に聞いてみる。
「希望が近づいたぞ。俺たちの時代がやってくる。」
同じ柿の中にはまったく違う物語がある。
柿の実から絶望を語るのも、種の立場から希望を語るのも、どちらも現実だ。
だけどこの両者の違いは大きい。
みんなでなるべぇ柿の種。
みんなでなるべぇ柿の種。
2025.11.08:
kakinotane
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食といのちの自給圏
農業政策には、「産業政策」と、「地域(づくり)政策」の両面がある。
しかし今の日本には規模の拡大を進める産業政策しかない。
そこに地域政策を取り戻す。
地域政策の課題は、地域農業と教育、福祉、健康、市民参加をつなぎ、市民の台所や、学校給食、病院などをつなぐこと。
俺は山形県長井市の「レインボープラン」(乞う、検索)や置賜自給圏を通して実際にその道を歩んできた。
地域の為の農業。生きる為の農業。市民が健康に暮らすための農業。
つまりは地域社会農業だ。その全国的な連携を軸に日本農業を立て直す。
この視点に立って、まず、都市の消費者に呼びかけたい。
共に「食といのちの自給圏」を作ろうと。
ここで言う自給圏とは地理的概念ではない。人と人との関係性を表す概念だ。
都市の生活者と全国各地の農民、農村が相互に連携して、共に「自給圏」を作って行こう。
食料危機が予見される都市の暮らしと、危機の中にある農村、農民が具体的、実体的につながることで、食と農の希望を足元から創り出して行こうとする。
求められている政策の一つはここだろう。
2025.10.09:
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ため息がでる美しさ
朝晩に肌寒さを感じるようになってきた。
盛んに鳴いていたミンミンゼミやヒグラシの声はもう聞こえない。
代わって鳴いているのは秋の虫たち。
イワシ雲などの秋の雲が観られるようになってきた。
見渡す限り一面に広がる田んぼは、隅々まで黄金色に輝いていて、まぶしいほどだ。
後ろには朝日連峰の雄大な山並みが青く連なり、夕方ともなれば、それらは鮮やかな夕焼けを伴いながら、ゆっくりと群青色に変わって行く。
思わずため息がでる美しさだ。
やがてこれに柿やリンゴなどの色づく果物、山々や里の紅葉が加わって行く。
春、夏、秋、冬、全ての季節が美しい。
移り行く季節を五感いっぱいに感じながら、改めて田舎の豊かさ、ありがたさを思っている。
2025.09.21:
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ありがたいことです。
今年も暑い夏でした。
働く稲もずいぶん辛そうに見えました。
でも、その暑さに負けることなく、今年も黄金色の稲穂
をつけてくれました。
苗が成長し稲になる。一粒の種から一本の苗が生まれ、それがやがて20本前後の株となって穂をつけます。1本の穂におよそ80粒のモミが。春の一粒が秋の約1,600 粒に。一杯のご飯は約4000粒と言いますが、元をたどればわずか2〜3粒の種です。
人間の科学がどんなに発達しても、人工的には種一粒も作れません。すべては土と植物の恵みです。ありがたいことです。
菅野農園ではコメ作りの基本を、殺菌剤ゼロ、殺虫剤ゼロ、化学肥料ゼロに置いています。その為、一般農家が目標収量を10a あたり10俵(1俵60kg)に置くところを、7〜8俵と低く抑え、その分、密植せず、稲の根元まで日光が差し込み、風の通しの良い環境を作り、稲に無理を強いず、追い込まず、健康な稲の身体を作ることに置いてきました。
肥料も、ニワトリを飼い、鶏糞とレインボープラン堆肥を原料にして有機肥料を作ります。
一般的に、ニワトリが豚になったり、牛になったりするのですが、それも有機肥料を自給するため。そんな経営を有畜複合経営と呼んでいました。今となっては懐かしい言葉です。
菅野農園が小さいながらも、有畜複合経営として何とか続けて来ることができたのは、このようなコメ作りを支えてくれる消費者の方々がいてくれたからです。
これもまた、ありがたいことです。
...もっと詳しく
2025.09.17:
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一揆は東北に火が付いた
いよいよコメどころ東北にも「令和の百姓一揆」の火が付いた。
東北の一揆は秋田が早い。
稲刈りが終わる11月10日が決行予定と聞く。
秋田の次は山形だ。
いま、「令和の百姓一揆・やまがた」に向けての準備が着々と進んでいる。
決行日は11月24日だ。デモの後にシンポジューム:会場は山形市の「ビックウイング」。
秋田集会には新潟と山形の実行委員会からも連帯のメッセージをもって応援に駆け付けるはずだ。山形の集会にも新潟、秋田からも駆けつけてくれるに違いない。青森でも準備が進んでいると聞く。コメどころ東北での一揆の広がりと連携の拡大。
日本の農と食と農村を守ろうとする一揆はいよいよ正念場だ。
「時給10円」に象徴される低価格は、明確な意図を持った政策価格だった。ねらいは小農、家族農潰し。
「こいつらがいるから農地の団地化が進まない。まず小さい奴らを潰せ。そして農業から追い出せ。」
一時的に米価は上がるが、すぐに元の「時給10円の世界」に戻るだろう。農家潰しの政策には何の変更も加えられてはいないからだ。その政策はいよいよ勢いを増し、仕上げ段階に入ろうとしている。
果たしてそこに日本の食と農の未来があるのか?子どもたちと共に歩む、いのちの未来はあるのか?
俺には、どうしてもそうは思えない。思えないのは俺だけではあるまい。だからこその野火のような一揆の広がりであり、思いを共にする消費者、市民との連携の拡大なのだ。
暮らしと共にある農業、家族農を踏みつけて進む君たちよ!どんな社会(国)を創りたいのだ?それはどこに向かう社会(国)づくりなのだ?
一揆は米どころの秋田、山形、青森を経て、岩手、宮城、福島へと続くだろう。そこから再び全国へ。
小農・家族農の隣にはたたくさんの兼業農家、日曜農業、多様な市民参加の農業が続いている。
それは、人々と農の結びつき、いのちの世界の可能性につながっている。
だからこそ負けるわけにはいかないのだ。
潰れるわけにはいかないのだ。
2025.09.03:
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変形の夏休みの中にいました。
珍しく疲れがたまり、それに「夏風邪」が重なり、休み、休み、歩いていました。酷い暑さだったしね。ようやくいつもの歩みに戻りつつあります。
「どうした?FBも、ブログも更新されてないぞ!」
との叱責が届けられていたけど、どうにも身体が動かない。
ま、仕方ないな。人生、こんな時もあるさ。
変形した夏休みと思えばいいか。
すぐにエンジン全開と言う訳にはいかないけど・・。
皆様にはご心配をお掛けしました。
「今年の稲の成長は?作柄は?大丈夫?」
多くの方に聞かれます。農家に聞いてみたい気持ちは分かるのですが、返答に困りますよ。
「玄米にしてみないと分からない」がその答えかな。確かに今年の暑さは尋常ではありません。春からずっとです。その影響で、稲刈りの時期は大幅に早まりそうです。
ゆっくりと月日をかさねながら、稔(みのり)に向かって行くのではなく、この「促成栽培」のような、ハウス栽培のような・・そんな稲の環境が、味と収量にどう影響を与えるか?
俺は50年、稲を作り続けていますが、こんな年は始めての事なので分かりません。
この炙(あぶ)るような陽射しと、熱い湯のような田んぼの水。上と下からの熱の攻撃に稲は良く耐えてくれたと思います。
「俺だって生きるのに精いっぱいで、収量や味までは知ったこっちゃないなぁ!」と稲は思っているだろうな。
我が家の1000羽の自然養鶏(放牧養鶏)のニワトリたちは・・
産卵にブレーキが掛かったままです。鶏舎を開放しても、陽射しの外には出たがりません。鶏舎の中で冷たい井戸水ばかり飲んでいます。これも仕方ないですね。北海道ですら暑さの中で3000羽のニワトリたちが死に、ここ山形県でも牛12頭が死んだと言いますよ。
日本の熱帯化!地球が狂い始めています。(狂っているのはそこまで追い込んだ人間の方か?)
と言う訳で、多くの方にご迷惑をお掛けしたと思います。もし、何らかのご依頼を頂き、返答せずにいましたら、そんな訳ですので再度ご連絡頂ければと思います。
みなさんも無理をせずに、ご自愛ください。
2025.08.22:
kakinotane
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日刊ゲンダイのインタビューに応えて
友人、知人のみなさま
日刊ゲンダイのインタビューに応えたものが
記事になりました。
ざっくばらんに応えたものですので
読みやすいかと思います。
どうぞご笑覧ください。
菅野芳秀
(リード)
全国から集結した約30台のトラクターが東京の繁華街を疾走した。3月末には総勢4500人が参加、各地に広がる一揆デモの先頭に立ったのはを率いるのは、この人。山形・長井市で自然養鶏1000羽を飼育しながら、水田5任鮃未構朶跳診清箸魃弔燹身長191臓体重100祖供8悗蠅鮖って「百姓」を名乗る巨漢が、絶滅の危機にある日本農業の現実を切々と訴える。
(本文)
ーー生産者目線で小泉農政をどう評価しますか。
あれが農政と言えるのかい? コメが高いの、安いの、それだけだ。5繊瓧横娃娃葦濮宛紊糧蓄米放出は消費者向けの対症療法に過ぎない。生産者の環境は相も変わらず。去年より今年、今年より来年と確実に悪化していく。何も希望は持てない。あと5年もすれば日本のコメ作りは再建不能になる。深刻なんだ。
ーー危機の要因とは?
百姓の絶対数が足りないんだよ。戦後の農地解放で誕生した475万戸の自作農が今や100万戸を切ろうとしている。私が26歳で帰郷・就農した時、集落にコメ農家は35軒あったけど、現在は9軒。離農に次ぐ離農だ。現役の重太郎さんは83歳、建ちゃんは85歳。75歳の私が冗談じゃなく「若手のホープ」と言っていいほど。日本のコメ農家は団塊の世代が中心だ。
ーー後継者不足の問題は深刻です。
「俺たちの代で終わり」と見限って皆、わが子を別の職に就かせている。ここ1年の米価高騰で、集荷時に農協が一時的に支払う「概算金」は60繊瓧泳6000円程度。最終的に清算金が入って、2万5000円行けばいい方かな。それでも、わが子に「一緒にやろう」と言える額ではない。一時的に上昇しても、続かなければ無意味だ。
ーー根本的な解決にはなりませんよね。
「令和のコメ騒動」と言われる危機も、まず政府の減反政策が背景にあり、生産者の高齢化と生産力低下が重なった。改善するには「農業で暮らしていける」「所得補償を充実させる」というメッセージが必要だけど、それだけでは若者は耕地に帰ってこない。何より誰も信頼していないんだ、日本の農政を。失望と不信感は拭えないレベルに達しているのに、小泉農相が推し進めているのは、その場しのぎの人気取り策だけ。彼に抜本改革を実行するだけの力量があるとは思えない。
ーー備蓄米が底を突けば、ミニマムアクセス(最低輸入量)米の放出、さらにはコメの輸入枠拡大に道筋をつけたがっているようにも見えます。
実に安直な政治だね。この国の豊かな水田を生かさず、なぜ海外に頼るのか。自国の農業を強化し、消費者を不安にさせない生産体制を構築すべきで、国民の食と命を支える国づくりの根幹を放棄したも同然だ。手っ取り早いからとアメリカや韓国から輸入し、今のコメ不足を補うことしか考えていない。政治の怠慢だ。まだトランプ米大統領の「自国第一」の方が、よっぽどマシ。日本も国際政治に左右されず、自給できる体制を築き上げなければいけない。
ーー一方で、政府は水田の集約・大規模化を奨励しています。
水田は工場と違って引っ越せないんだ。コメ農家は与えられた自然環境と共に生き、工業のようにコストや効率だけでは割り切れない。ましてや、日本の国土面積の約7割は中山間地域。そこにコメの耕地面積、総生産者数、産出額のそれぞれ約4割が集中している。大規模化に適する平場の水田は限られ、今や中山間地域がフル回転しなければ1億人以上の食料は賄えない。効率最優先で平場の水田を集約しても、中山間地域が廃れてしまえば水は届かなくなる。山から里に水が流れるのは自明の理じゃないか。
ーー確かにそうです。
コメ作りの半分は畔や水路の整備だ。放っておけば藻や水草がどんどん育つから、手入れは怠れない。他人に耕地を預けた高齢の元農家もボランティアで参加し、地域を挙げて手伝う。水田に水を引くことで洪水防止の機能も担っている。中山間地域の水田が荒れ放題になれば平場の水田も死ぬ。大規模農家や法人が遥かな山に分け入って水路を管理するのかい?
ーー大規模化一辺倒の風潮は危ういですね。
今の農水省は1反あたりナンボと利益しか求めない。でも志を持つ官僚はいるはずなんだ。過去に頼まれて、新規入省者のキャリア相手に講演したことがあったけど、農家出身が結構いたよ。両親を始め苦労の割に見返りが少ないから、何とか変えたいと語っていた。残念ながら、彼らが農政の中心に立っていないんじゃないか。農業を知らない官僚や世襲議員が中心で牛耳り、そろばん勘定の農政を無理やり現場に当てはめるようとする。だから農家はやっていけず、農業と地方が衰退していくんじゃないかな。んだ。
ーーコメ農家の時給は10円とも言われています。
農水省はコメ農家の時給を直近の2023年で97円と公表している。その前は2年連続で10円だった。とても暮らしていける額じゃない。封建制の頃は「百姓は生かさず、殺さず」だったが、今や「生かすな、殺せ」だ。それでも農家を続けているじゃないかと言う人もいるが、平均70歳超では転職もムリ。それにコメ作りは単なるビジネスじゃない。だから、祖先が汗水垂らして守り抜いた水田を後世につなぐ使命感から、採算度外視でやってきた。それが百姓の暮らしとはいえ、この苦労を子どもたちに受け継がせたくはない。もう「タスキ」を渡す相手がいないんだ。羊かんを切ったようにプツンと後継者がいなくなる。縄文時代に始まったコメ作りの伝統と文化が途切れようとしている。まさに有史以来の危機だ。
ーーもはや日本のコメ作りは維持できないと?
その土地、土地で習得した技術を磨きながら、地域の人々と連携して何百年、何千年と受け継がれてきた知恵の集積が消えようとしている。あと数年で耕作放棄地はどんどん増えていく。今も「いい田んぼだな」と思える土地がほったらかしだ。今さら減反政策を転換しても、にかわにコメは作れない。あと5年もすれば百姓が消え、村が消え、千年の知恵が消滅する。その後に若い新規就農者が現れたって何もできやしない。小泉農相は有史以来の危機を理解しているのか。「瑞穂の国」が滅びるってことだよ。
ーー克服には20〜30年単位という相当な年月がかかりそうです。
コメが足りなくなれば、よその国から買えばいいって、それは持続可能なのか。日本の経済力は衰退の一途だ。いずれ買い負けする。他国依存は食料危機へまっしぐらの倒錯した発想で、あり得ない。誰もが命は大切なのに、それを保障する食の持続性を真っ先に考えないと。いざとなれば、百姓は家族や友人を食わせるだけのコメを手作業でも作れるけど、大都市に暮らす人々はどうするのさ。真っ先に飢えるのは、都会に住む人たちだよ。それが食料危機の本質さ。餃子ライス?を注文すれば、いつでも出てくるって発想じゃあどうにもならない。
ーー消費者の意識も問われています。
それでも農業に関心を持つ人が増えているのは嬉しい。小さな関心を機に、農家と直接つながってくれれば歓迎するけど、タダ働きするわけにはいかない。国は新規参入しやすいように欧米並みの所得補償を与え、小規模農家を国を挙げて支援する必要がある。
ーーそうすれば多様な担い手が生まれますね。
(ズボンのポケットから数珠を取り出し)実は時々、鹿児島・知覧の「特攻平和会館」に足を運ぶんだ。私はね、当時二十歳前後で散った青年たちの子ども世代。自分たちの死は無駄じゃない、と彼らが託した未来を生きる一人として、ふるさとの荒廃を前に何もできないのは申し訳が立たない。「お国のため」と言われ、犠牲となった人々を考えれば本当は使いたくない言葉だけど、あえて言うよ。今の日本は食と命の「国難」にある。百姓がまだ残っているうちに早く手を打たないと、この国は滅びる。だから「令和の百姓一揆」は命がけさ。ぜひ国会議員も超党派で農業の復興に取り組んでほしい。食と命の問題を政争の具にしてもらいたくはないね。
(プロフィル)
▽かんの・よしひで 1949年生まれ。百姓 在学時から成田空港建設に反対する三里塚闘争へ参加。老若男女が村を挙げて農地を守ろうとする姿に感化され、帰郷と就農を決意。1988年から家庭の生ゴミを堆肥化して育てた農産物を市民に供給する「レインボープラン」の礎を築き、世界42カ国から3万5千人以上が視察に訪れた。アジア農民交流センター共同代表 置賜自給圏推進機構共同代表 他。
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2025.06.28:
kakinotane
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メモ
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「ぼくのニワトリは空を飛ぶ〜養鶏版〜」
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質問に答えて
ある団体の求めに応じて話したものです。長い文章ですし、今までも同じような発言を繰り返していますから、「もう分かったよ」という方も多いかと思います。いまさらという方は飛ばして下さい。
――今年4月、東京都内をトラクターでデモ行進された。その意図は…。
菅野 日本型農業は再生不可能なほどに解体され、傷ついている。このままでは日本から農民がいなくなる。村がなくなる。農民の作るコメを始めとする作物が消えて行く。それもこの国の主人公である国民の知らぬうちに。この機を逃してしまったのでは、もう再生も不可能だ。急いで国民に真意を問わなければならない。そこで「令和の百姓一揆」を敢行した。
振り返れば、戦後の農地解放で475万戸の自作農が誕生し、それ以後、地主に変わり、彼らが中心となって日本の食料生産を担い、文化を守り育て、農村を維持してきた。美しい農村的風景もその産物だ。しかし、1971年の減反政策を皮切りに、政府は一貫して離農を促進し、日本農業の主軸であった自作農を切り捨て、規模拡大を進め、農業の再生産構造を破壊してきた。最近ではIT技術を駆使して更に農民を追い詰め、「効率化」を図ろうとして、いわば「工業的農業」を進めてきている。しかし、大規模化と工業的農業が可能なのは、耕地の3割程度だ。7割の耕地は中山間地にあり、特にその内の5割は山沿いに広がっている。それらを丁寧に耕してきたのは自作農たちだ。その自作農の離農が止まらない。まさに日本の農業が崩壊しようとしている。減反政策と、長年続いた米や乳価のあまりの安さがその背景にある。このままでは日本から農民が消えてしまう。警鐘を乱打して、国民に問わなければならない。「これが日本の国づくりか?」「これが国民の求めるところか?」と。それが、私たちが行った「令和の百姓一揆」だ。
――今の大規模経営の農業政策は、日本では非効率的で環境にも悪く、持続性も乏しいという事だが、何か解決策はあるのか…。
菅野 農水省は水田農業従事者の時給を直近で97円と公表している。その前年は10円が二年続き、その前年が207円だった。当然のことながら、暮らしていけることなど不可能で、そのため離農する農家が増え続けてきた。経営の厳しさは大規模経営とて変わらない。大きい分、生産資材や機械代金も嵩んでいくからだ。この流れを止めるためには、やはり所得補償しかない。少なくとも、国が生産費を補償し、再生産が可能になる環境を作る事が日本の農業再建の第一歩だ。
EUやアメリカではそれができている。穀物の市場価格が如何に変動しようとも農家の収入は補償され、その差額を国が補填する。それによって次年度も作付けが出来、後継者も確保できる状態を政策的に作っているのだ。
これまで時給10円と言われながらも農家が稲作を続けて来たのは、農家にとっての稲作が単なるビジネスではなく、祖先が汗水流して守り続けてきた農地を引き継ぎ、後世に繋いでいくという、中継のランナーとしての使命感があったからだ。だが、もはやそれも限界だ。使命感だけではお米を作り続けることができない。それが、離農が相次ぐ今の稲作の現状だ。
私には自公政権が一体どのような国づくりをしようとしているのかが分からない。だが、稲作農業を切り捨てる政策は根本的に間違っている。国民をいのちの危機に追いこんでいるからだ。早急にしなければならない政策は、生産農家の所得補償である。
「何か解決策はあるのか」の問いへの答えは、使命感をもって田んぼの隅々まで耕してきた戦後自作農を守ること。時の政権の農業潰しから日本農業を守ってきた。そこからの始めて、小農からプランター農園に至るまで「国民皆農」を促進することだろうと思う。
――在宅ワークで地方移住を求める人が増えている中で、農業に興味を持つ若者も多くなっている。農業従事者をもっと増やしていくために、補助金以外に考えられる対策は…。
菅野
農業に興味を持つ若者たちの存在はうれしいですね。彼らが求めているものはたぶん、自然の中での子育てや、農に根差した自給的くらし。できれば自分(達)の食べ物は、自分(達)で作りたいという事だろうか。多くの場合、彼らは農業で食いたいのではなく、まずは農業と共に生きたいのだと思う。よって彼らがやりたい農業は、農薬、化学肥料に依存した工業的農業ではあるまい。自然と共生する、自然の摂理を織り込んだ農的暮らしなのだ。
そんな彼らの為に我々ができることはなんだろう?まず、彼らに必要な家屋や農地を手にするための手助けや、作物づくりの為の技術的な支援などであろうが、ケミカル漬けになっている多くの農民の技術や感性では、彼らの求める助言はできまい。せいぜい要らぬお節介をしないようにすることかな。ただ農地の取得や家屋を一緒に探すことは近隣の農家の手助けがあった方がいい。
――農業協同組合(農協)の在り方について思う事は…。
菅野 インターネットの普及で生産者から消費者まで直接販売が可能になったのだからと、農協の存在に疑問を呈する声もあるようだが、たぶんそれは農業の現場を知らない人の声だ。稲作に関して言えば、農民が刈り取ったコメは農協によって一括購入され、集められた大量の米は農協の管理のもと低温倉庫で貯蔵され、適切な時期に中間卸に渡されていくという仕組みがある事で、農家は自分の作業舎に倉庫や品質を保つための大型低温倉庫を持つ必要がない。とくに、自分で販売する力を持たない小規模農家にとって、この仕組みは欠かせないものだ。
――米価格の値上がりと農協の関係をどのように見ているのか…。
菅野 米価が下がらない原因として農協の存在を指摘する声もあるようだが、関係がないと思える。農協のトップには農水省の関係職員もいる。農水省の意向と違う方針はとりにくい。それがまた、生産者の農協への不満と苛立ちの原因にもなっているのだが。
――地域と一緒に農業を立て直すことは「自給自足」につながり、それは結果的に日本の国防にもなる…。
菅野
これまで、時代の流れは「より多く開発し、より早く発展する事」を求めてきたが、これからのキーワードは「生き残る事」、つまり「生存」だ。米国がトランプ大統領のもと自国優先の政策に舵を切ってきたが、日本も自国民約1億人の食料を、例え天変地異が起こっても困らない様な農業政策に舵を切る事だろう。38%の自給率のままならば食料を持っている国のいう事を、ただひたすらに聞かなければならなくなってしまうに違いない。国の尊厳に関わることだ。またそれ以上に子どもたちのいのちの未来に関わることだ。そのためには、農民の離農の流れを一刻も早く食い止め、農地に農民がいて充分に生活していける当たり前の農村社会を取り戻さなくてはならない。
冒頭で東京でのデモ行進では、六本木や原宿などの若い人たちから嬉しい反応や声援をもらったといったが、よしんばこれから若者たちが農業に興味を持ってくれたところで、そこで暮らしていける保障が無ければ新規参入は難しい。
「隗より始めよ」という格言がある。大きなことを成すには、まず手近なことからという意味だと思うが、今、農業を担っている人たちが幸せでなければ、そこに人は集まらない。農の現場からプロ(農民)が逃げ出すようではそれも難しかろう。まず「農家に所得補償を」である。時給97円では、日本の未来に絶望しかない。
我々は政府、関係機関に向かって要請するだけではない。この日本農業の崩壊局面という日本国民の大きないのちの危機にあたって、思想信条、政党政派の違いを超え、大きな視点に立って大きな連携を創り出し、協力していかなければならない。その為の「令和の百姓一揆」だったのだ。我々も全力で頑張って行く。
2025.05.31:
kakinotane
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「ぼくのニワトリは空を飛ぶ〜養鶏版〜」
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麻野吉男さんの文章から
俺の最も親しい友人であり、熊野の百姓である麻野吉男さんが書き記した文章にこんな一説がある。面白いので紹介したい。
「これからはかかりつけの医者より大切なのは、かかりつけの百姓だ。いざとなった時、米びつを保障してくれる百姓を今から見つけておくことだ。しかし、日ごろ、買い叩いておいていざとなった時、頼ろうというのは虫が良すぎる。国産品をちゃんと評価し、盆暮れには届け物をすること。ちなみにワタクシは、カニとウニが大好物です。
「しょくりょうきき」――ああ、何と甘美で魅惑的な響き。いじめられ続け、傷ついた百姓の心は、ただひたすら、その日を待つのであります。」
いいねぇ。いつか俺もこんな風に書いてみたいものだ。でも、筆力と着想の違いは如何ともしがたいものがあるよ。
「菅野よ、お前の良さはココじゃないから・・」
こんな声が聞こえてきそうだ。
2025.05.23:
kakinotane
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「ぼくのニワトリは空を飛ぶ〜養鶏版〜」
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令和の百姓一揆実行委員会制作の短い動画
全国で展開された「令和の百姓一揆」の短い動画です.
3月30日に開催された令和の百姓一揆の全国まとめ動画を公開しましたのでご連絡いたします。
https://youtu.be/AQc6b91BUW4?si=BjAnisOG0iAnv0U-
令和の百姓一揆実行委員会
2025.04.25:
kakinotane
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