長井市中央地区公民館

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 玄子は小出の旧家川崎家の出身。若年のころから小出の俳人竹田太橘の
指導をうけ、後 俳諧修行の旅に出てほとんど全国を行脚すること20余年に
して故郷に帰りあまたの門人を取り立てた。幕末のころ置賜俳壇の第一人
者とあがめられた。碑の在る所は帰郷後の彼の庵の跡といわれる。

碑の句は 三つの内 一つ小さし 初茄子(なすび)

 明治3年7月永眠 76歳

昭和58年度設置。平成11年度補修補強。(つつじ公園内)





 この像は町治及び産業の振興にすぐれた功績を残した横山孫助翁の徳を
永く伝えるために、旧長井町が昭和5年9月町役場玄関前に建設したもので
ある。
 翁は元治元年4年の生れ、昭和4年8月29日病のため永眠、66才であった。

 翁の業績の一端を略記すると次のようである。
・明治22年長井町発足とともに町会議員に選ばれ終生町政に尽力。
・同 32年郡議員に当選、大正8年から郡制廃止まで同議長。
・同 42年から昭和2年まで県会議員、同参事会員として活躍。
・大正 7年長井町名誉町民に推さる。
・明治20年三由軒製糸場創設、地域の産業振興に尽す。
・同 29年公園の必要性を説いて小出地区につつじ公園の開設を実現。
 (松ヶ池公園と命名)
・大正 8年長井信用販売生産組合及び長井農業倉庫を設立。
・同 11年米沢織物商会を設立し長井紬の振興に尽力。
・同  9年県立長井中学校の誘致開校を実現した。
・同 10年長井実科高等女学校の設立開校を実現した。

 その他列挙にゆとりなく省略するが、像は昭和53年11月、翁のゆかりの
地としてここに移転された。

昭和58年度設置。平成11年度修復、再設置。(つつじ公園内)




 白竜先生は長井市時庭の出身。少年時代に長沼月峰について南画を
学び、後、福島県保原町の画家熊坂適山に師事した。
 明治2年上京(37才)。同17年以来以来東京に永住し、画業に専念し
独自の境地を開いた。その著「日本勝景画譜」は最も広く知られる。
出版当時ロンドンに開催中の万国博覧会に出品して優等賞を授与された。
明治30年、シカゴ万博博覧会に「小金井の春せい」等を出品し銅牌を
受賞したが、同31年5月24日病のため永眠。66才。

昭和58年度設置。平成11年度修復、再設置。




 つつじ公園を造る時の構想の原点は花作の豪農 鈴木七兵衛の築山一面に
植えられた白一色の琉球つつじの庭園の美しさであった。
 明治29年の白つつじ公園の建造と、42年の拡張・整備の二度にわたり、
横山孫助と梅津源吉等が「小出区の発展と町民の憩いの場造り」のために
協力をということで、七兵衛つつじの譲渡を誠意をこめて説得し移植された
のが、現在中央に植えられている白つつじの古木群である。
 この白つつじは、天明3年(1783年)の飢饉の時、窮民救済事業の1つと
して成木を、築山を造って植えさせたという話だから、700有余年の古木で
あろう。枝張りのよい大樹に真白な花をすきまなく開花させた時は、白雪
のような輝き見事である。

平成6年度設置。平成11年度修復。平成29年度再設置。(白つつじ公園内)



七兵衛つつじ(長井市観光ポータルサイト)


祭神:天照皇大神  例祭:9月15、16日

創建 今から約180年以前、館町四釜清五郎氏の先々代が伊勢の神宮に
参宮の折り、御分霊を申し受け、現在地に勧請したのが始まりである。
現社殿 昭和34年12月、神宮の神殿一宇を拝受して当社の本殿として
移築(東北地方では始めて)翌35年拝殿(神明造)幣殿改築、当地方
神宮崇敬の中心として鎮座、社標は伊勢神宮大宮司の筆になるもので
ある。

昭和60年度設置。平成12年度修復。




祭神:伊邪那岐尊(いざなぎのみこと)、伊邪那美尊(いざなみのみこと)
例祭:9月14、15日

創建 鎌倉時代の初め、長井時広の臣、大須賀長光がこの地に館を
構え(館町の起り)、加賀の国白山神社の御分霊を勧請したのが始
まりと伝える。室町期に宥日上人が阿弥陀如来を本地仏として祀った
という。米沢三代藩主定勝の時改築されたのが現社殿で、大正2年仁王
門を寺地に写し、石の大鳥居等を建てた。
 拝殿の社標は平田篤胤の筆。神木大ケヤキは樹齢700年といい市指定
天然記念物。

昭和60年度設置。平成15年度修繕。