高畠町観光協会

安久津八幡神社(歴史公園)を筆頭に
亀岡 一の宮、青龍寺(薬師堂)の
モミジ、イチョウなどが見ごろとなっており
赤、オレンジ、黄色、緑のコントラストが
大変綺麗です。
五百羅漢は天保6年(今から約170年前)、京都の仏師(庄司覚太一門)の作といわれ、酒田から最上川をのぼり長井から馬で運ばれてきた。その他に十六羅漢、西国三十三観音が安置されている。
 五百羅漢像は県内5ヶ所(山形市2ヶ所、鶴岡市、米沢市)あるが、この玉龍院の羅漢像は年代的に一番古いものである。

五百羅漢は天保6年(今から約170年前)、京都の仏師(庄司覚太一門)の作といわれ、酒田から最上川をのぼり長井から馬で運ばれてきた。その他に十六羅漢、西国三十三観音が安置されている。
 五百羅漢像は県内5ヶ所(山形市2ヶ所、鶴岡市、米沢市)あるが、この玉龍院の羅漢像は年代的に一番古いものである。
{PDF} ダウンロード 299.8KB_Adobe PDF

屋代村塾20周年を記念して農業講演会
「元気で未来のある農業〜政策やTPPを考えながら〜」が開催されます。
今後の農業、地域振興のヒントになる講演会に、ぜひご参加ください。

講師 屋代村塾塾長 堀口健治氏
日時 7月19日(金) 午後6時から
会場 高畠町中央公民館大会議室(2階)
入場無料
詳しくはPDFをご覧ください。

お問い合わせ
事務局(冨樫) 0238(52)1483
 平成5年4月、山形県にとって歴史上重要な埋蔵文化財及び、考古資料の展示を行うとともに、それらの収集・保管を目的として開館。
 周辺一帯は縄文時代から古墳時代にかけての歴史公園として整備され、国指定史跡の日向・大立・火箱岩・一の沢など洞窟遺跡を巡る起点として、また風土記の丘の中心施設としての役割をもっている「うきたむ」は、日本書記に表れる置賜の古地名である。

常設展示は、

* 置賜の遺跡
* 大谷地を囲む遺跡
* 縄文時代のタイムカプセル
* 古墳を造る人々

などのコーナーに分かれている。
 たて穴式住居に住む縄文人親子の生活がジオラマによって再現され、特に5000年前の押出遺跡出土の「彩文土器」が圧巻である。また、随時企画展、特別展、そのほか、研究会、土器造りなどが開催される。

開館時間 午前9時30分〜午後4時30分
入館料 大人 個人 200円 団体 150円
      小人 個人 100円 団体 70円
休館日 毎週月曜日・祝日(5/5、11/3を除く)・年末年始(12/28〜1/4)
山形県民限定のお出かけクーポン券事業がスタートしました。
1000円で2000円の商品が購入できるクーポン券を販売するキャンペーンです。
※1名1枚、購入した販売店での使用に限ります。
高畠町内では、よねおりかんこうセンター、道の駅たかはた、JR高畠駅(高畠町太陽館)売店の3店舗で販売しています。

是非ご活用下さい。
「チンは高安犬としての純血を保っていた最後の犬だった」の書き出しで始まる『高安犬物語』(動物作家:戸川幸夫氏)の直木賞受賞作の舞台になったところで、安産と無病息災の神としても知られ、犬をまつっている社としては全国でも珍しく愛犬の健康と供養に訪れる人も多い。

−由来−

 和銅年間(708年〜714年)都から役人が来て村人を集め「この里は昔から年貢も納めず田畑を作っていたが、今年から年貢のかわりに毎年、春と秋には子供を差し出すように」といい、村では大変悲しみ困っていた。
 ある年、文殊堂帰りの座頭が道に迷い、一夜の宿を頼んだところが、今年の人年貢を差し出す家だった。
 その夜、役人が現れ、ご馳走を食べながら「甲斐の国の三毛犬、四毛犬にこのことを知らせるな」と何回も念を押して帰るのを耳にした座頭は甲斐の国に使いをやり、三毛犬と四毛犬を借りてこさせ、いろいろ知恵を授け村を去った。
 村人は早速役人を酒席に招き、酔いが回ったところに、2匹の犬を放ったところ大乱闘になった。あたりが静まり返った頃おそるおそる座敷を覗いてみると、血の海の中に子牛のような大狸が2匹と多数の荒狸が折り重なって死んでいた。そばには三毛犬、四毛犬も息絶え絶えに横たわっていた。村人は必死に手当てをしたが、とうとう犬は死んでしまった。この村を救った犬を村の鎮守とせよとのお告げにより、まつったのが現在の犬の宮といわれている。
「チンは高安犬としての純血を保っていた最後の犬だった」の書き出しで始まる『高安犬物語』(動物作家:戸川幸夫氏)の直木賞受賞作の舞台になったところで、安産と無病息災の神としても知られ、犬をまつっている社としては全国でも珍しく愛犬の健康と供養に訪れる人も多い。

−由来−

 和銅年間(708年〜714年)都から役人が来て村人を集め「この里は昔から年貢も納めず田畑を作っていたが、今年から年貢のかわりに毎年、春と秋には子供を差し出すように」といい、村では大変悲しみ困っていた。
 ある年、文殊堂帰りの座頭が道に迷い、一夜の宿を頼んだところが、今年の人年貢を差し出す家だった。
 その夜、役人が現れ、ご馳走を食べながら「甲斐の国の三毛犬、四毛犬にこのことを知らせるな」と何回も念を押して帰るのを耳にした座頭は甲斐の国に使いをやり、三毛犬と四毛犬を借りてこさせ、いろいろ知恵を授け村を去った。
 村人は早速役人を酒席に招き、酔いが回ったところに、2匹の犬を放ったところ大乱闘になった。あたりが静まり返った頃おそるおそる座敷を覗いてみると、血の海の中に子牛のような大狸が2匹と多数の荒狸が折り重なって死んでいた。そばには三毛犬、四毛犬も息絶え絶えに横たわっていた。村人は必死に手当てをしたが、とうとう犬は死んでしまった。この村を救った犬を村の鎮守とせよとのお告げにより、まつったのが現在の犬の宮といわれている。