FPのひとりごと

FPのひとりごと
ログイン

連休に突入というのに
事務所で一人シコシコと仕事をしています

これでピーカンだったら若干ウジウジしそうですが
雨もシトシト降ってるんで『ま いっか』てな感じ


今朝 長男が家を出ていった・・

って 家庭内トラブルじゃありません
いよいよ 彼女との“新生活”の始まりです
そういや 俺も昔そんなことがあったなー なんてね


人の一生を花に例えてみれば
長男は 咲きかけの蕾ってとこ
これから先に 花が咲き実もつく
人生に勢いがついていく正に寸前 “いいねー”

そうすると こちとらはなんなんだろう
花も咲いたし実もついて その実が育って咲こうとしている
そんなー・・ それってもう枯れていくしかないってこと??
自然の摂理だから止むを得ないとはいえ これケッコーつらいねー
どうせ枯れて土に還るんなら せめていい“肥やし”になりたいもんだ


お隣のおやぢ殿も今日は営業中だ(いやいや 書き入れ時か)
ちょっと連休後の飲み会の打合せでもしようと申し入れたら
『いやー ちょっと・・』みたいな感じで見事に袖にされた

『そこんとこをなんとか』とすがったら

『下がれ 下郎!』と切り捨てられた・・  うそ

おやぢ殿 断りながらの口元にちょっと“ニヤリ”があった
どうも お客さんの予約がバンバン入っているようだ
U----m 儲かりの臭いがプンプンしてるぞ! おやぢ殿!!
『いそがしくて お客さんに迷惑をかける』なんて言っちゃって
自分ばっかりシコシコと  もうーっ ズルイ!

でも なんか ちょっといい感じ
春になって いつもの光景が戻りつつあるような・・

よーし 俺も回春だ!(買春っじゃねーよ!)
...もっと詳しく

2011.04.30:tnwコメント(1):[メモ/その他]
障害者でなにが悪い!!

いやいや
別に皮肉や文句や恨み言を言ってるわけではない

だいたい恨み言を言ってたらきりがない
これは障害者や高齢者にならなきゃわからいことだが
こんな片田舎でインフラの整わない街に住んでいると
バリアフリーなんて言葉がこんなに空疎に感じることはない
精神的な面を含めて“構えなければ”元々バリアフリーなんて存在しない


3年位前に 市会議員にバリアフリーマップを作ってほしいと頼んだ
入院しているときに見たのだが 米沢市の公共施設にはそれが置いてあった
市内の公共・民間施設や商店などのバリアフリー情報がマップになっていた
別にそんな大それたものではなく 低予算の(失礼!)手書きのやつだった
でも逆に身近で“使える”情報が満載で我々には大変ありがたいものだった
このくらいのなら いくら財政難のわが街でも大丈夫だろうと頼んでみた
議員はちゃんと聞き届けてくれて精力的に動いてくれた
彼が市議会で提案してくれて 市長がOKをした(と市報に載っていた)

それから3年・・・ いまだになんの痕跡もない
緊急度や優先順位を考えれば 後回しはしょうがないとしても
せめて我々の思いを聞いてくれたってバチは当たらんと思うのだが・・
逆に 必要としている我々に何も聞かないでできるものなのだろうか


最近 障害者を『障がい者』と表記することが多くなった
なにゆえに このような表記をするのであろうか?
『害』という字の有無で なにかちがうことがあるのだろうか
“害を及ぼす”みたいなイメージから害をはずしたのならお門違いだ
我々の身体や精神に障害があるのは間違いのない事実だ
それ以上でも それ以下でもない
事実を語るのになんの躊躇が必要なのか
そんなのは当事者にとってはどうでもいいことで
それよりは公共施設だけでもバリアフリーにしてほしい
一度 市議会を傍聴しようと思ったら エレベーターがなかった
車椅子は市議会の傍聴を阻止されているのと事実上一緒だ


『障害者』を『障がい者』になんてしてもらわなくてもいいから
せめて 一枚のバリアフリーマップくらい作ってほしいもんだ



2011.04.28:tnwコメント(0):[メモ/その他]
Spring has come !


今日 久しぶりに“おでかけ”した

いやーーー どこもそこも 春だね〜

そこいらじゅうで芽吹き 咲きかけている

まさに こいつぁー春爛漫 だ〜


なんだか ついこないだまでの大雪と寒さ

ついでに 震災のことさえ つかの間忘れさせてくれる

いやーーー やっぱり 春は春?だね〜

なんやかやで ずーっと沈んでいた気持ちが

パーっと開いて ホクホクになってしまった


どんなときでも春は来るんだね〜

なんだか 理由もなく『大丈夫!』と言いたくなる

被災者に 日本人に 日本に そして 自分に


『大丈夫!』  『絶対 大丈夫!!!』


2011.04.27:tnwコメント(0):[メモ/その他]
キャンディーズのスーちゃんが死んだ
まるっきりの同級生(同年齢)だった
ガンだったなんて全然知らなかったのでショックだ


私が初めて買ったレコードが『年下の男の子』
自分のことを歌われているようで胸がキュンとした
一人一人を見ると 正直それほどでもないのだが
3人まとまって歌って踊られると グッとくるものがあった
キャンディーズにはあって ピンクレディにはないものがある
それはなにかと言われると ちょっと言葉に窮してしまうが
敢えて言えば ブランドに固執しない潔さというところか
このへんのところは 山口百恵にも通じるところがある

キャンディーズは最初センターがスーちゃんだった
でも 残念ながら あまり芽が出なかった
そこで ランちゃんをセンターにして『年下の男の子』をリリースした
これが大ヒットして以来 左から“ミキ ラン スー”の隊列は不滅だ
ランvsスーで 何らかの確執があったって不思議はないところだが
結婚〜女優への途を見ていて ライバル意識があったのは間違いないだろう
まあそんな些末なことはどうでもいい
ただただご冥福をお祈りするばかりだ


二週間ほど前のこと
介助付き入浴サービスを受けている施設で
『○○です! ○○です!』と自分の名を連呼する人がいた
私に向かって叫んでいたのだが 名前を聞いても誰やらわからなかった
名前の○○を噛みしめて ハッとした
えーっ ○○クン!!??
そこにいたのは私がよく知る友人の○○クンだった

重病で入院したのは知っていた
闘病中の入院先に何回か電話したが けっこう元気だった が
目の前の彼は ほとんど私と一緒か ちょっと重度に見えた
私で障害者手帳1級だから 彼も相当なもんだ
なにがどうなってこうなっちゃったのか・・ 

彼は病気などとは全く無縁の頑丈な男だった
空手の師範で 陽気で酒好きでちょっとHな普通のオヤジだった
仕事熱心なのが縁で 同じ異業種交流会の同好の士でもあった

なんで!  なんで?  私は理解に苦しんだ

病状悪化 → 症状固定 → 現状 ということなのだろうが
あまりの劇的な変化についていけず 頭が大混乱した

まだ彼と経緯や現状について じっくり話をしていないので
現状についてだけをどうこう言うべきではなかろうと思うが・・

“人生なにがあっても不思議はない” つくづくそう思う
(私が言うのも なんだけどね・・)

2011.04.25:tnwコメント(0):[メモ/その他]
なんで こんなに忙しいんだ たまりません

2011.04.22:tnwコメント(0):[メモ/その他]
おやぢ殿になんと言われようと断固続けます!!
(すんません これで絶対終わりにしますから・・・)


井上陽水 『最後のニュース』

 “ ・・・・・・・・・・
  熱い国の象や広い海の鯨
  滅びゆくかどうか誰が調べるの
  原子力や水や石油達の為に
  私達はなにをしてあげられるの
   ・・・・・・・・・・   ”


“原子力の為に” “なにをしてあげられのか”

   『・・・・・・・・・・』

私にはわからなかった
何故に原子力にまで情をかけねばならんのか
私の中の原子力は 原潜であり ICBMであり 広島・長崎だ
いくら原発が平和利用だといっても それは表の顔に過ぎない
裏の顔   それは言うまでもない
人類史上最悪の発明 無差別・大量殺戮兵器としての原子力だ
こんな極悪人にまで何故に情をかけねばならんのか
でも この一連の原発事故の中で段々とわかってきたことがある


地球温暖化やECOの問題を語るとき
石油や石炭の燃焼によるエネルギー消費は
忠臣蔵での吉良上野介のように いわば敵役になってきた
ソーラー 風力 水力 などの“地球に優しい”派と対極にあった
でも 石油や石炭は『化石燃料』と呼ばれている
動植物の死骸の堆積なのか 元々あったのかは別にしても
地球上に自然な形で存在していたことだけはまちがいない
ということは 石油や石炭にはなんの罪もない
ただ人類の為に 燃やされエネルギーとなってきただけだ
その結果として炭酸ガスを発生するからといって悪者にされる謂れはない
自分達の繁栄の為に後先も考えず大量に燃やした人類が悪い

ということは原子力だって同じことだ
ウランは単に鉱物として地中に静かに存在していただけなのに
人間にいいようにいじくりまわされたあげく
地球上で最悪の無差別大量殺戮兵器となってしまった
こやつの被害 人間だけに及ぶのならいざ知らず
生きとし生けるものすべてにとんでもない被害を及ぼす
ウランや 人間に勝手に作られてしまったプルトニウム
こいつらにはまったくもってなんの罪もないのに
いつの間にか 地球上でヒットラー級の悪者にされてしまった

日本人はその昔 物にもみな神が宿ると考えてきた
ならば 水にも石油にも そして原子力にも神は宿っているはずだ
勝手に使い回してきて 今度は手に負えないからと廃棄するって
あまりにわがままがすぎやしませんか

いまの現場の惨状と近隣住民や環境のことを考えれば
閉炉の方向性はもちろん当然のことではあると思うが
まずは原子力を最終兵器に転用した非(非道)を詫びるべきだ
広島・長崎に 死者に 今生きているものに これから生まれるものに 
そして開けてしまったパンドラの箱の蓋を全人類で封印すべきだ
その後 原子力の為に私達がなにをしてあげられるのか
これまた全人類で真剣に考えるべきだ
そうでなければ尊属殺される原子力も浮かばれまい

...もっと詳しく

2011.04.08:tnwコメント(1):[メモ/その他]