FPのひとりごと
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成長神話 低迷実話
先日 ラジオを聞いていてハッとさせられたことがあった
バブル崩壊以降しか知らない世代は
日本が成長していくところを見たことがない と
不景気で停滞している日本しか知らない と
『 ! 』 まさに“耳から”うろこだった
いやー そういうことだよねー 言われてみれば
バリバリだった頃の日本を知らない世代 いるんだねー
思えば 我が世代は『右肩上がり』しか知らない世代だ
物心がついてからは
東京オリンピック
高度経済成長
大阪万博
JAPAN AS No.1!
(こういうふうに書き連ねていくと 今の中国みたいだねー)
オラオラオラと肩で風切って ブイブイいわしてた時代だ
高失業率とか 就職難とか 就職氷河期とか言われている昨今
頭では理解できているつもりだし 勿論 事実に違いはないのだが
“仕事がない”という実態を現実として受け入れることができない
だって 選り好みさえしなければ仕事はいくらでもあったんだもの
そんな感覚で社会人時代のあらかたを過ごしてくればそうなるって
昇給がない ボーナスがない・・ U---m 信じられない
我がサラリーマン時代は こうだった
まず定期昇給は大前提としてあって 全く別口でのベア交渉だ
(ベアとはベースアップのこと 基本給部分の昇給額のこと)
で さらに 臨給(ボーナス)の年初一括協定(年間月数交渉)があった
いずれの項目も前年以下などということは労使共に全く想定外だった
というより上昇率の幅や昇給の額をどうするかで交渉した
『実質給与』とかいう究極のサラリーマン寄りの考え方があった
インフレ時代に“普通に”昇給していたのではインフレに飲み込まれる
インフレでの物価高を吸収する実質的な昇給を目指すというものだ
なんのことはない 普通の昇給にインフレ率分を乗っけるってことだ
こんな 今では夢のようなことが ごく普通に行われていた
ごく普通に・・
バブル崩壊を1991年とすれば そこから現在までは20年だ
この二十年間 日本は ずーっと低迷したままだ
経済だけならまだしも 政治の世界も混迷の闇の中だ
この二十年間に社会人になった世代の人にとって
日本という国は その目にはどういう風に映っているのだろうか
我々中高年の目に映る日本とは明らかに違っているんだろうと思う
私だって 日本の国力の衰退は頭ではわかっているつもりだ
でも どこかにまだ“こんなもんじゃない”と信じている部分がある
理屈抜き根拠レスの『陽はまた昇る』を無邪気に信奉する自分がいる
我々のカラダには成長神話が染み付いているのだ
このところ ずーっと感じてきたジェネレーションギャップ
それは なぜ目一杯がんばらないんだろう?という思いに凝縮される
君達! いま ここで がんばらずに どこでがんばるんだよ と
でも がんばった先のビジョンが展望できないような社会で
ただ闇雲にガンバルことに疑念が生まれるのはある意味当然だ
我々は ばかみたいに闇雲にがんばってきたが
それは成長神話を無邪気に信じられる土壌があったからだ
先に行けば行くほど暗い未来予想図しか描けない今の日本で
成長というものを実感したことのない若い世代に
ただ『ガンバレ!』と叱咤するのは“お門違い”もいいところだったんだ
やっと そこんとこ(=悲しい現実)に気付いた
しかし
『がんばる』は日本人の美徳だ
がんばらない日本に なにが残るのだろう
がんばることしか自己実現の方法を知らず
がんばることの先にしかユートピアの見つけ方を知らない我々は
これからなにを目的として生きていけばいいのだろうか
わ か ら な い
しょうがないから“がんばって”考えていこう・・
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2011.11.26:
tnw
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ちょっと嬉しい出会い
中年のおっさんが“出会い”などと言えば
怪しげな“出会い”かよっ! と疑われるところだが
残念ながらそんな元気はない(←これはこれで寂しいが・・)
我が家には 一日に2〜3回ヘルパーさんが訪問してくださる
私の身の回りの世話をいろいろとしてくださる方々だ
全員女性で ま ほぼ同世代の“おばちゃん”だ
もう家族みたいな間柄の方も多く 当方はお世話になりっぱなしだ
私が 職業訓練校で講師をさせていただいている話は
以前 ここに何回かアップしている(見たことない・・ 失礼しました)
『職業人講話』などという“コマ”で2時間ほど話をするのだが
求職中でスキルアップを目差す方々に(一応)職業人の先輩として
『仕事とは』とか『職業人とは』みたいな話をする
私にカタい話などできるはずもなく 2時間クダケっぱなしだ
だいたい6回も転職した変節の男に職業人を語る資格があるのだろうか
唯一の救いは どの仕事も目一杯やってきた自負があるということだけ
そこんとこを力説して『人間 その気になればなんでもできる!』
などという猪木みたいなことを言ってケムにまいている
私の話 若い女性にウケたためしがない
自分の親父がくだまいてるようなもんなんだろう・・ ウケねえわな
でも なぜか 中年以降の女性陣には抜群のウケを誇る
ツボにハマった場合は 感涙にむせぶ方までいらっしゃる
世の中はわからないもんだ
昨日 新人のヘルパーさんが我が家にいらした
ベテランのヘルパーさんとの同行で 二度目の訪問だ
業務終了後に その新人さん(といっても年齢は私とタメ)
『私を覚えていますか?』 と聞いてきた
女性にこう来られると ちょっとドキっとするものだが
“ウニャ ムニャ ・・・”とごまかしていたら
『先生!』 と言われた
学生時代 学習塾で教えていたことはあるが
それ以外で 人にものを教えていたことなどないぞ と思っていたら
彼女は 職業訓練校(ヘルパーコース)の生徒さんだったのだ
当日は 日頃の恩返しとばかり お世話になってる施設のPRをしたのだが
彼女がそれを覚えていてくれて そこの施設を勤務先に選んだという
いやーー ちょっとドラマチックな展開に驚き感動してしまった
緊張しながらも溌剌として働いている彼女を見ていると
彼女の職業選択(大げさに言えば人生)に関与できた喜びと責任感を感じた
と同時に
こりゃいいかげんな“ヨタ話”はできんなー
と 我が身を戒めるのであった(たぶん無理だが・・)
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2011.11.25:
tnw
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脱ガリガリ君・・? ほんとにおしまい?
ビアフラ(の悲劇)を知っている世代は相当限られている
子供の頃のことなので 事情はよくわかっていなかったが
戦争による飢餓でガリガリに痩せた子供たちの姿が忘れられない
ふと なにげに見てしまった我が肉体
それは まさしくビアフラの難民となった子供たちだった
彼らは骨と皮だけのガリガリなのに栄養失調から下腹部が膨らんでいた
彼らには何の責任もないのだが それは正視に耐えられるものではなかった
我が肉体も 一度 筋肉をあらかたそぎ落として体重49kgになった後
暴飲暴食を半年間重ねたことで 9kg増の58kgとなったのであるが
(健常者には暴飲暴食にはならないが 基礎代謝の低い私にはそうだった)
その9kgは無駄肉や油脂となり 我が下腹部にへばりついていたのだ
まあ 自分のことだから言ってもよかろうが
この世のものとは思えないほどの醜い肉体であった
だって ガリガリなのにポッチャリおなか・・ 愕然とした
へこたれました とことん
つい一年ほど前まで ナル的ボディーをほしいままにしてきて
なにかそんな機会があれば 割れた腹筋を見せんばかりの勢いだったのに
(実際に そんなことをしていたら犯罪になっていたであろうが・・)
あまりの無様な変わり様に声を失った
でも そこが 原点になった
2011.11.24:
tnw
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告知を一発!
久々に告知を一発!
今週の25日金曜日夜7時〜9意
長井市本町の本町フェリカの1Fで
“まちの楽校”主催の『第7回 生命保険セミナー』が開催されます
講師を私が担当します・・
いやいやいや FPとして かなりまじめにやりますって
実は 毎回 セミナー終了後の館内清掃がたいへんなんです
参加者の皆さんの目から落ちたウロコが多くて・・
元保険会社社員のリアルな裏話は他所ではなかなか聞けませんよ
本来なら最低でも5千円くらいはいただかないと合わないんですが
コーヒーブレーク付きで500円と超破格です!
えっ それが市場原理ってもんだって?!
言うよねー
今回は 生命保険の裏側をあぶりだしてみます
生命保険加入の目的の一つに“万が一”に備える というのがあります
万が一というのは 1/10000 ということですよね
ならば 9999/10000=99.99%にはどう備えるの?
という 逆説的なテーマに取り組んでいます
千円と言いたいところですが
コーヒー込みで 600円の価値はあると断言しますので
興味とお時間のある方は おいでになってみてください
申し込みは 下記まで・・
まちの楽校 0238−87−0239
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2011.11.22:
tnw
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告知
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脱ガリガリ君・・? これでしまいか
入院した事のある方には 頷いてもらえると思うが
病院の食事というのは例外なく“まずい”
まず 味が薄い 味がほとんどないものもある
塩分・糖分・カロリー等の摂取制限という問題があるんだろうが
筋子・たらこ・塩辛を大好物とする小生としては“食った気がしない”
さらに 入院患者の平均年齢に合わせて 歯ごたえのないものが多い
端的に言えば『菜っ葉系』の『煮物』や『おひたし』が異常に多いのだ
こういう『味なし老人食』が入院中は延々と続くわけで
三日もすると 楽しいはずの食事が治療に思えてきて苦痛になる
私は この苦痛を9ヶ月も耐えてきた ほぼ拷問に近い
退院して 一応何でも食えることになった
スープまで全部飲み干したカップ麺の美味かったことといったらない
とにかく9ヶ月の反動で 食べるものすべてが新鮮で美味しかった
おかげで
退院直前 49kgだった我が体重は半年で58kgになった
たった半年で 9kgも太ったわけで とんでもないリバウンドだ
さて
この9kg分の“お肉”一体カラダのどこについたのだろうか?
この頃 私はマイボディーにはノーケア・ノータッチだった
もはや自分の“管理下”におけなくなったものに無関心になっていたのだ
でも ある日 入浴施設の鏡に映った我が身をなにげに見てしまった
この世のものとは思えなかった・・
2011.11.21:
tnw
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脱ガリガリ君・・? ふたたび
高校時代の私 ウエストが60cmちょいしかなかった
(どうでもいいことだが 藤原紀香のウエストとタメだ)
それで 身長が170cmを超えているのだから
誰に言われるまでもない 『ガリガリ君』だ
スラックスを買おうと思っても 紳士用にはサイズがなく
ときには 女性用のものを買わざるを得ないこともあった
(当時から“そういう”趣味があったんだろうって・・ かも)
特別 食が細いというわけではなかった
2時間目終了後に早弁し 昼は購買で調理パンを買って食い
部活終了後は高梨商店(学校そばのパン屋さん)で買い食いしてから晩飯
という 当時の男子高校生のカロリー摂取の標準形は維持していた
でも いくら食べても全然体重は増えなかった
大学生になった頃 体重は55kgくらいだったが
ガリガリに対するコンプレックスがあり とにかく太りたかった
こんなことを言うと 多くの女性と中高年に顰蹙をくらうのだろうが
突き出たポッコリおなかに憧れた まさに“ないものねだり”だ
炊飯器で炊いた2合のごはんを一回で完食するなどという暴挙をしながら
なんとか体重60kgのラインに達した 素直に嬉しかった
が
そこから 三十代後半まで 体重と体脂肪率の右肩上がりは止まらなくなり
ついには 栄光のメタボキングにまで登りつめるのであった
(ちなみに 体重はMAX70kg 体脂肪率は20%台後半だった)
で そこから今度は一念発起して脱メタボを果たし
鏡を見てうっとり自己陶酔するナル的ボディーを手に入れた後で
事故って ほとんどの筋肉を落としガリガリ君にまた逆戻りした
我が人生と同じく 急上昇&急降下のマイ・バディー・ヒストリーだ
で 今は って?
そりゃ がんばってまんがな アナタ! ・・ ?
2011.11.18:
tnw
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