スタッフヤマガタン(ヤマガタン事務局)

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山形市の夜景スポットとしてもおすすめ、山辺町総合運動公園隣接の伸びやかなニュータウンです。

緑ケ丘ニュータウンのホームページ
計画人口1,700人、計画戸数400戸

山辺町嶋ノ前土地区画整理組合
〒990-0321 山形県東村山郡山辺町大字根際504番1
TEL:023-667-1180 FAX:023-667-1181
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蔵王成沢西公園
山形県山形市蔵王成沢西1(ヨークタウン側)
蔵王をのぞむ新興住宅地の蔵王成沢西に大型遊具がお目見え。
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NHKの連続ドラマ「いちばん星」で紹介されたので覚えておられる方も多
いかと思います。日本で最初のレコード・スター歌手・佐藤千夜子(山形県天童市出身)の貴重なエピソードが記されています。

昭和のすたるじい流行歌(はやりうた)―佐藤千夜子から美空ひばりへ塩沢 実信 (著)

内容(「MARC」データベースより)
かつてレコード大賞審査員をつとめ、こよなく歌を愛する著者。昭和流行歌の歩みを深い郷愁とともに思い出させてくれるこの本は、激動の昭和という時代への熱き鎮魂譜でもある。カラオケで今も熱唱されるあの歌、あの歌手の吐息が、懐かしく聴こえてくる一冊。

目次

佐藤千夜子と中山晋平
藤山一郎と古賀政男
東海林太郎とディック・ミネ
淡谷のり子と服部良一
李香蘭と灰田勝彦
並木路子と吉田正
二葉あき子と岡晴夫
美空ひばりと江利チエミ
雪村いづみと春日八郎
石原裕次郎とフランク永井
橋幸夫と坂本九
都はるみと美空ひばり
ノスタルジィ流行歌の終焉

1897〜1968
山形県天童市出身
日本初のアイドル歌手「佐藤千夜子」の唯一のCD。素晴らしい名曲の数々が納められています。素直な歌い方、高音が魅力で感動を秘めた多くの人々に愛された佐藤千夜子を堪能できます。
昭和を飾った名歌手たち(1)佐藤千夜子
佐藤千夜子 CD ビクターエンタテインメント

内容(「CDジャーナル」データベースより)
{昭和を飾った名歌手たち}シリーズの第1弾は,ビクターの第1号歌手としてデビューした昭和初期を代表する歌姫。全曲モノラル録音,ノイズだらけの音,そしてたいして上手くもない歌。しかし,ひたすらノルタルジックな空気が妙に心地好い。

曲目リスト

1.東京行進曲
2.波浮の港
3.マノン・レスコオの唄
4.当世銀座節
5.旅人の唄
6.紅屋の娘
7.愛して頂戴
8.黒ゆりの花
9.さすらいの唄
10.母の歌
11.唐人お吉の唄(黒船編)
12.この太陽
13.影を慕いて
14.日本橋から
15.ゴンドラの唄
16.摩天楼


冒険家先生の課外授業

大自然が教えてくれた子どもの能力の育て方。世界的冒険家が極限の状態で体得した、幸せに生きるために大切なこと、生き延びるために必要なこととは。


大場満郎(おおばみつろう)

1953年山形県最上町生まれの冒険家。中学2年時に鷹匠の沓沢朝治翁に弟子入り、山形県立農業経営研修所に学ぶ。その後29歳まで農業に従事する。

1982年 冒険旅行を兼ねてアマゾン川6000km を筏で下り、周域の農業を視察。
1985年 グリーンランド西海岸1400km単独徒歩行。
1986年 北磁極往復900km単独歩行。
1987年 カナダ北極圏 2000km単独歩行。
1989年 冬期シベリア、カトウニ川単独歩行。
1994年 1995年、1996年と北極海単独徒歩横断に挑戦。
1997年 4度目にして世界初の成功。
1999年 南極大陸単独徒歩横断に成功。
2000年 5月山形に「アースアカデミー・大場満郎冒険学校」を開設。
2004年 「地球縦回りの旅」 (04~10年にかけて地球を縦に1周する環境教育の旅)第1回を挙行


現地の状況について「20年前に訪れた時は連日ブリザードが吹き荒れており、その風をスキーセールに利用できるかと思っていたが...地球ぐるっと縦回り

両極単独徒歩横断など、人類初の特異な体験を通じて学んだ自然に対する「畏敬、謙虚、感謝」の念を多くの人に伝えたい...アースアカデミー・大場満郎冒険学校


笑って死ねる人生がいい

南極大陸単独横断行

北極の日本晴れ―氷を歩いて2千キロ
茂吉晩年―「白き山」「つきかげ」時代
北 杜夫 (著) 岩波現代文庫

出版社/著者からの内容紹介

話題作『青年茂吉』『壮年茂吉』『茂吉彷徨』につづく「斎藤茂吉伝」4部作の完結編.偉大な歌人の最後の輝きを描き出す一方で,老い衰えゆく父親の悲しいながらもユーモラスで人間くさい実像を,作家北杜夫が身内ゆえに知りえた数多くのエピソードとともに浮き彫りにする.茂吉理解に新しい広がりを供する力作.

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

北 杜夫
1927年東京に生まれる。’52年東北大学医学部卒業。作家。歌人斎藤茂吉の次男。父の歌集やトーマス・マンの小説を読み文学を志す。’60年船医の体験をもとに「どくとるマンボウ航海記」を発表、同年「夜と霧の隅で」により芥川賞受賞。’64年「楡家の人びと」により毎日出版文化賞受賞。’98年本「斎藤茂吉伝」4部作により大仏次郎賞受賞

斎藤茂吉歌集 岩波文庫


参考●歌聖 斎藤茂吉(さいとうもきち)逆白波、赤光、白き山




http://history.yamagatan.com/#20050427094300
月岡公園
山形県上山市元城内3-7 TEL 023-673-3660
JRかみのやま温泉駅から徒歩約10分

上山市の中心部、上山城(月岡城)のある小高い丘全体、月岡城二の丸を公園としたもので、蔵王連峰を一望できる公園です。公園内にはお城と上山市内を見下ろし蔵王もたのしめる足湯があります。
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上杉謙信と上杉鷹山

花ケ前 盛明 (著), 横山 昭男 (著)
出版社: 河出書房新社 ; ISBN: 4309726259

内容(「BOOK」データベースより)
疾風怒濤の戦国時代に越後から関東にかけて一大領国を築いた謙信。米沢移封後の混沌の時代に瞠目の藩政改革を実行した米沢藩中興の祖鷹山。日本史上に光彩を放つ二巨人の生涯と業績を、つぶさに描く。

内容(「MARC」データベースより)
疾風怒涛の戦国時代に越後から関東にかけて一大領国を築いた謙信。米沢移封後の混沌の時代に瞠目の藩政改革を実行した、米沢藩中興の祖鷹山。日本史上に光彩を放つ二巨人の生涯と業績を図版で紹介する。

序説 戦国の名雄・上杉謙信と米沢藩中興の祖・上杉鷹山
第1章 上杉謙信、天下への夢
第2章 徳川家康に対峙した上杉景勝
第3章 上杉氏の米沢移封と米沢城下町
第4章 上杉鷹山の改革と二人の家老
第5章 上杉鷹山の実学と細井平洲

写真家/土門 拳(どもんけん)

1909〜1990
山形県飽海郡酒田町鷹町(現酒田市相生町)生

日本ではじめての写真専門美術館「土門拳記念館」には、生前、土門拳と親交のあったイサムノグチの彫刻、勅使河原宏の庭があります。展示作品は、ポートレート、報道写真、古寺、仏像など季節ごとに変わります。飯盛山、あじさいの美しい公園、心洗われる場所です。



<参考書籍>

古寺を訪ねて―東へ西へ

内容(「BOOK」データベースより)
戦前から車椅子生活になっても続けた古寺巡礼。シリーズ4冊目は、全国を撮り歩いた中から藤原三代の栄華・中尊寺、敬愛した夢窓国師ゆかりの永保寺、日本第一の建築と称賛した三仏寺など傑作を名エッセイとともに収録。巻末で、写真家西川孟氏が"人生の師"と助手時代を回想。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
土門 拳
1909 ̄90年。山形県酒田市生まれ。1935年、日本工房に入社、報道写真家としてスタートする。39年、はじめて室生寺を訪れ、翌年から古寺巡礼を開始。戦前戦後を通じ寺院の建築、仏像を撮り続け、好きなものだけを対象として、クローズアップしてとらえる

土門拳 腕白小僧がいた

土門拳 強く美しいもの―日本美探訪

木村伊兵衛と土門拳―写真とその生涯

木村伊兵衛と土門拳 写真とその生涯

内容(「MARC」データベースより)
昭和を代表する写真家、木村伊兵衛と土門拳。スタイルもテーマも好対照に見える二人が追い求めた写真とは、何だったのか。二人の比較を通して見えてくる、巨匠たちの新たな魅力。95年刊の再刊。
五一ラーメン大野目本店
山形県山形市芳野 TEL 023-632-2851
国際交流プラザビッグウイング、東京インテリアの近く
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山形県山形市旅篭町(山形市役所裏/山新放送会館隣)
TEL 023-625-0333
定休日/日曜日:祭日

人気メニューは、もり天、もり中天。
中華そば、冷やしたぬきもオススメ。
他に、支那竹ラーメン、チャーシューメン、もりそばなど

姉妹店>日大山形近くのまるごまるご
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イギリスの女性旅行家イザベラバードが、旅の途中山形県(置賜盆地)に入り「東洋のアルカディア(桃源郷)」と称賛したことは余りにも有名。その当時の山形県内の描写はリアリティがありユニーク。現山形市の近代化を讃える場面も。

イザベラバードの「日本奥地紀行」

平凡社ライブラリー
イザベラ バード (著), Isabella L. Bird (原著), 高梨 健吉 (翻訳)

内容(「MARC」データベースより)
文明開化期の日本…。イザベラは北へ旅立つ。本当の日本を求めて。東京から北海道まで、美しい自然のなかの貧しい漁村、アイヌの生活など、明治初期の日本を浮き彫りにした旅の記録。73年刊東洋文庫の再刊。

目次

初めて見る日本
富士山の姿
日本の小船
人力車
見苦しい乗車
紙幣
日本旅行の欠点
サー・ハリー・パークス
「大使の乗り物」
車引き〔ほか〕

画家/ 高橋貞二(たかはしていじ)

1954年、山形県新庄市出身。武蔵野美術大学で油絵、彫塑を学ぶ。卒業後、一貫して童画を描き続けている。日本児童出版美術家連盟会員。2001年、イタリア・ボローニャ国際絵本原画展入選。

作品に「こんにちは! 盲導犬ベルナ」ほか多数。現住所・埼玉県所沢市。

星をまく人

こんにちは!盲導犬ベルナ

さようなら!盲導犬ベルナ

がんばれ!盲導犬ベルナ
とんかつ三州屋青春通り店
山形県山形市飯田3丁目1-17 TEL023-625-3458
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命よ孫よ―骨髄移植をのりこえた家族の絆‐その全記録

本書は、著者の長男・健治の急性骨髄性白血病と著者の家族たちとの闘病記である。急性骨髄性白血病で倒れた長男は、奇跡的に父子間で型が一致し、骨髄移植が成功した。しかし、そのこと以上に家族の心を支えたのは、孫・慎太郎の存在だった…。闘病によって深まった家族の絆と孫への想いを綴る。(BOOKデータベース/MARCデータベースより)

第1章 孫・慎太郎誕生
第2章 息子・健治の発症
第3章 転院、闘う家族たち
第4章 運命の骨髄移植
第5章 『孫』が全国デビュー
第6章 骨髄バンクへの支援
第7章 さくらんぼ家族


大泉逸郎(おおいずみいつろう)
1942年4月17日生まれ、西村山郡河北町出身の演歌歌手。
昭和52年に東北・北海道民謡大賞、昭和55年には(財)日本民謡協会総理大臣賞受賞。これをきっかけに、カラオケ教室講師、結婚式の司会など幅広い活動を展開。平成11年4月21日、テイチクよりシングル『孫』発売。翌3月23日アルバム『孫 大泉逸郎ふるさと・祝い唄』発売。平成7年、長男が急性骨髄性白血病と診断され、平成9年に自身の骨髄を移植。手術の成功をきっかけに、骨髄バンクの支援活動を行っている。

まさに青天の霹靂、信じられなかったですね。と同時に、絶対に治すんだという気持ちでいっぱいでした。それでまず、家族や自分を励ますために『孫』のCDを8000枚作って、祭りや公演で歌いまくりました...U-zen巻頭インタビュー

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