最上義光歴史館

組み立て前の写真↑↑↑


三十八間総覆輪筋兜と三鍬形(みつくわがた)
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小鰭(こびれ)と面頬(めんぽお)
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籠手(こて)
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胴(どう)と腰紐(こしひも)
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佩楯(はいだて)
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臑当(すねあて)
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鉄製指揮棒「清和天皇末葉山形出羽守有髪僧義光」
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ヨロイ懸け
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▼さあ!!組み立ててみよう!!

佩楯をつける!!
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籠手をつける!!
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小鰭をつける!!
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胴を装着!!
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腰紐を締める!!
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面頬をさげる!!
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兜を据え、臑当を置き、指揮棒を携えて完成!!!
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【斎藤伊予守光則/さいとういよのかみあきのり】
〜太閤秀吉からの‘御預け人’?〜
   
 最上義光の生涯を書いた『最上記』(『山形市史 史料編1』収録)の末尾に、家臣団のリストがある。その中に異例の書込のある人物が一人いる。

  四千石
  太閤より御預け 斎藤伊予守

とあるのがそれである。
 4千石といえば、数多い最上家の家臣の中でも、20数位ほど。
 最上川舟運の便をはかるために、難所、碁点、隼、三ケ瀬を開削する工事では、責任者となって事業を完成させた。これは、慶長11年のこととされるが、当時出羽にはこうした工事のできる技術者がいなかったため、他国から大勢の石工を呼び寄せて仕事をすすめたという記録が、天童市高擶の願行寺にある。この古文書では、大石田と中野船町の川港を設けたのもこの時とされるから、斎藤伊予はその面でも業績をあげたのだろう。
 「最上川を否船(いなぶね・稲舟)が上下するようになったのは義光公賢巧の徳である」とも書かれている。
 慶長16年(1611)、義光が病気平癒のお礼に若松観音堂を再建改修したときは、普請奉行を務めた。そのほかにも、最上家の米の売買、新田開発、田畑の検地にも斎藤伊予はかかわっている。
 義光時代の分限帳では谷地四千石の城主となっているが、源五郎家信の時代には高玉城5千5百石となっており、最上家が改易された元和8年、領内の城館を接収した伊達家の記録では「高玉之城 斎藤伊予居城、五千石」となっている。義光の信頼あつく、その後家親3年、そして源五郎家信の時代にも、最上家を支える一かどの役職にあったわけだ。
 問題は、この人物が「太閤より御預け」だったという記載だ。
 大名への「預け」とは、政治犯やその一族が、地位を奪われて諸大名に預けられて監視下におかれる事態をさす。もしこの記載を信ずるなら、さまざまな想像がひろがる。
 太閤が亡くなったのは慶長3年である。その後、義光は彼の監視を解き、すぐれた才能を買って、改めてかれを高禄で召し抱え、重要な職務を与えたのであろうか。
 そこで想像だが、この斎藤伊予、ひょっとしたら明智光秀の重臣で、本能寺後の戦いで豊臣秀吉にやぶれて自刃した斎藤利三の一族ではなかったか。そういう立場にあった人物なら「太閤よりお預け」もありえる。
 もしそうだとすれば、かの有名な春日局(3代将軍家光の乳母)は利三の娘であるから、斎藤伊予とは身内同士ということになるわけだ……。
■■片桐繁雄著 
最上家臣余録 〜知られざる最上家臣たちの姿〜 


【本城満茂 (1)】


 本稿では、本城満茂に関わる考察を展開していく。本城満茂は、最上氏支族楯岡氏の出身で、義光の傘下に加わった後は最上勢の中核として各地を転戦し、特に仙北地方の係争において功績が大であった最上家家臣である。関ヶ原合戦後、最上家は庄内・由利地方を加増されたが、本城満茂は由利地方の統括者として同地に転封され、由利郡の統治並びに近隣大名の佐竹氏との折衝の窓口となった。由利郡に入封されるにあたって本城満茂は最上家最大である四万五千石の知行を配当されており、最上家中の重鎮としての機能を最上義光から期待されていた人物と捉えることができよう。なお、本城満茂は時期によって楯岡・湯沢・赤尾津と名字を変更しているが、本稿では原則的に「本城」で統一した。

 さて、本城満茂に関する先行研究は、前述した鮭延秀綱・志村光安に比べ蓄積が大きい。しかし、そのほとんどが関ヶ原後由利郡へ移封された後のもので、本城氏の家系に関する諸問題や本城氏が最上家家臣団へ組み込まれ、由利へと移るまでの動向はおざなりにされ、先行研究にも疑問点が多い。再検討を行うべき余地は大きいと言えるだろう。
 本城氏に関する研究に先鞭をつけたのが姉崎岩蔵氏である。姉崎氏はその著書『由利郡中世史考』(注1)で、古代から近世にかけての由利の歴史に関わる史料を収集、考察検討を加えたが、その収集作業のなかで本城氏の子孫と交流を持ち、残存していた古記録・系図・書状史料を見出し、世に出した。姫路酒井家の家臣本城氏が由利本城氏の後裔であることを決定付け、最上家統治時代の由利郡に関して本城城の築城時期を慶長十五(1610)年であるとし、新出の古地図を元に城下町の区画を検討した。また、楯岡氏と由利郡本城の地名についても触れ、楯岡氏の本姓が本城であり、これを在地名にした可能性を示唆している。

 姉崎氏以後、北国日本海沿岸地域の政治状況と中央政権・地方大名政権との関連を中心に据えた検討を押し進め、本城氏に関する問題を包摂したいくつかの優れた論証を発表したのが長谷川成一氏である。氏は『本荘市史』(注2)において、姉崎氏の行った考察の矛盾点を解消しつつ、元来由利郡に割拠していた国人衆がどのように最上氏領国へ組み込まれていったか、また移封された本城満茂が由利支配をどのように実行したかを検討し、由利本城氏に関する基礎研究に多大な成果をあげた。さらに、氏の論考で注目されるのが、幕藩体制成立期における出羽国の社会状況について考察した「慶長・元和期における出羽国の社会状況 ――山落・盗賊・悪党の横行と取り締まり――」(注3)である。慶長十四(1609)年に発生した越後「金鑿衆」(かねのみしゅう、金掘職人の意)が山落(やまおとし、山賊・盗賊の意)の手によって大量に殺害された事件をモデルケースにして、最上と佐竹の連携を示す書状史料を軸に、領主の司法警察権力と、山中に盤踞している武力小集団とのせめぎ合いを浮き彫りにしたこの論考は、本城氏の政略動向を検討しようとする本稿に大きな示唆を与えるものである。

 ただし、長谷川氏の論考はあくまで由利郡の支配を中心に据えたものであるから、本城氏が由利に入部する以前の動向や諸問題に関する検討は比較的手薄である。ゆえに、検討の余地があると思われる。
<続>

(注1)『由利郡中世史考』(姉崎岩蔵 矢島町公民館 1970)
(注2) 『本荘市史 通史編1』(本荘市 1987)
(注3) 『「東北」の成立と展開 : 近世・近現代の地域形成と社会』所収 (沼田哲 編 岩田書院 2002)


→本城満茂(2)へ
  《平成22年度10月分の入館者アンケート集計結果》

 この集計結果は平成22年10月1日から同31日の間に入館した利用者を対象に行ったアンケートを集計したものです。



        企画展示 (10/1〜10/31)

      開館日数 ・・・・・・・・・・27日間
      入館者数・・・・・・・・・3,023人
      回答者数 ・・・・・・・・・・268人


 1.歴史館をどこで知りましたか

 (1)旅行雑誌・・・・・・・・・・・・・・・・・21%
 
 (2)歴史館のホームページ・・・・・・・・・・・・3%

 (3)インターネット・・・・・・・・・・・・・・10%

 (4)新聞・テレビ・ラジオ等・・・・・・・・・・・1%

 (5)広報やまがた・・・・・・・・・・・・・・・・2%

 (6)知人から聞いた・・・・・・・・・・・・・・・5%

 (7)以前から知っていた・・・・・・・・・・・・21%

 (8)観光案内所 (駅など)・・・・・・・・・・・・15%

 (9)通りがかり・・・・・・・・・・・・・・・・16%
 
 (10)その他・・・・・・・・・・・・・・・・・・・6%


 2.歴史館の入館は何回目ですか

 (1)はじめて・・・・・・・・・・・・・・・・・86%

 (2)2回目・・・・・・・・・・・・・・・・・・・9%

 (3)その他・・・・・・・・・・・・・・・・・・・4%


 3.ご覧になられた感想

 (1)内容はいかがでしたか

   �‖臺僂茲�った・・・・・・・・・・・・・・・40%

   �△茲�った・・・・・・・・・・・・・・・・・49%

   ��ふつう・・・・・・・・・・・・・・・・・・12%

   �い弔泙蕕覆�った・・・・・・・・・・・・・・・0%


 (2)最上義光と最上家について

   �,茲�わかった・・・・・・・・・・・・・・・40%

   �△錣�った・・・・・・・・・・・・・・・・・56%

   ��わからなかった・・・・・・・・・・・・・・・2%

   �い匹舛蕕箸發い┐覆ぁΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΓ�%


 〜利用者の声〜

 ◎いろいろな疑問を持っていたが、ガイドの方からの詳しい説明で十分納得でき良かった。

 ◎義光公の本当の人間性を垣間見ることができた。

 ◎ガイドの方の説明が楽しく、良く理解できた。

 ◎丁寧の説明してもらい、有意義な時間を過ごすことができた。

 ◎最上義光という人物について知らなかったので、興味深く面白かった。

 ◎無料というのは財政面で大変かと思うが、このまま残してもらいたい。

 ◎ガイドの方に説明を受けたが、分かりやすく説明を受けたので理解できた。

 ◎解説が見やすく分かりやすかった。

 ◎義光以外の最上家について、もう少し展示資料が必要だと思う。

 ◎子供向けの解説もあり、皆が学べる展示で良いと思う。

 ◎城と義光、素晴らしい歴史を残して保存している事に感心した。

 ◎ボランティアスタッフの方の説明で良く分かった。

 ◎入口のところにボランティアが案内する事を掲示してほしい。

 ◎山形城の古い写真が残っている事に感動した。山形城について内部の様子等もっと詳しく知りたいと思った。

 ◎ぜひ、また来たいと思う。

 ◎ボランティアの方の説明が勉強になった。徳川時代の城主が次々代わる理由に「なるほど」と思った。

 ◎ガイドの方の解説が詳しくためになった。山形市の歴史の一部ですが、楽しく勉強することができた。

 ◎今まで「よしみつ」と読んでいましたが、「よしあき」と読むと認識した。

 ◎案内の方が話好きで面白く、いろいろ教えてくれて良かった。

 ◎最上義光について何も知らずに入館したが、係りの方がたくさん説明や解説等をしてくれたので、興味を持って見る事ができ良かった。

 ◎NHK大河ドラマの解説で紹介のあった、義光の弾痕のある兜を見ることができて良かった。

 ◎解説文の文字を、もう少し大きくしてほしい。

 ◎音声ガイドがあり、老眼で文字が見えない自分には助かった。

 ◎館内の照明をもう少し明るくした方が良いと思う。

 ◎文書が読みにくい箇所があった。

 ◎豊富な資料と分かりやすい説明等で良く分かった。

 ◎簡素で良く整理されたディスプレイが良かった。

 ◎郷土の先人が展示施設で紹介されているのはとても良い事だと思う。特に今から育つ子供達にとって大切な事だと思う。

 ◎コンパクトで見やすいと思う。資料も盛りだくさんで、自分にもっと歴史の知識があれば良かったと思った。

 ◎ボランティアの方に分かりやすく詳しく説明してもらった。自分達だけで見ていたら理解できなかった事も多かったと思う。

 ◎受付の方が大変親切で、良く配慮してもらった。解説の方にも詳しく教えてもらい良かった。