最上義光歴史館

【堀喜吽齋/ほりきうんさい】 〜主君の馬前で戦死〜
 
 最上家臣の中には、才能を認められて領外から登用された人物も少なくない。
 堀喜吽もそのひとりで、諸国を兵法修業して“今判官”といわれ、山形に来て義光の側近となっていた。『最上義光分限帳』では「高千石 堀喜吽」とある。
 もともとは筑紫(九州)の生まれだから「筑紫喜吽」と史書に書かれたのであろう。上方で兵法を修業して、さらには文化芸能の達者でもあって、それを認められて最上義光に仕えるようになったと推定されるが、前半生の経歴は不明である。
 京都で開かれた連歌の席には、主君義光と共に16回同席し、義光がなんらかの事情で参加できなかったときにも江口光清と共に1回出席した。計17巻、句数は102句で、最上家臣の中で最も多い。
 喜吽の名がはじめてあらわれるのは、文禄2年(1593)6月13日の連歌会である。このときには、主君義光、僚友江口光清とともに列席して5句を採られた。
 その一つ。紹巴の後につけたもの。

  同じ蓮となほ契らばや   紹由
  相思う心は更に浅からず  喜吽

 兵法修業のかたわら文化的な教養も身に付けていたのである。
 最後の作は慶長5年3月7日。

  松風の音もあらしに明かりはり 兼如
  苔路分け行く住まひ寂しも 喜吽

 慶長5年10月1日、山形西部の富神山付近で壮絶な追撃戦が展開された。
 退く上杉、追う最上。戦いは激烈をきわめ、上杉方の戦死者1580余、最上軍も623人が戦死(『羽陽軍記』など)。
 この戦いで義光は例の鉄棒を振り回し先頭にたつ。鉄砲の標的になるから前に出すぎるなと注意した喜吽は、逆に「臆病者」と言われ、「臆病かどうか見てくれ」とばかりに走り出たところを、左肩から右胸まで射抜かれて討ち死にした。
 喜吽の心配どおり、義光の兜にも敵弾が命中。危うく命を落とすところだった。弾痕のついた兜は、最上義光歴史館に展示され、激戦の模様をしのばせてくれる。
 喜吽没後に描かれた山形城内図に「堀道喜」という名がある。喜吽と関係があるようだが、各種分限帳にこの人物名は載せられていない。
■■片桐繁雄著
【最上義智/もがみよしさと】 〜吉良上野介と知り合い?〜

 最上家が近江大森(滋賀県八日市市)1万石になってからは、そこに陣屋を構えながらも当主は代々江戸城に勤めていた。義光の曾孫にあたる義智は2歳のとき父義俊を亡くし、
大人になるまでは半分でいいと、幕府から5千石に減らされ、あとは返されなかった。しかし名門の子孫ということで、元禄8年、義智は「高家」に列せられ、従五位下、侍従という大名クラスの官職についている。高家とは江戸城内で勅使接待など、特殊な儀式を担当する役目である。
 高家で有名なのは吉良上野介だが、これも最上家と同じく清和源氏の一流で、共に名門同士。江戸城内でときどき顔を合わせる機会があっただろうと想像されるが、惜しむらくは、両人の交渉を物語る史料はまだ見つからない。
 義智は義士討ち入り(元禄15・1702)の五年前、元禄10年に67歳で死去。したがって吉良上野の悲劇は見なかったことになる。
 大森の最上家陣屋の跡は、玉緒小学校の敷地となり、かたわらには「最上陣屋跡」と刻まれた記念碑が建っている。
 武村正義氏が滋賀県知事時代に書いた文字である。
■■片桐繁雄著
【最上義連/もがみよしつら】 〜勤皇家として活躍〜
  
 山形を去った最上家が、250年にわたって治めた滋賀県八日市市大森あたりには、今も最上時代の名残が残っている。
 丘のふもとの鎮守、大森神社には最上家の助成で建てられた舞殿がある。瓦には最上家の家紋や朝廷から許された菊花・五七の桐の紋が使われ、格調の高さを感じさせる。
 菩提寺の妙応寺には、最上家歴代の位牌が並ぶ。
 領内の村に伝えられてきた伝統芸能「最上踊り」は、滋賀県指定の無形文化財である。
 さて、江戸時代最後の当主は、最上駿河守義連であった。
 幕府の交代寄合に列し、文久3年(1863)には大番頭となって大坂在番を勤め、翌年の7月に起こった蛤御門の変に際しては、直ちに上京して皇居の警護にあたった。
 明治元年、戊辰戦争のときには朝廷に献金して尊皇の真情を表わす一方、山形の農民に対しては、官軍のために食糧を提供するよう働きかけたという。
 新政府がスタートすると、大森に明道館を設けて領民教育に尽力。版籍奉還の後は天皇家御陵の衛士に任じられてその職責を全うし、晩年は京都に出て悠々自適の生活を送った。明治22年没。政府は、従四位を贈ってその功を顕彰した。
 なお、現当主、最上公義氏は義連の曾孫にあたる。 
■■片桐繁雄著
【終わりに】 〜山形を愛した名君・最上義光〜
 
 山形が「山方」という文字で歴史に登場したのは10世紀の前半。これまで長い歳月が流れた。そして、ここ山形の地に、16・7世紀の大変革時代に最上義光なるすぐれたリーダーが生まれ出た。
 その成し遂げた業績の偉大さは、出羽の歴史上、前になく、後にない。しかも、豊かな人間味、敬虔な信仰心、民衆への思いやり……。まさに名君の名に恥じない。私たち山形市民は、もっともっと義光を誇っていい。
 残念ながら、改易された家であるだけにマイナス面がことさらに強調されてきたきらいがあるが、それを雪(すす)ぐのは私たち山形人しかない。
 山形の民衆と土地を、何よりも愛した、最上義光。
 「命のうちに今一度、最上の土を踏み申したく候。水をいっぱい飲みたく候。」
 「城堀の普請いたし候につけても、民の草臥(くたび)れとまかりなり候。」
 なんと、素晴らしい言葉であろうか。
 本書では、最上家にかかわり深い人物を紹介したが、ここからも義光の人間像をかいま見ていただけたのではあるまいか。
 義光を学ぶことは、私たち山形市民に誇りを与えるとともに、山形をいっそう美しく住みよい街につくりあげようとする原動力となっていくに違いあるまい。 
■■片桐繁雄著
「最上家をめぐる人々」は平成8年4月1日から平成11年4月1日まで山形市の広報誌「広報やまがた」に連載された原稿に新項を加え加筆訂正しながら、新たに片桐繁雄氏(元最上義光歴史館事務局長)が編集したものです。


最上家をめぐる人々 

【目次】

山形を政治の中心とした・・・・・・斯波兼頼  
最上三十三観音巡礼のはじまり・・・光 姫  
第九代山形城主・・・・・・・・・・最上義定
歴代最長期の山形城主・・・・・・・最上義守
戦陣の間にすわりこみ・・・・・・・義 姫
悲劇の美少女・・・・・・・・・・・駒 姫 
義光の妹義姫の子・独眼竜・・・・・伊達政宗
義光の妻たち1・・・・・・・・・・大崎夫人 
義光の妻たち2・・・・・・・・・・天童夫人 
義光の妻たち3・・・・・・・・・・清水夫人 
悲運の嫡男・・・・・・・・・・・・最上義康 
名門最上家の御曹司・・・・・・・・最上駿河守家親 
改易時の山形藩主・・・・・・・・・最上源五郎家信
水戸徳川家の重鎮となった・・・・・山野辺義忠 
兄・義光のために祈った・・・・・・楯岡甲斐守光直
秋田南部を舞台に活躍・・・・・・・本城豊前守満茂
俳人・松根東洋城の先祖・・・・・・松根備前守光広
信頼厚い譜代の重臣・・・・・・・・氏家伊予守定直・尾張守守棟
酒田繁栄の土台をきずいた・・・・・志村伊豆守光安
最上家臣団のエリート官僚・・・・・坂紀伊守光秀
重文の仏像にかかわり?・・・・・・鮭延越前守秀綱
文武にすぐれた勇者・・・・・・・・江口五兵衛光清
畑谷合戦で勇戦した武人・・・・・・谷柏相模守
最上家随一の豪傑・・・・・・・・・野辺沢能登守満延
徳島に伝わった最上の血筋・・・・・東根源右衛門景佐・親宜
大剛の老侍大将・・・・・・・・・・成沢道忠     
一城の主となった降将・・・・・・・下治右衛門
庄内開発の恩人・・・・・・・・・・北楯大学助利長
太閤秀吉からの�御預け人�?・・・・斎藤伊予守光則
義光の連歌の師・・・・・・・・・・里村紹巴
最上家の文芸を指導した・・・・・・里村家の人々
山形に招聘された文人・・・・・・・一華堂乗阿
伝説にいろどられた祈祷僧・・・・・宝幢寺尊海
主君の馬前で戦死・・・・・・・・・堀喜吽齋
吉良上野介と知り合い?・・・・・・最上義智
勤皇家として活躍・・・・・・・・・最上義連
終わりに・・・・山形を愛した名君・最上義光
《平成23年度5月分の入館者アンケート集計結果》

 この集計結果は平成23年5月1日から同31日の間に入館した利用者を対象に行ったアンケートを集計したものです。


         常設展示 (5/1〜5/31)

       開館日数・・・・・・・・・・・27日間
       入館者数・・・・・・・・・ 1,170人
       回答者数・・・・・・・・・・・224人

 1.歴史館をどこで知りましたか

  (1)旅行雑誌・・・・・・・・・・・・・・・・・10%
  (2)歴史館のホームページ・・・・・・・・・・・・4%
  (3)インターネット・・・・・・・・・・・・・・・8%
  (4)新聞・テレビ・ラジオ等・・・・・・・・・・・1%
  (5)広報やまがた・・・・・・・・・・・・・・・・1%
  (6)知人から聞いた・・・・・・・・・・・・・・10%
  (7)以前から知っていた・・・・・・・・・・・・22%
  (8)観光案内所 (駅など) ・・・・・・・・・・・12%
  (9)通りがかり・・・・・・・・・・・・・・・・26%
  (10)その他・・・・・・・・・・・・・・・・・・・6%


 2.歴史館の入館は何回目ですか

  (1)はじめて・・・・・・・・・・・・・・・・・84%
  (2)2回目・・・・・・・・・・・・・・・・・・・8%
  (3)その他・・・・・・・・・・・・・・・・・・・8%


 3.ご覧になられた感想

  (1)内容はいかがでしたか

    �‖臺僂茲�った・・・・・・・・・・・・・・39%
    �△茲�った・・・・・・・・・・・・・・・・47%
    ��ふつう・・・・・・・・・・・・・・・・・13%
    �い弔泙蕕覆�った・・・・・・・・・・・・・・1%

  (2)最上義光と最上家について

    �,茲�わかった・・・・・・・・・・・・・・36%
    �△錣�った・・・・・・・・・・・・・・・・57%
    ��わからなかった・・・・・・・・・・・・・・2%
    �い匹舛蕕箸發い┐覆ぁΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΓ�%


 〜利用者の声〜

 ◎とてもきれいに展示されていると思う。説明印も良かった。

 ◎公園内の銅像のような物があれば良いと思う。

 ◎クイズに参加できて、親子とも楽しめた。

 ◎時間がなかったので、後日改めて来館したい。

 ◎仙台の伊達とゆかりがあるので、興味深く見学できた。

 ◎館内の写真撮影(フラッシュ無し)を許可してほしい。

 ◎また来たい。

 ◎今度、日本史好きの父を連れて来ようと思う。

 ◎貴重な歴史的資料が多数あり、大変興味深かった。入館料が無料なのも素晴らしいと思う。

 ◎来るのに遠かったが、すごく面白かった。キーホルダーを増やしてほしい。

 ◎入館料無料で、なおかつ案内人が詳しく説明してくれるので大変良かった。また来たいと思った。いい感じの歴史館だと思った。

 ◎ボランティアガイドの説明が素晴らしかった。

 ◎クイズだと、一つ一つよく見るから、これからも続けてほしい。また来たい。

 ◎義光や山形に限らず、米沢や庄内あたりも含めて拡充してほしい。

 ◎一級の資料が多く良かった。全国的にはマイナーな武将ですが、本当はもっと脚光を浴びて欲しいと思う。

 ◎出羽国統一までの流れも展示してもらえると、よりわかりやすくなると思う。

 ◎グッズが受付近くでちょっと見づらい。マスコット的な、ゆるキャラのストラップや手ぬぐいがほしい。

 ◎もう少し詳しく解説があっても良いと思う。

 ◎場所が分かりづらかった。看板をもっと作ってほしい。

 ◎よく保存されていると思った。

 ◎刀を見ることができたのが良かった。

 ◎独眼竜正宗を見てきた世代なので、最上義光の事を良く思っていなかったが、歴史館を見学してみて認識が変わった。

 ◎もう少し文字を大きくすると読みやすくなり助かる。

 ◎キャラクターグッズを販売してほしい。

 ◎入館料は無料で助かるが、少しとっても良いと思う。

 ◎ボランティアガイドの方の説明が良く、聞き入ってしまった。伊達正宗と最上の関係が特によく分かった。興味深く感じ、改めて歴史を読み直してみたくなった。

 ◎中学生が多かったので、顔出しパネルなどがあれば面白いと思った。

 ◎音声ガイドも聞いてみたいし、案内人の説明をもっと聞いてみたかったので、また来たい。

 ◎歴史が得意ではない私でも、義光と駒姫の話しは興味深かった。

 ◎解読文がよくわからない。解説の他に、さらに現代文に直してあると、もっとわかると思う。

 ◎兜や日本刀などを展示してあり、大変興味深く楽しく見ることができた。

 ◎現代文での説明があっても良いと思う。次は説明を聞きながら見学したい。

 ◎たくさんの資料があり大変感動した。無料というのも凄いと思う。

 ◎もう少し、子供にも分かりやすくしてほしい。

 ◎ガイドをお願いして、すごく勉強になった。楽しく、分かりやすく説明してもらい本当に良かった。弟と「こんなに良いところなら、有料でも来るよね」と話しになった。千葉に帰ったら最上さんの勉強をしたいと思う。

 ◎小さいながら、展示に工夫が見られる。解説の掲示もわかり易くて良い。赤羽刀は歴史を感じさせて面白い。

 ◎刀がきれいだった。無料なのがありがたい。

 ◎とても良い展示内容なのに、無料なのはありがたい。来館者が少ないのが不思議で残念だが、ゆっくり見ることができて助かった。受付の方の笑顔も素敵だった。