最上義光歴史館

 《平成24年度4月分の入館者アンケート集計結果》

 この集計結果は平成24年4月1日から同30日の間に入館した利用者を対象に行ったアンケートを集計したものです。


     企画展  (4/1 〜4/8)
     常設展示 (4/10〜4/30)

     開館日数・・・・・・・・・・・26日間
     入館者数・・・・・・・・・ 2,151人
     回答者数・・・・・・・・・・・103人


 1.本日は最上義光歴史館に

   �ヾ覯菘犬鮓�に来た・・・・・・・・・・・・・・・・・5%
   �⊂鐇濺玄┐鮓�に来た・・・・・・・・・・・・・・・56%
   �N省�見に来た・・・・・・・・・・・・・・・・・・39%

 2.�´�の方、企画展を何で知りましたか

 (1)ポスター・チラシ等・・・・・・・・・・・12.5%
 (2)歴史館のホームページ・・・・・・・・・・12.5%
(3)新聞・テレビ・ラジオ等・・・・・・・・・12.5%
 (4)広報やまがた・・・・・・・・・・・・・・・・0%
 (5)知人から聞いた・・・・・・・・・・・・・・25%
 (6)通りがかり・・・・・・・・・・・・・・・・25%
 (7)その他・・・・・・・・・・・・・・・・・12.5%

   �△諒�、当館をどこで知りましたか

 (1)旅行雑誌・・・・・・・・・・・・・・・・・・7%
 (2)歴史館のホームページ・・・・・・・・・・・・2%
 (3)インターネット・・・・・・・・・・・・・・16%
 (4)新聞・テレビ・ラジオ等・・・・・・・・・・・1%
 (5)広報やまがた・・・・・・・・・・・・・・・・2%
 (6)知人から聞いた・・・・・・・・・・・・・・・6%
 (7)以前から知っていた・・・・・・・・・・・・22%
 (8)観光案内所 (駅など) ・・・・・・・・・・・・9%
 (9)通りがかり・・・・・・・・・・・・・・・・30%
 (10)その他・・・・・・・・・・・・・・・・・・・5%

 3.歴史館の入館は何回目ですか

 (1)はじめて・・・・・・・・・・・・・・・・・85%
 (2)2回目・・・・・・・・・・・・・・・・・・10%
 (3)その他・・・・・・・・・・・・・・・・・・・5%

 4.ご覧になられた感想

 (1)内容はいかがでしたか
 
   常設展示

   �‖臺僂茲�った・・・・・・・・・・・・・・45%
   �△茲�った・・・・・・・・・・・・・・・・45%
   ��ふつう・・・・・・・・・・・・・・・・・10%
   �い弔泙蕕覆�った・・・・・・・・・・・・・・0%

   企画展

   �‖臺僂茲�った・・・・・・・・・・・・・・63%
   �△茲�った・・・・・・・・・・・・・・・・37%
   ��ふつう・・・・・・・・・・・・・・・・・・0%
   �い弔泙蕕覆�った・・・・・・・・・・・・・・0%


 (2)最上義光と最上家について

   �,茲�わかった・・・・・・・・・・・・・・36%
   �△錣�った・・・・・・・・・・・・・・・・58%
   ��わからなかった・・・・・・・・・・・・・・2%
   �い匹舛蕕箸發い┐覆ぁΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΓ�%


 〜利用者の声〜

◎頒布資料で義光について書かれた500円位のものがあると良いと思う。

◎鬼切丸(実物)と延沢満延の展示をしてほしい。

◎鬼切丸の実物が見てみたい。

◎伊達家との関係(関ヶ原以前)の義光公の動きをもう少し知りたかった。

◎ガイドさんをお願いしていなかったのに、声をかけてもらい説明してもらえたので大変良かった。

◎文化人としての義光に興味を持った。周辺大名との関係がどのようであったのか詳しく知りたいと思った。

◎大変よろしい。盛岡市にも似た建物が出来たが、十万石と五十万石の力をおもいしらされた。

◎兜がかっこ良かった。

◎京都等観光地と比べ無料に驚いた。料金を取ってもよいと思う。ボランティアガイドの説明と合わせ、すばらしかった。歴史が具体的に理解できた。

◎山形・新潟・仙台の関係がわかった。

◎無料でなくてもよいと思う。

◎大きな施設にしてほしい。義光だけでなく、この時代にかかわった人を全て。

◎昔の城下町と現在の市内状況が一目でわかる参考資料があればよいと思う。

◎説明してもらい歴史が理解でき、楽しく拝見することができた。

◎ボランティアガイドの方の説明が親切で良かった。

◎初めて入館したが、時間を充分取れなかったので、次はゆっくり見学したい。

◎大変良い施設で、無料でしたが料金を払ってもよいと思った。そのほうが、より充実していけると思う。

◎すごく楽しかった。また来たい。

◎初めて来たが、貴重な資料がたくさんあり、歴史の勉強にもなり楽しかった。

◎東北における他の大名(豪族?)との血縁が知りたい。かなり政略結婚で結びついて、親戚同士で争ったりもしていたようなので・・(天文の大乱等)

◎最上家の説明が聞けてよかった。説明がなければ、よくある他の資料館のようなものだと思い、サッと見て帰ってしまったと思う。

◎最上義光公が歴史上果たした役割がよく理解できた。

◎義光の功績がより明確になるような展示方法はないのかな?刀剣について裏側も見える展示をお願いしたい。

◎ボランティアガイドの方の説明がわかりやすく良かった。イメージが変わった。

◎ぜひまた来たいと思う。

◎長谷堂城だけでなく、畑谷城のジオラマも見たい(あったら)わかる範囲でよいから、慶長出羽合戦に出陣した武将、戦死した武将の名前も知りたい。

◎お城の模型があればよかったと思う。

◎いろいろと説明してもらいよかった。いきいきとした情報を感じた。

◎クイズのVOL2を出してほしい。

◎文書の原文には現代訳をつけた方がよいと思う。義光公の兄弟たちについての記述や資料、家臣の構成などのパネルがあった方がもっとわかりやすいと思う。
関東に於ける最上義光の足跡を求め ―特に関ヶ原戦以後に限定して―

【五 慶長十六年の江戸城普請の頃】

 慶長期もやがて終りを告げようとする頃、それは義光も体力の変調からくる肉体の衰えは、それは多方面に渡っての政治的活動にも、多少の変化を与えたのではなかろうか。『当代記』〔十三年条)に、慶長十三年五月頃、義光の在府を伝える記録がある。そこには諸国大名達の献上物の記録の中に、義光と重臣の坂紀伊守の名が見られる。

五月三日 拾    御帽子  最上出羽守
五月八日 五つ   御小袖  最上出羽守
九月九日 百枚   銀子   最上出羽守
九月九日 五拾把  最上綿  坂上紀伊守

 ここに坂紀伊守の名が見られるが、紀伊守は義光とは常に行動を共にしている人物で、義光亡き後も家親の身近かに仕え、重要な立場にあった人物である。この年の義光は、昨年の普請手伝い以来、引き続き在府していたのであろうが、消失した慈恩寺の再建に尽力した義光が、三重塔が同年八月に完成の後、翌年の四月に千部会[注1]を行ったというから、この時期には在国していたのであろう。
 嫡子の駿河守家親は、その身分は幕臣の一員の如く、同十五年と三年後の正月には、恒例の御謡初めに出席、また琉球王の参府に際し、その奏者役を勤めるなど、江戸での華やかな動きを知ることができる。これらは、晩年期に入った義光にしてみれば、更なる最上家繁栄への道として、歓迎すべきものではあったろうが、これが嗣子としての家親と国元との間に、いつしか疎遠関係が生まれてくるのも、致し方のないことであろう。
 この年の工事については、『当代記』は次のように記している。

十六年辛亥三月朔日辛工ヲ起ス、実ハ六日丙午ノ着手ニ係ルト云フ、奥州及信州、関東ノ大名、仙台城主伊達政宗、若松城主蒲生秀行、米沢城主上杉景勝、山形城主最上出羽守、久保田城主佐竹義宣、……助役大名伊達政宗等ハ、自ラ臨テ工事ヲ督シ、将軍秀忠亦殆卜工事ヲ巡視ス、

 このように、北からは伊達・佐竹・最上など、前回から引き続いての助役であった。幸いにその詳細については、「伊達政宗記録事蹟記[注2]」に伊達家の工事進行状況が語られている。その中に義光も再三登場している。この時期、義光は在府していたことが分かる。

三月六日、天気快晴、御普請土取始申候、
三月十日、快晴、台徳院御普請場江披為成候、
三月廿三日、雨小ふり、され共御ふしん仕候、将軍様も御出候、佐渡様も御出候、殿様(政宗)も御すきニ御出、御とをり被成候、又したゝめにやとへかへりに、ふしんはへ御出候間、まかり出候へハ、いろいろ御懇切の御意とも候、またひた殿(蒲生)・景勝(上杉)殿、出羽(義光)殿、御奉行衆より、ほりのわりをあるへく候間、わり衆出し申候、
三月廿八日、天気よし、五ツ時、将軍様御出、川島と御意被下候……殿様(政宗)も御出被成候、少おそく候て、将軍様へあひ御申なく候……人足よるまかり出候間、ひた殿・景勝・出羽殿御奉公申合、夜明申候而、人そく出し申ニさため申候、
四月六日、天気くもり、風吹、将軍様御出被成候、……将軍様御成被成候て、御ことは被下候、御なわはり近頃見事之由被仰出候、佐州さま仰ニハ、ひた殿・景勝・出羽殿へも申理へくよし仰候、
四月廿日、朝より曇り、将軍様御出被成候、殿様(政宗)よき処へ御出、一段御仕合ニ候、四ツ比より少々ふり申候、ひる頃皆以人そくあけ申候、出羽殿丁場ニ而、土よせを申候、くちおしきよし申候、

 この伊達家の記録から、最上家も他の東北大名達と同様に、手伝いを命ぜられたことが分かる。この工事は七月には終了しているが、藩主達をはじめ、将軍も度々現場に姿を見せていたことが判る。またこの年の三月には、これと並行して全国の大名・小名二百数十名にも禁裏修造の役を課している。
 八月、義光は駿府の家康を訪れている。これが単なる時候の挨拶であったのか。「八月二十二日、出羽山形城主最上義光、鴻ヲ家康ニ進ム、家康、之ヲ献ズ」とあり、家康はこれを禁中に献上している。また九月にも家親も駿府入りをして、大鷹を献上している。
■執筆:小野末三

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[注]
1、『寒河江市史・中巻』(寒河江市・平十一年)
2、『東京市史稿・皇城篇』
3、「慶長十六年禁裏御普請帳」(『大日本史料』12編之7)