最上義光歴史館

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■散る桜の話
 最近、某知事が辞表の提出前に細川ガラシャの辞世の句「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」を読み上げたそうで、かっこいいんだか、わるいんだか、よくわかりませんが。
 さて、桜花の季節の刀剣展示にあたり「花は桜木、人は武士」との言葉を添えて案内したりするのですが、これは花では桜が最も優れているように、人では武士が最も優れているという意味です。散り際の見事な桜に、潔い武士の死に際を重ねた言葉といわれます。華々しく散る姿を、桜花に喩えた歌としては、「同期の桜」がありますが、「咲いた花なら 散るのは覚悟 みごと散りましょ 国のため」と、なんとなく微妙な感じになってきます。組織論としても、パァと散ってくれた方が面倒がないからかと。
 戦後もしばらくは軍歌も市民権があり、同窓会などではこれが歌われ、パチンコ屋の店頭では「軍艦マーチ」が流れ「ジャンジャン、バリバリ」などという客の呼び込みがなされていました。そう言えば「月月火水木金金」という軍歌もあって勤務礼賛の歌ではあるのですが、実はこれは歴史が古く、日露戦争勝利後も大日本帝国海軍は休日返上で猛訓練していたところ、ある海軍士官が「これでは、まるで月月火水木金金じゃないか」とふと同僚に漏らした言葉から広まったらしく、現場感覚は案外まともだったようです。これがバブルの時代には「24時間働けますか」となり、不適切にもほどがあると言うか。
 実は江戸時代まで桜は不吉なものとされていたそうです。ネットに「桜の一番の美しさは、その儚さにあります。 しかし、江戸時代まではその散りゆくさまが“死”や“物事の終わり”と結び付けられ、マイナスイメージを持たれていたようです。また、散った花びらは薄桃色からすぐに土気色に変わるため、“心変わり”を意味するとも考えられていました。」とありました。ということは、江戸時代の「同期の桜」というのは、「貴様や俺たちは心変わりしちゃうぞ」ということなのかしらん。

■桜の句の違いがわかる話
 親鸞は「明日ありと 思う心の仇桜(あだざくら) 夜半に嵐の 吹かぬものかは」と詠んでいます。桜は明日も咲いているだろう安心していると、夜半の嵐散ってしまうかもしれないという意味で、人生や世の中の無常を表しているそうです。「明日、自分があるかどうかわからない。今を精一杯生きよう」との思いを込めた親鸞19歳のころの作とのことです。この「あだざくら」と同じく読む言葉に「徒桜」というのがあります。「徒桜」は散りやすい桜の花のことで、はかないもののたとえにも使います。「仇桜」とは微妙に違います。
 これと同じくらい微妙なものに「世の中は三日見ぬ間に桜かな」という句があります。「桜が咲きそろうこと」を詠ったものなのですが、これが「三日見ぬ間の桜かな」となると、桜の花があっという間に散ってしまうように、世間の移り変わりは激しいものだということを表す言葉となるそうです。
 以上、ネットでウロウロしているうちに知った話です。勉強にはなりましたが、酒飲みのときの蘊蓄ぐらいにしか活かせそうもなく、そうそう、なんか身近に感じる言葉がありました。「酒なくて何の己が桜かな」。花見に酒はつきもので、酒を飲まない花見は面白くないということです。「花より団子」という言葉に似ていますが、花はなくてもいいのではなく、花とともに酒が飲みたいという違いがあります。ただしこちらも今時、不適切にもほどがある、といわれてしまいそうですが。

■桜を植えた庭の話 
 ネットには、家の庭には桜を植えてはいけない、との情報もありました。その理由は、花がすぐに散ることから、短命や離散を連想させ、桜を庭に植えるとその家が繁栄せずに廃れてしまうと考えられたからとのこと。また、桜の木は花や葉が散り手入れに苦労するからとも。さらに桜の葉っぱには「クマリン」という毒素が含まれていて、過剰摂取すると肝機能障害を引き起こすとのこと。少量であれば人体に影響はないとのことですが、なんか生物由来の健康被害が問題になってもいるようで。
 にもかかわらず、猫額ほどの自宅の庭には桜の木が育ち、また、庭に植えてはいけない木の代表の枇杷の木も何本か隣家との堺で自然の風や日光を遮るように立ち、老木ですが忌木とされる椿も2、3本もあり、それらがみんな一列に並んでます。枇杷にはその効能を求めたくさんの病人が集まるとか、椿は花ごとバッサリと落ちるところから「打ち首」を連想させるとかいう理由があるそうですが、なんとも不適切な庭ですみません。