最上義光歴史館

最上義光歴史館
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〇 ドクダミの話
 猫額のようなわが家の庭にも実は、アジサイとキョウチクトウがあり、セイヨウヤマゴボウもあちこちに生えています。図らずも、そこここに毒が仕掛けられている庭になっています。
 そんな庭で大量に生えてくるのがドクダミです。ドクダミという名には毒矯め (どくため) という意味があり,この「矯め」というのは「角を矯めて牛を殺す」の「矯」、矯正の「矯」ですが、毒庭にはちょうどいいかもしれません。ドクダミはとにかく繁殖力があり、初夏には白い花(正しくは花ではなく葉が変化したもの)もつき、グランドカバーとしてもなかなかなものです。雑草扱いとせず生えさせたままのほうがいいくらいのものだそうですが、独特の香りを気にする人も。しかし、ベトナムではハーブや野菜としても利用されるそうです。
 ドクダミの生薬名はジュウヤク (十薬) といい,利尿薬や消炎薬となります。十薬という生薬名の由来は,馬がかかる十種の病に効果があるという言い伝えによるそうです。またこれを煎じた「どくだみ茶」には、尿作用や老廃物を体外に排出する働きがあるとされ、そのデトックス作用により体内の代謝が高まり、体のすみずみまで栄養成分が届くのだそう。体のだるさやむくみ解消が期待できるのだそうです。
 自家利用のドクダミ茶ぐらいはいくらでも作れるぐらい生えてはいるのですが、何かの拍子に、アジサイの葉とかキョウチクトウとかセイヨウヤマゴボウなどが混ざる危険性もあり、慎重さに欠ける性格ゆえ遠慮しています。

〇 ジャガイモの毒の話
 「自然毒のリスクプロファイル」のリストにはジャガイモ(じゃが芋)も載っています。ジャガイモの芽には毒があるため取り除く、というのは皆様ご存じとは思いますが、小学校で実習用に校内で栽培したジャガイモを食べて中毒になった、という事件が何年かおきに報道されます。
 これはジャガイモの芽だけが原因ではなく、光に当たって皮がうすい黄緑や緑色になったイモの表面の部分にも有毒成分が含まれていることがあるからです。親芋で発芽しなかったイモにも有毒成分が含まれていることもあるそうで、これをもったいないからと食べてしまうと危ない。実際、家庭科の授業で、自分たちで炒めるなどし、皮付きのまま食べて中毒になった事例があります。
 掘り出した新鮮なイモでも、小さいものや地中の浅い所にあったイモには有毒成分が入っていることがあり、ある事例では、市販品の数倍〜 10 倍程度の有毒成分が含まれていたそうです。この有毒成分は水に溶けやすいので、蒸す料理ではなく、ゆでる、二度ゆでするなどの調理方法をとると、中毒する確率が減るそうですが、熱によって分離はされないとのこと。中毒症状としては、嘔吐、下痢、腹痛、目眩、動悸、耳鳴、意識障害,痙攣、呼吸困難となり、ひどい時は死に至るそうで、食後おおよそ30分から半日で症状が現れるそうです。
 そう言えば、かつて学校では校庭以外の敷地の片隅などに職員用の農作物を栽培していたこともありました。サツマイモや枝豆やとうもろこしなどですが、私が小学生の頃は、施設管理のための住み込みの職員がいて、またはそこに寝泊まりする当直の先生がいて、敷地を管理する傍らそういうものも作っていたようです。公民館などでも昔、敷地の片隅に枝豆などを栽培し、地元の暑気払いなどで供していたところもありました。
思い出してみると、施設の保安管理を委託することは珍しく、というか委託先がなく、住み込みも普通でした。職住近接というか、職住一体というか、昔はそこで生活もしていたのです。
 学校以外でも例えば、霞城公園(山形城)の中に、かつて児童文化を担う社会教育施設があり、私が小学生の頃、そこには同級生とその家族が住んでいて、時々そこに遊びに行っていました。中庭には噴水があり、図書室、工作室、ホールがあり、ホールではピアノや卓球台がいつでも使えるようになっていて、工作室にはアマチュア無線機があり、屋外にはバトミントンができるコートもあって、その同級生はそれが身近にあり、また上手だったわけで、当時はうらやましい限りでした。そこでご飯などをごちそうになったこともあります。今、考えると、その施設に住むとなれば、また、色々と大変なこともあったとは思いますが、今や市の施設においては、住み込みどころか当直もありません。
 私の父の職場も民間企業ではありましたが当直勤務があり、子どもの頃、休日にそこに連れていかれることがあったのですが、その宿直室はそのまま麻雀部屋と化してしまうわけで、煙草の煙や点棒などが行きかう中、漫画本などを見ながら過ごしたこともありました。残念ながらそういう社会勉強の機会は、今は少ないわけで、もっとも、そんな機会が必要かという話にもなりますが、まあ、セキュリティとかコンプライアンスとかそんな言葉もない時代の話ではあります。

〇 農林水産省からの注意喚起のお話
 農林水産省のHPでは「知らない野草、山菜は採らない、食べない!」という注意喚起がなされています。以下、その文面です。
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 「有毒な成分を含む植物による食中毒の危険は、山菜採りや野草摘みの際だけではありません。家庭菜園で、有毒な成分を含む観賞用植物を野菜と間違って採って食べてしまったことによる食中毒も起きています。
過去の事例として、スイセンの葉をニラやネギと、球根をニンニクと間違って食べたことによる食中毒、ヒガンバナの葉をニラと間違って食べたことによる食中毒が起きています。
・「ニラ」と間違えやすい有毒植物
 スイセン、スノーフレーク(スズランスイセン)、キツネノカミソリ、ゼフィランサス(タマスダレ)など
・「ギョウジャニンニク」と間違えやすい有毒植物
 コルチカム(イヌサフラン)、スズラン、バイケイソウなど
・「ふきのとう」と間違えやすい有毒植物
 ハシリドコロ、フクジュソウ(福寿草)など
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 我が家の庭に生える植物で食べられるものは、シソとミントぐらいなので、なにかと間違えて中毒になることはないとは思いますが、特にシソは一時期、これでもかというくらいに勝手に生えてきました。しかし今年はなぜかめっきり少なく、かわりにというわけでもないのですが、プランター栽培で「空心菜」を育てています。種から育てたのですが、これが短期間でどんどん育つ。ちなみにその種は、「空心菜」の名で売られていることはあまりなく「エンサイ」などの名で売られています。某中華街で食べれば、これの油炒めが一皿千円しますが、これに換算すれば、このプランターの分だけで優に1万円分以上の量が育ちました。ただこれを、元が取れたと言うべきかは、なんとも難しいところですが。 

〇 「新庄の花あじさい」の話
 山形新幹線の終着駅がある新庄、とりもつラーメン、くじら餅、馬刺し、かど焼のまち新庄ではありますが、「あじさいせんべい」という銘菓もあります。それは南仏プロヴァンスを彷彿とさせるチュイール風のお菓子です。チュイールとはフランス語で「瓦」や「タイル」を意味し、小麦粉や砂糖、バター、アーモンドなどをオーブンで薄く焼き上げた瓦の形をしています。「あじさいせんべい」という名前からすれば、瓦煎餅をイメージさせますが、それとは全くの別物で、新庄市の花「あじさい」をモチーフに、あじさいの花のように焼き上げた「チュイール」です。
 とりわけ菓匠たかはしの元祖あじさいせんべい「新庄の花あじさい」は、甘く香ばしいパリパリのアーモンドスライスがたっぷり乗っている全国菓子博栄誉賞も受賞した菓子です。しかし、菓匠たかはしは2021年2月末に閉店。後継者を探していたのですが製法が難しく、また新型コロナの感染拡大による観光客激減も影響したとのこと。閉店時にはこれを求めるお客さんが殺到したそうです。往時は新庄みやげの定番として新庄駅にも山積みされていて、新庄駅に寄るたびに自分への土産として買っていましたが、今の駅売店には、さまざまな地元菓子店の「あじさいせんべい」が並んでいます。中には「あじさいの葉」というリーフパイもあります。
 その「新庄の花あじさい」は、山形県内の銘菓としては五本の指に入るものではなかったかと思います。では、あとの四本は何か、と言うことですが、これがなかなか難しく、山形市内ならあそこのふうき豆とか、あそこのどら焼きとか、あそこのゆべしとか。一方、50年以上続く「ゴールドシャ〇ー」や「チル〇ー」もあげておきたいし、同じく50年以上続くお菓子としては「〇ップルパイ」というのが上山市にあって、上山市と言えば、江戸時代から続くあそこのまんじゅうとか、あそこのぬれやき煎とか黒こしょう煎とか、あと、もっぱらお土産用なのですが「○○ロマン」もたまに自分で食べるとおいしい。鶴岡にも「〇〇屋」とか、酒田にも「○○米菓」とか、米沢にも「〇〇菓子店」とか、銘菓の有名どころは数々あり、まあ、これはこれで別の機会にでも。
 ちなみに当館でしばしば手土産に用いるのが、山形市内で江戸時代から続くお菓子屋さんの「五十七万石」という最中です。差し上げる相手が六十二万石でも百二十万石でも「五十七万石」を持参しています。

〇 狩野派四代の話
 狩野元信(1477?-1559)については、実は2017年にサントリー美術館六本木開館10周年記念展として大規模な展覧会が開催されており、以下、主にその図録からの受け売りなのですが、とにかくこの人のビジネスセンスというのがすごいのです。
 狩野派というのは、足利将軍家の御用絵師となった狩野正信(1434-1530)を始祖とし、親子血縁関係で代々続く絵師の集団で、幕府の仕事を受けてきた人たちです。この「家系で画業を継いでいく」ということと「幕府の仕事中心」ということが、同時代の琳派と異なる点です。
 狩野家始祖の正信は「筆様制作」という、中国の名家の絵画から図様を借用し組み合わせるなどの方法で描いていました。正信は馬遠、夏蛙、牧谿、玉潤などの中国画を模倣し、画題の前には「(中国画家名)様」とその「筆様」に拠ったことも入れていました。ただし、その原画に忠実であるがため、様式的には統一感のないものとなりました。
 二代目の狩野元信はこれを、真(馬遠、夏蛙)、行(牧谿)、草(玉潤)の「画体」として受注生産する仕組みを構築しました注文内容をカタログ化し、モチーフなどの図柄をパターン化、多くの絵師を抱え工房を構えて作成しました。作画をフォーマット化し、絵師も代替できる仕組みを整えたのです。主となるモチーフを大画様式で描き、それ以外は金箔や金雲で埋めることで、効率的な作成を狩野、いや、可能としました。
 また、正信は中国の名家の画を倣う「漢画」の人であったのに対し、元信は土佐派が主流を担っていた「やまと絵」も取り入れ、和漢両方を使いこなすようになりました。「漢画」系の明快で力強い構図や線描と「やまと絵」系の金泥や濃彩色の和漢融合がなされ、「狩野家は是れ漢にして倭を兼ねる者なり」とも評されました。しかも、元信は土佐光信の娘を妻としており、まるで戦国武将です。当然、土佐派との交流もあったそうです。
 戦国時代の武将が「切り取り勝手次第」で領土を広げ、築城していくのに伴い、障壁画や屏風画などの大画面の図画の需要も増加しました。これに狩野派は、シスマティックな態勢で臨み、四代目の永徳(1543-1590)のときに最盛期を迎えます。あの国宝「上杉本洛中洛外図屏風」のあの狩野永徳です。永徳は織田信長や豊臣秀吉に重用されましたが、47歳で亡くなります。過労死であったようです。当館学芸員はふと、「信長や秀吉の注文を断れば、首が飛ぶだろうし…」と漏らしていましたが、いずれにせよ命がけの状況ではなかったかと。
 さて、初代正信、二代元信、四代永徳ときて三代目は?という話になりますが、元信には3人の男子がいて、ただ、家督を継いだのが三男の松永(1519-1593)でして、父とともに活躍したとのことです。川柳に「売り家と唐様で書く三代目」というのがありますが、父の元信は唐様に加え倭様も取り込んでおり、すると松永も「唐様」だけでもなく、もちろん家を売ることもなく、三代目も家業を継ぎ続けた、それだけでも立派ではないかと。息子はあの狩野永徳ですし。ただ、息子の方が先に亡くなっています。
 ところで、ネットを見ていると、三代目は松永でなくその兄の宗信が三代目であり、四代松永、五代永徳としている例もありましたが、狩野家菩提寺の池上本門寺(東京)では、三代松永、四代永徳としてあり、それに従うのですが、驚くのがこのお寺のHPにある3Dでして、歴代の墓の配置がわかるよう墓苑が3DのCGで表され、また、墓のひとつひとつも3Dで観るためのQRコードが付いています。それにしても、墓の3Dマッピングって、なんという発想でしょうか。ちなみに京都にも、狩野派の菩提寺という妙覚寺があり、ちょっとややこしいです。

〇 唯一無比(オンリーワン)の話
 薄(すすき)の屏風で触れたのですが、唯一無比というかオンリーワンというか、とにかく他に類を見ないというものについての評価は、やはり悩ましいものがあります。出所も時代も不明となればなおさらです。専門家に鑑定を依頼するという方法もあるのですが、それはタダでもないわけで、鑑定費用を要求できる材料がないと、「これ、なんかいい感じなんだけど」ぐらいでは、やはり予算措置は無理です。
 実は、当館にもうひとつ、そういう物があって、それは以前、この館長日誌でも取り上げた黒織部の茶碗です。山形城跡の発掘調査で出土したもので、そういう意味では、出所も時代も特定できるのですが、箱もまして箱書きなどもなく、いつ、どこで作られ、だれが所有していたものなのか、全くわからない物なのです。
 この茶碗の見所として、シンプルモダンな市松模様柄というのを掲げているのですが、織部関係の展覧会図録やらネットの画像などをざっと見渡すと、この茶碗のような市松模様だけが描かれているものは見当たらず、通常は市松模様の白地部分になんらかの絵柄や模様が入っています。つまり、この図柄の類似例がないのです。また、織部焼は登り窯で焼くのですが、普通、登り窯は複数の作者が使う共同窯で、作者や注文主を区別するために、品物には彫りつけたり押捺したりする「窯印」(かまじるし)を付けます。必ず付けるとは限らないかもしれませんが、この茶碗には見当たらない。ついでに言えば、高台がルーズな印象で、地肌の色も微妙に違う感じ(クールグレイです)。これらの違いを全て「特別なオンリーワン」である、と評価してよいのやら、悩ましい所ではあります。形とか柄とか、なんかいい感じなんですけどねぇ。

〇 奥行きがない話
 狩野派にしろ、琳派にしろ、屏風画に奥行きがないというのは、どういうことで、それはなぜなのか、ということについて少々。
 まず、奥行きがない、とされるのは単に、西洋画でいう「遠近法」や「明暗法」が用いられていないことによるものです。南蛮貿易によってそのような技法の絵画や版画が持ち込まれるまで、日本にはそのような技法がなく(特殊な遠近法らしきものはあったそうですが)、写生を求めた円山応挙(1733-1795)あたりから遠近法がとりいれられることになったそうです。また、「明暗法」とは、簡単に言うとハイライトや影を入れる手法で、漫画でいう「劇画タッチ」のような感じでしょうか。
 また、なぜ立体的に描かれないのかということについて、とあるブログに、「芸術家が自分の主観のおもむくままに描く “アート” ではなく、建築物の一部を飾る “装飾” だったのである。(中略)要するに “家具” である。彼らは、その “家具” を造形するための「職人」としての自覚をもって制作に励んだ。」とありました。
 確かに屏風は家具でありまして、もともとは風避けよけだったり、間仕切りだったりするわけですが、狩野派の絵師に屏風を頼むのに、よもや風避けだの間仕切りだのに用いる人はおらず、求める役割としてはやはり、部屋を飾り、空間を変えることであろうことは言わずもがなです。
 その際、あまり立体的でリアルだと、関心が寄りすぎたり、画中に入りすぎたりしてしまい、また、作家性が強すぎると、好みが分かれたり、そのものの存在感がありすぎたりしてしまいます。家具は家具らしく、存在をアピールすることなく、しかし、空間を変える機能をもたせつつ、また、何かの自然風景をそのまま切り取ったようなものでもなく、ということに対しての家具職人としての答えが、あのグラフィカルな図柄だったのではないかと。漫画の例で言えば、「劇画タッチの図柄では、どうもなぁ」ということで、「アニメタッチのような、平たい感じがいいかも」ということでしょうか。
 さて、フランスの作曲家エリック・サティの作品に「家具の音楽」というのがあります。そこにあっても日常生活をじゃませず、意識的に聴かれないようにと作られた室内楽曲です。これが初めて演奏されたのは、1920年のとある演劇の幕間の休憩時間でした。ところが演奏が鳴り始めると、観客は自分の席に戻って聞き入ろうとし、結局、大失敗に終わってしまったそうです。BGMそしてアンビエントミュージックの先駆的な作品ではありますが、実際にこの曲を聞いてみると、聞き流すにはいろいろ引っかかりもある曲です。
 では、屏風をアンビエント的なものと捉えてもよいかというと、それもちょっと違うかと。「アンビエント」について調べると、「作曲家や演奏者の意図を主張したり、聴くことを強制したりせず、空気のように存在し、それを耳にした人の気持ちを開放的にすることを目的にした曲」とあり、これを「作家の意図を主張したり、観ることを強制したりせず、空気のように存在し、それを目にした人の気持ちを開放的にすることを目的にした作品」と読み替えると、意味は通じるのですが、そんな目的の屏風はやはり稀かと。そもそも、狩野派やら琳派やらの屏風を論ずるのに、アンビエントを持ち出すことに無理があるのではと。以上、奥行きがない話でした。すみません。
 ところで、まったくの余談ですが、最近のゲームセンターのクレーンゲームエリアに流れているあの、ビート抜きのトランス系BGMは、なんと言うのでしょうか。メロディーらしきものが特になく、ただただ周りの騒音が消えてしまい、ゲーム機だけに意識が向いてしまう、恐ろしいBGMです。ゲーセンに最適化したサウンドスケープとでも言うべきなのか、サティもシェーファーもびっくりです。

最上義光歴史館ではグッズ販売を再開しました。
Kスタッフの力作ペーパークラフト、最上義光と伊達成実がお出迎えです。



クリアファイルやピンバッチ、ペーパークラフトなどなど
ご来館の記念にいかかでしょうか。


開催中の「武士好みのデザイン」〜吉祥の表現と動物・植物の意匠〜
柏倉惣右衛門コレクションより、今回は…


縁 鯰図   展示では確認しにくい角度から撮影してみました。
目と口がかわいい鯰の顔が見えますでしょうか。


目貫 蟹獲図   ポーズも表情もなんとも味のある蟹を獲る人。
スタッフの推しは獲られた蟹と次の獲物(?)のふくふくした蟹です。

蟹の意匠では涼しげな目貫も展示されております。
会期は11月7日(水)まで、ぜひご覧ください。