最上義光歴史館

最上義光歴史館
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〇 クリスマスの思い出
 日本で初めてクリスマスが祝われた日とされるのは1552年12月10日(天文21年12月25日)で、周防国山口でイエズス会の宣教師が日本人の信者を招いて降誕祭のミサを行ったとのことです。山口市では「12月、山口市はクリスマス市になる。」と題して様々なイベントが開かれるとか。ちなみに2023年のクリスマスの飾り付けのトレンドは、バロックスタイルとのことですが、バロック時代というのはちょうど日本では戦国時代にあたるわけで、「あ〜、今年のクリスマスのトレンドは戦国時代なんだよなぁ」、と勝手に話を結び付けています。
 自分が子どもの頃のクリスマスというと、ペラペラのクリスマスツリーにモールと豆電球を巻き付け、バタークリームのケーキと鶏のもも焼き、サイダーにカラメルで着色した飲み物が、下手すると3日3晩、この残り物がご飯のかわりという日が続いたりしました。まあ、高度成長時代ならではの、豊かと言えば豊かな時代の話なのかもしれませんが、神に祈るどころか、キリストが何者かもわからずクリスマスを迎えていました。
 その頃、父親は父親で、ボーナスは飲み屋のツケの支払でなくなっていて、「俺は自分を育ててくれた町にお返しをしているのだ」とかなんとか都合のいいことを言っていましたが、クリスマスには、どこかの飲み屋でもらってきた銀色の三角帽子とクラッカーを手土産に、天井にぶら下げるモールをカバンに巻き付けて深夜のご帰宅という状態で、これも豊かと言えば豊かな時代の話だったかもしれません。

〇 知識をアップデートする話
 クリスマスについては、12月25日はキリストの誕生日でないだの、クリスマスイブは前夜祭ではないだのと、誤った常識にダメだしをしたところですが、昭和の時代に習った歴史知識もアップデートが必要です。
 ここ数年、話題になったものとしては、「いい国つくろう」鎌倉幕府は1185年、聖徳太子は「厩戸王」、国宝「伝源頼朝像」は源頼朝の肖像ではない、そしていま一番ホットなのが「仁徳天皇陵」ですが宮内庁が管理しているため謎が多いとのこと。
 そして最近知ったのが「士農工商」という言葉が教科書から消えたこと。かつて、「農民は神聖な米を作っており、金にまみれた商人より身分が上だ」とか、「裕福な商人を農民がうらやむことがないようにした」とか、そんなことを教わったような記憶があるのですが、このような身分を発令した歴史的事実はそもそもないことが、近年の研究で明らかとなったそうです。近世の身分職業は単純に「士農工商」で表してはいないこと、「武士」と「それ以外」との上下関係しかなく、「士-農-工-商」のような序列はないこと、というのが理由です。「士農工商」の由来そのものが、あらゆる職業の民を表現している古代中国からの言葉とのことです。
 戦国時代は、足軽などは武装した農民であった者も多く、武士と百姓との違いは曖昧でしたが、太閤検地や刀狩によって武士と百姓が分離され、固定化されていったそうです。また、町に居住する者を町民、農村に居住するものを百姓とし、百姓という言葉は農業に限らず様々な職業として使っています。なお、1842年9月の御触書に「百姓の余技として、町人の商売を始めてはならない」とあり、これは農業の衰退に繋がる事を危惧した江戸幕府の対応策とのことです。百姓・町人間の移動もなくなっていきます。
 さて、教科書と歴史の話ですが、キリストも釈迦も実在したらしいですが、「キリストは、処女マリアに天使ガブリエルが降り、マリアが聖霊によってキリストを妊娠したことを告げ、またマリアがそれを受け入れて生まれた。」とか、「お釈迦様は、母親である摩耶夫人がルンビニーの花園で休んでいたときに、脇の下から生まれた。そのときに9匹の竜が天から清浄の水を注ぎ、生まれ落ちたお釈迦様はすぐに7歩歩き、右手で空を、左手で大地を指して「天上天下唯我独尊」と言った。」とかいう話もついてくるわけで、さすがに教科書では伝説との説明がなされるのでしょうが、何をどう信じたらいいものか。まあ、多少の方は「神も仏もない」という目にあっているとは思うのですが。

〇 いつものことわざ
 さて最後に、いつものようにことわざを。「仏ほっとけ、神構うな」という、ことわざというより駄洒落のような言い回しがあります。「ほとけほっとけ、かみかまうな」と3回くらい唱えれば何かありがたみがでてくるような。このことわざは、信心も信仰も度が過ぎないほうがいい、ということを教えています。
 殉教の話とかパレスチナ問題とかを前にして、こう言うのもなんですが、サスティナブルな世の中のためには、クリスマスを祝い、除夜の鐘を鳴らし、神社に詣でる、といったぐらいの寛容さがよろしいのかと。なにを隠そう私も、山形の神社とパリの教会で結婚式を挙げており、ゆくゆくは最上家ゆかりの寺に葬られるのかと。寛容なのか、節操がないのか、まあ、根っからの「転び○○〇」であります。
 とにかく宗教経験には乏しいのですが、小学校高学年の頃、日曜日にただただ家にいてもろくでもないということで、しばらくプロテスタント系教会の日曜学校に行っていたことがありました。牧師さんは本当にいい方だったのですが、当然、賛美歌などはろくに歌えず、まして三位一体とはどういうことなのか、なんかうっすらと鳩と光の図像が浮かぶのですが、これ以上はいまだに謎のままです。
 ちなみに「一向一揆」とか「島原の乱」とか、宗教が原因のように扱われていますが、もとはと言えばどちらも年貢に対する不満であり、その理不尽さへの思いが宗教に集結したとも言えるわけです。どこぞの国でも、理不尽な税制が蔓延りつつありますが、このままでは一波乱に及ぶかも。歴史はくり返すそうです。
まずは、世界人類が平和でありますように。


「もう三ヶ月間あいてるよ・・・」との激励(お叱り?)の言葉をうけ、
日記の更新再開いたします!!

サボっている隙に歴史館は雪におおわれました。


雪景色の山形城をおさえるべく、いざ城へ!!


これぞ雪国の城の醍醐味です☆


堀にのびる桜の木々も風流ですね〜。


義光様も雪まみれ・・・。
殿、一冬耐え忍んでください。


そんな山形城東大手門に避難中の住人その一。


そのニ。


はじまったばかりの冬ですが、はやくも春が待ち遠しいです♪

■ 温泉の良し悪しのお話
 温泉の良し悪しは、まずは「源泉かけ流し」かということで。それなりの湯量があり、循環させない、加水しないのが大事とされます。自噴であればなおよし、温泉が空気に触れることなく湯舟の底からこんこんとお湯がわきでてくるのが最上(さいじょう)とのこと。蔵王温泉にもそれにあてはまる貴重なお風呂はあるのですが、熱いし強酸性なのでなかなかにきついお湯です。個人的には、かつて白濁した温泉成分の強い温泉が好きでしたが、今は弱アルカリ性の透明な湯が好きです。白布温泉「西屋」のお湯は加水ですが弱アルカリ性で、湯舟の大きさからすればすごい湯量で頭の上からじゃばじゃばと降り注いできます。
 一方、温泉街については、勝手にその良し悪しの基準をもっています。まず、「豆腐屋」がある温泉街は間違ありません。豆腐屋があるということは、豆腐屋がなりたつような経済地域であり、温泉客が行き来する温泉街だということです。これが大手資本の温泉施設ばかりが立ち並ぶ場所だと、客を囲い込み過ぎて豆腐屋もありません。山形県内では、「銀山温泉」の豆腐屋では冷ややっこがテイクアウトでき川沿いの足湯で食べることができます。「小野川温泉の豆腐屋は、様々な豆腐や関係商品が並び、とりわけ豆乳ソフトクリームが人気です。
 圧巻なのが城崎温泉。豆腐屋も当然あるのですが、その隣には時計屋があります。温泉街で時計屋が成り立つのです。普通は、日用食料品店とか土産物店くらいしかないものですが、温泉街としての格が違いすぎます。ちなみに、城崎にある6つの外湯がまた立派で、全てを回れる一日券もあり、ネットでリアルタイムで混み具合がわかり、一番風呂に入れば記念手形がもらえます。
 そして「温泉神社」があるかどうか。温泉神社でパワースポット的な価値が付加されますし、温泉の神様を祀る温泉街にはそれなりの物語があります。あと、個人的な指標としている「遊技場」つまり射的・スマートボールのお店があるかどうかです。これが令和の時代にも生きている温泉街はかなり地力のある温泉街です。また、文豪が逗留して名作を残した温泉、例えば「城崎にて」などはそのままですが、名作とされている小説の舞台になった温泉地なり文人が逗留した温泉宿はやはりそれだけのことはあります。
 さらに昔は、賑わった温泉街には大人の劇場というのもありました。山形市に隣接する天童温泉や上山市の葉山温泉にもあったのですが、昭和の終わり頃にはだいぶ衰退していて、踊り子さんも高齢化し、むしろ服を着てほしいくらいと言っていた人がいましたが、それが外国人に代わり、ついに劇場は廃止になる、なんか衰退産業の構図そのものです。
 さて、いつものことわざシリーズを。「命の洗濯」という言い方があります。温泉はまさしくそういう場所です。アニメ「エヴァンゲリオン」では、「風呂は命の洗濯よ」というセリフあったとか。ちなみに江戸時代は、吉原あたりで「命の洗濯」をしていたそうです。

■ 冬の露天風呂のお話
 年末年始の蔵王温泉は、ほぼ間違いなく雪見風呂となります。名物の大露天風呂は残念ながら冬期間休業中ですが、宿によっては露天風呂に入れます。ただこの雪の露天風呂、確かに風情はありますが、脱衣所から素足で雪を踏みしめて湯舟まで行き、そのお湯がまた熱すぎたりぬるすぎたりして、吹雪のときは目もあけていられなくなる、それは雪すら見たことのない外国の方からすれば貴重な体験かもしれませんが、雪国の人からすれば罰ゲームのようなものであります。なお、酔った勢いのまま露天風呂に行き、雪上に裸でダイブするのは、気持ちだけにしておきましょう。

■ 年末年始イベントのお話
 年末年始の体験と言えば、千葉にある「夢と魔法の王国」の年越しカウントダウンに出かけたことがあります。午前2時ぐらいともなると、いくら関東とは言え海沿いの屋外は寒く、アトラクションの行列に並ぶ気力も失せて、「明日の土地」にあるハンバーガーレストランでは、寒さと疲労をしのぐカスタマーがびっしりと床に横たわり、大災害時の避難所といった様相でした。こういう場合、防寒ブランケット(シュラフなんかもいいかも)は必携です。ただ、それを背負いながらのアトラクション巡りもなかなか難儀なことかと。

■ 年末年始の思い出 その1
 昭和の時代の話で恐縮ですが、自分の両親などは年末ぎりぎりまで仕事していて、父親などは自宅に職場の仲間を呼んで「年越し麻雀」なんかをやっていて、元旦は届いた年賀状をもとに年賀状を書き始め、翌日に同じ市内の実家に顔出しに行く程度だったので、年末年始を旅館で過ごすどころか、年末年始は旅館も休みだろうぐらいの認識しかありませんでした。私もせいぜい「ゆく年くる年」が終わる頃から、夜通し市内の神社をハシゴして、あちこちで引くおみくじに一喜一憂するぐらいです。(おみくじのハシゴは本当はいけないそうですが)。
 この「ゆく年くる年」ですが、若い時は、除夜の鐘がただただ続くだけの地味な番組だなぁと思っていましたが、年を重ねるにつれ、全国の有名な寺社の様子を生中継で観られることのありがたさがわかるようになってきました。ちなみにこの生中継される寺社や鐘の打ち手というのは、寺社業界では「紅白」出場に匹敵するようなことらしいです。

■ 年末年始の思い出 その2
 後にようやく、年末年始に旅館に行く機会がありました。きっかけは旬の蟹を食べたいというものでしたが、目的とする北陸の某所は山形から遠いため家人の都合で正月休みぐらいにしか行けず、すると、ただでさえ高級食材のところに正月料金となり、慎重の上に慎重に検討を重ねたのですが、一度ぐらい贅沢してもということで、元旦に山形を発ちました。
 大宮経由で新幹線を乗り継ぎ、その日のうちに到着はしたものの、冬の日本海は案の定、みぞれ交じりの荒波で、海沿いにある旅館には波飛沫がかかり、部屋に籠り蟹だけを待つような状況でしたが、出てきた蟹は本当にすばらしいものでした。旅館内に蟹の生け簀があり、海が荒れて漁がなくても間に合う量を保管し、そこで落ち着かせて出すそうです。
 部屋にはまず、蟹がまるごと運ばれ、それを持ち上げガバっと広げるとまあ、大きいのなんの。ブランド蟹を示すタグの説明もなされ、ありがたみが増したところで調理場に回され、生、焼、茹、と出てきました。これを正月料理とともに食べている間は、贅沢とはこういうことか、いつかまたもう一度、とは思いましたが、山形に帰った後しばらくは、そのコスパについて悩んでいました。グダグダですみません。