最上義光歴史館

最上義光歴史館
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■名 称
令和七年度 常設展/コーナー展示1  
「鐵[kurogane]の美2025」 ~ 武士と日本刀 ~ 
 
■会 期
令和7年4月3日(木) ~ 令和7年6月29日(日)  

■内 容
収蔵刀剣の中から武士との係りがわかる資料を選びました。義光の二男で十二代当主最上家親が奉納した大太刀をはじめ、義光の四男山野辺光茂が所持した刀や福岡藩黒田家伝来の短刀など計10振りを展示しました。

■展示資料
1 短刀 銘 備前長船住景光/元徳三年五月日(重要美術品) 
2 短刀 銘 則国(重要美術品)
3 太刀 銘 一 備前国吉(以下切)/嘉暦二(以下切)
4 太刀 銘 出羽国酒田住兼高作/八幡宮奉納源家親(山形市指定有形文化財) 
5 刀 朱銘 来国次
6 刀  銘 月山正信作 
7 太刀 銘 備□長船盛重  
8 太刀 銘 藤光/元和元□□月十日給之兼松又四郎源吉政
9 刀  銘 水心子正秀/寛政三年八月日
10 脇指 銘 池田一秀入道龍軒/文政十一年二月日 袁茂政所佩

※展示順は制作年代順ではありません。
※都合により会期中に展示替えをする場合があります。

 先日、徳島市在住の最上家ゆかりの方から、書簡や連歌などの資料および刀剣を山形に預けたいとのお話をいただき、連歌を専門的に研究されている山形大学の先生とともに当館学芸員が徳島のご自宅に伺いました。計100点近い資料で、先に文書類だけを山形に送り、詳細を調査しているところです。特に連歌関係の資料には貴重なものもありました。
 そんな折、今年の山形県の高校入試の国語の試験では、連歌にかかわる出題がありました。しかも古文ではなく現代文で「AIと連歌を巻く」という題の評論です。歌人で細胞生物学者でもある永田和宏さんが「京都新聞」の日曜のコラム「天眼」に執筆されたもので、2023年11月5日に掲載されたものです。まずはこれを高校入試にした出題者のアンテナの高さに脱帽してしまうわけですが、話題がAIであることもさることながら、そのタイトルにある「連歌を巻く」という言葉にも受験生は面喰ったのではないかと思います。
 以前この館長日誌でも、連歌とAIについて少々触れたことがあり、そこではAIとからむのは何年か先の話かな程度の認識でしたが、永田さんは「AI と連歌を卷いてみませんか、という魅力的なお誘いをいただき、先日東京でその会に参加してきた。」とのことです。ちなみにこの「巻く」というのは、連歌を行うことを言い、詠まれた歌をすべて懐紙に記録しそれを「一巻」と数えることに由来します。ついでに、連歌の途中のことを「まきかけ」といい、なかなか句を続けられないことを「まきあぐね」といいます。
 さて、その出題文では、「AI生成文は、ある言葉が来た時に次にどんな言葉が続く確率がもっとも高いかを割り出してつくるので、既視感があるとか優等生的などと評される。しかし、短歌や詩では.そのような言葉の続き具合をもっとも嫌がる。そして、私たちが持つ言葉は、現実の世界に対応するには隙間だらけなのであり、あえて表現されなかったものにこそ思いを致す、実はそれこそが「読む」という行為なのである。隙間を読むことが大切なのである。その意味で、創作という行為、そして読みや鑑實という行為は、人にしかできないものと言ってよい。」としながらも、「その連歌であるが、当たり前の言葉の付け方にならないよう確率の低い語の選択を許すなど、いくつかのチャレンジをその場で模索しながら、会場と一体となって進行した。圧倒的なAIの進化の速度を考えると、一年後に対戦してみれば、結構、互角の応酬が期待できるのかもしれない。」と結びます。
 連歌には、その決まり事をまとめた「式目」があり、これは言ってしまえば連歌をつまらなくしないためのルールなのですが、そこには使用回数が限られる言葉やら、月や花の句がくる位置とか、同じ字や同じ景事を続けないなどとあります。ただ、こうしたことに従うだけなら、むしろAIのほうが間違いないでしょう。しかし語句の選択にあっては、確率の低い語を選ぶだけではきっとだめで、これは芸人さんで言えば、そのままのオチばかりのギター侍ではなく、かと言ってコウメ太夫の次元ではどうなのかということなのです。
 さらに連歌の展開にも課題があります。例えば発句(1句目)は季語を詠みこみ、脇句(2句目)は、発句の方向性を変えないように添えるように付け、第三(3句目)では、発句と脇句を転じ季節も変えて詠みます。また、連歌にも序破急があり、連歌を記録する懐紙は百韻の場合4枚用いるのですが、1つ目(初折)は序としてしとやかに、2つ目(二折)はさぬき句という賑やかな句を、残り(三折・名残折)は逸興ある句をとなっています。句と句の関係までならある程度プログラム化できそうですが、序破急となると全体の流れが見通せるものが必要となり、どのような句が「序」でどのような句が「急」なのか、これも単なる語句の出現確率の問題だけで対応できるものとは思えません。それでもそのうちAIは、「しとやかな句」とか「賑やかな句」などをなんとか形にしてしまうような気もします。


(→裏館長日誌に続く)

《2025年2月の利用者アンケート集計結果》

 この集計結果は令和7年2月1日から同28日の間に入館した利用者を対象に行ったアンケートを集計したものです。

企画展  (2/1 ~ 2/28)
開館日数・・・・・・・・・・・・・24日間 
入館者数・・・・・・・・・・・・・1,450名
回答者数・・・・・・・・・・・・・19人


1.本日は最上義光歴史館に
   ①企画展を見に来た・・・・・・・・・・・5%
   ②常設展示を見に来た・・・・・・・・・・74%
   ③両方見に来た・・・・・・・・・・・・・21%
①③の方、企画展を何で知りましたか??
(1)ポスター・チラシ等・・・・・・・・・・・40%
(2)歴史館のホームページ・・・・・・・・・・20%
(3)新聞・テレビ・ラジオ等・・・・・・・・・20%
(4)広報やまがた・・・・・・・・・・・・・・0%
(5)知人から聞いた・・・・・・・・・・・・・0%
(6)通りがかり・・・・・・・・・・・・・・・20%
(7)その他・・・・・・・・・・・・・・・・・0%

②の方 最上義光歴史館をどこで知りましたか??
(1)旅行雑誌・・・・・・・・・・・・・・・・0%
(2)歴史館のホームページ・・・・・・・・・・14%
(3)インターネット・・・・・・・・・・・・・36%
(4)新聞・テレビ・ラジオ等・・・・・・・・・7%
(5)広報やまがた・・・・・・・・・・・・・・0%
(6)知人から聞いた・・・・・・・・・・・・・7%
(7)以前から知っていた・・・・・・・・・・・21%
(8)観光案内所 (駅など)・・・・・・・・・・・7%
(9)通りがかり・・・・・・・・・・・・・・・0%
(10)その他・・・・・・・・・・・・・・・・・7%

2.歴史館の入館は何回目ですか??
(1)はじめて・・・・・・・・・・・・・・・・84%
(2)2回目・・・・・・・・・・・・・・・・・11%
(3)その他・・・・・・・・・・・・・・・・・5%

3.ご覧になられた感想
3-1内容はいかがでしたか??
  企画展
   ①大変よかった・・・・・・・・・・・・・68%
   ②よかった・・・・・・・・・・・・・・・32%
   ③ふつう・・・・・・・・・・・・・・・・0%
   ④つまらなかった・・・・・・・・・・・・0%
  常設展示
   ①大変よかった・・・・・・・・・・・・・68%
   ②よかった・・・・・・・・・・・・・・・32%
   ③ふつう・・・・・・・・・・・・・・・・0%
   ④つまらなかった・・・・・・・・・・・・0%

3-2最上義光と最上家について??
   ①よくわかった・・・・・・・・・・・・・68%
   ②わかった・・・・・・・・・・・・・・・32%
   ③わからなかった・・・・・・・・・・・・0%
   ④どちらともいえない・・・・・・・・・・0%

3-3施設内容について
  (1)また来館したいですか??
   ①また来たい・・・・・・・・・・・・・・100%
   ②今回のみでよい・・・・・・・・・・・・0%
(2)人に来館をすすめますか??
   ①来館をすすめる・・・・・・・・・・・・100%
   ②来館をすすめない・・・・・・・・・・・0%

4.ボランティアの案内はいかがでしたか
   ①よくわかった・・・・・・・・・・・・・58%
   ②わかった・・・・・・・・・・・・・・・5%
   ③ふつう・・・・・・・・・・・・・・・・0%
   ④つまらなかった・・・・・・・・・・・・0%
   ⑤案内を依頼していない・・・・・・・・・37%   

~利用者の声~

宮城県仙台市 男性/40代
無料でしたが、入場料をとって、いろいろと内容(映像資料など)を充実させても良いのではないでしょうか。

兵庫県宝塚市 男性/20代
最上義光のかっこよさを伝えたい。ボランティアの方が親切だった。

宮城県仙台市 男性/40代
是非ボランティアの方に(案内を)お願いするとよい、とてもよかったです。すごく楽しく解説いただいて、無料ででありがたい。また来ますボランティアさん!

宮城県仙台市 女性/50代
ボランティアの方のお話を伺わないとわからい風刺画等、大変わかりやすく解説いただきました。ありがとうございました!

埼玉県新座市 男性/40代
展示も大変充実していて見応えがありました。ボランティアの方の案内は大変勉強になりました。最上氏のことがとても良くわかりました。

千葉県印西市 男性/30代
展示物の見ごたえがあった。

宮城県仙台市 男性/10代
ボランティアの方が大変よかった。おしえてくれてありがとう。めっちゃだいすきです。

栃木県宇都宮市 男性/50代
そば屋の隠し酒(五薫)のお話がよかったです(笑)山形は最上家!と思っていましたが、いろんなドラマがあるのがわかって、とても興味が高まりました!!ボランティアの方の本物のご紹介がわかりやすくてよかったです!

神奈川県横浜市 男性/50代
説明が熱い!ボランティアさん最高でした!

山形市 男性/50代
ボランティアの方がどんどん話をしてくれる。最上家の系列がよくわかった。

大阪府茨木市 女性
雪でも道が安心、量も多くなくすっきり入れる施設だったので人にすすめたい。窓口の方が気持ちよい対応でした。駅からの道案内があまりない。あらかじめホテルできいたので、何となく分ったが、それでも途中、病院、NHKと並び、これでまちがっていないよなと心配だった。

山形市 女性/60代
義光のことがよくわかり入館料無料なので人にもすすめたい。入館無料なのはうれしい。入口がよくわからなかった。もしかして本日は休館かと思った。偉大な義光公、もっとPRしたらどうか。

奈良県奈良市 女性/30代
ボランティアの方の説明がわかりやすかったです。熱心に説明してくださった。解説(現代語訳)がわかりやすくよかったです。

北海道札幌市 男性/50代
ボランティアさんの話がとても詳しく勉強になりました。ありがとうございました。

山形市 女性/40代
説明がわかりやすかったので、人にもすすめたい。

山形市 女性/40代
陶器良かった~!!

埼玉県川口市 男性/50代
ご親切にありがとうございました。

※当館サポーターの個人名は「ボランティア」または「ボランティアさん」に変更しています。


 さてさて、この山形にもインバウンドの波が訪れていまして、山形県は最近、インバウンドの伸び率が日本一とのことです。そもそもこれまでが少なかったこともありますが。山形市の蔵王もこの冬はインバウンド様ばかりで、いままでにない光景を目の当たりにします。蔵王は昔から外国のようなスキー場と言われていて、それは山形弁が県外の方に通じないからですが、今は本当に外国語ばかりが聞こえてくる感じです。スキーウエアなどを着用することもなく街歩きの恰好のまま、ましてスキーもスノーボードも持たずに、朝からロープウェイ駅の外に長い行列を作り並んでおられます。ネットのライブカメラでもこの様子は見ることができますが、乗車券は午前中に完売という日々が続いているようです。夜間は樹氷がライトアップされ(2/23まで)、ロープウェイから観ることができますが、最近人気なのは新型雪上車「ナイトクルーザー号」に乗車し夜の樹氷を間近で体験するという「樹氷幻想回廊ツアー」です。当日のネットのみの予約で、受付開始とともに回線がパンク状態と表示されることがほとんどです。
 やはりと言うか、この蔵王に関係する最上義光の逸話もありまして、温泉街から酢川温泉神社に続く参道には「最上義光の力石」というものがあります。そこには、「義光が16歳(永禄4(1561)年)の時、高湯(蔵王温泉)に湯治にきた際、十数人の盗賊に囲まれた。しかし義光は単騎で盗賊に切り込み、その頭領を殺傷し数人に重傷を負わせた。その武勇を聞いた父の最上義守は最上家家宝「笹切丸」を与えた。また、義光は家来達と力比べをし、誰一人として持ち上げられなかった重さ約50貫目(190キロ)の大石を軽々と持ち上げた、と伝えられているのがこの力石である。」とあります。実は、襲ってきた盗賊を追い返し、父から笹切丸を給されたことまでは、「最上記」や「奥羽永慶軍記」にはあるのですが、力石については文書的に定かではなく、ただ「奥羽永慶軍記」に「(義光は)十六(歳)にしては七、八人しても動かしがたき大石を、只一人にして安々と押転ばし給ふ程の人なれば、今永禄四年四月四日の夜、盗賊をば討給ふ。」とあります。


「最上義光の力石」
山形市観光協会HPより

 とにもかくにも、何か目立つ石があれば、それにかこつけて物語などを付け加えたくなるのが世の常でして、例えば芭蕉の「奥の細道」でも有名な「殺生石」などもそのような類ではないかと。「殺生石」は国指定名勝ともなっており、近年、この石が割れてしまい話題になりました。那須町HPによると、「平安の昔、帝(みかど)の愛する妃に『玉藻の前』という美人がいたが、これは天竺(インド)、唐(中国)から飛来してきた九尾の狐の化身であった。帝は日に日に衰弱し床に伏せるようになり、これを陰陽師の阿倍泰成が見破り、上総介広常と三浦介義純が狐を追いつめ退治したところ、狐は巨大な石に化身し毒気をふりまき、ここを通る人や家畜、鳥や獣に被害を及ぼした。これを源翁和尚が一喝すると、石は三つに割れて飛び散り、その一つがここに残り「殺生石」と伝えられている。」とのことです。
 殺生石のある付近一帯は、硫化水素などの有毒な火山ガスが絶えず噴出し、鳥獣が亡くなることもあるためこのような伝名称となっているとのことですが、芭蕉も「奥の細道」では「石の毒気いまだ滅びず、蜂蝶のたぐひ、真砂の色の見えぬほど重なり死す」と記しています。
その殺生石が2022年3月5日、ほぼ中央から刃物で切ったように真っ二つに割れた状態で見つかり、SNSでは「封印されていた九尾の狐が解放された」などの書き込みがあったそうです。地元では早速、しめ縄を交換したそうですが、以前に比べて大幅に観光客が増え、この割れた殺生石をモチーフにした様々なグッズまで販売されているそうです。地元の人にとっては、不吉どころか吉となったとのことでした。
 「奥の細道」とくれば山寺のお話も。山寺は正しくは宝珠山阿所川院立石寺(りっしゃくじ)といい、寺名には「石」の字があります。そこで「立石寺」という名の由来を山寺芭蕉記念館のA学芸員に尋ねたのですが、それはわからないと。その地形はまさに石が切り立っているような場所なので、見た目そのままに「立石寺」としたのではとの安直な推測はできるのですが。ちなみに立石というと東京では「のんべえの聖地」そして「せんべろの街」こと葛飾区立石(たていし)が有名ですが、その地名は立石様と呼ばれる石があることに由来しており、立石寺とは関係ないようです。
 とにかく「立石寺」の名称の由来は、とりあえずはわからないままですが、慈覚大師が山寺を開くにあたり、大石の上でこの地方を支配していた狩人磐司磐三郎と対面し、仏道を広める根拠地を求めたと伝えられていて、その石は「対面石」として現在も山寺駅から立石寺に行く途中にあります。その「対面石」に隣接して、同じ名の眺望のいい蕎麦屋さんがあり、ここは「せんべろ」とはいきませんが、蕎麦で一献などはいかがでしょうか。いや、屋外ならば冬の山寺を背景に、名物の「玉こん」をあてにカップ酒でなら「せんべろ」もいけるかもしれません。なかなかハードではありますが。


(→裏館長日誌に続く)

《2025年1月の利用者アンケート集計結果》

 この集計結果は令和7年1月4日から同31日の間に入館した利用者を対象に行ったアンケートを集計したものです。

常設展示  (1/4 ~ 1/5)
企画展  (1/8 ~ 1/31)
開館日数・・・・・・・・・・・・・23日間 
入館者数・・・・・・・・・・・・・1,171名
回答者数・・・・・・・・・・・・・11人


1.本日は最上義光歴史館に
   ①企画展を見に来た・・・・・・・・・・・0%
   ②常設展示を見に来た・・・・・・・・・・64%
   ③両方見に来た・・・・・・・・・・・・・36%

①③の方、企画展を何で知りましたか??
(1)ポスター・チラシ等・・・・・・・・・・・0%
(2)歴史館のホームページ・・・・・・・・・・25%
(3)新聞・テレビ・ラジオ等・・・・・・・・・25%
(4)広報やまがた・・・・・・・・・・・・・・0%
(5)知人から聞いた・・・・・・・・・・・・・0%
(6)通りがかり・・・・・・・・・・・・・・・25%
(7)その他・・・・・・・・・・・・・・・・・25%

②の方 最上義光歴史館をどこで知りましたか??
(1)旅行雑誌・・・・・・・・・・・・・・・・0%
(2)歴史館のホームページ・・・・・・・・・・13%
(3)インターネット・・・・・・・・・・・・・13%
(4)新聞・テレビ・ラジオ等・・・・・・・・・0%
(5)広報やまがた・・・・・・・・・・・・・・0%
(6)知人から聞いた・・・・・・・・・・・・・0%
(7)以前から知っていた・・・・・・・・・・・25%
(8)観光案内所 (駅など)・・・・・・・・・・・13%
(9)通りがかり・・・・・・・・・・・・・・・25%
(10)その他・・・・・・・・・・・・・・・・・13%

2.歴史館の入館は何回目ですか??
(1)はじめて・・・・・・・・・・・・・・・・64%
(2)2回目・・・・・・・・・・・・・・・・・0%
(3)その他・・・・・・・・・・・・・・・・・36%

3.ご覧になられた感想
3-1内容はいかがでしたか??
  企画展
   ①大変よかった・・・・・・・・・・・・・45%
   ②よかった・・・・・・・・・・・・・・・36%
   ③ふつう・・・・・・・・・・・・・・・・0%
   ④つまらなかった・・・・・・・・・・・・0%
  常設展示
   ①大変よかった・・・・・・・・・・・・・55%
   ②よかった・・・・・・・・・・・・・・・18%
   ③ふつう・・・・・・・・・・・・・・・・27%
   ④つまらなかった・・・・・・・・・・・・0%

3-2最上義光と最上家について??
   ①よくわかった・・・・・・・・・・・・・36%
   ②わかった・・・・・・・・・・・・・・・64%
   ③わからなかった・・・・・・・・・・・・0%
   ④どちらともいえない・・・・・・・・・・0%

3-3施設内容について
  (1)また来館したいですか??
   ①また来たい・・・・・・・・・・・・・・82%
   ②今回のみでよい・・・・・・・・・・・・18%
(2)人に来館をすすめますか??
   ①来館をすすめる・・・・・・・・・・・・91%
   ②来館をすすめない・・・・・・・・・・・9%

4.ボランティアの案内はいかがでしたか
   ①よくわかった・・・・・・・・・・・・・45%
   ②わかった・・・・・・・・・・・・・・・18%
   ③ふつう・・・・・・・・・・・・・・・・0%
   ④つまらなかった・・・・・・・・・・・・0%
   ⑤案内を依頼していない・・・・・・・・・36%   

~利用者の声~

男性/10代
スタンプがおせるから人に来館をすすめたい。ボランティアの方が、えんぴつがおれたのをけずってくれてよかった。

山形市 男性/40代
教えたくないから人に来館をすすめない。また来たいです。

神奈川県横須賀市 女性/50代
最上家についてまとまった知識が得られるため人にも来館をすすめたい。入口のVTRの音声が常に耳に入ると、解説の文章が少々頭に入りづらいです。音量の工夫、ON-OFFの時間を作るなどがあれば、理想的に感じました。でもとても興味深く観覧できました。ありがとうございました。

山形県天童市 男性/80代
無料だし、案内人が良かったので人に来館をすすめたい。ガンバッテください。

山形市 男性
山形城の系図人口がほしい。

岩手県北上市 女性/40代
資料がとても充実していて、見応え充分でした。入場が無料なのと、グッズがたくさんあるのもおすすめポイントです。ボランティアの方がとてもていねいに説明してくれて良かったです。ありがとうございます。また来たいです。ポストカードがあったら良かったです。

台湾 女性/20代
ボランティアさんの案内は面白くて、分かりやすいです。大変勉強になりました。ありがとうございます。

新潟県佐渡市 男性/80代
案内を戴き有難とうございました。ボランティアの方がわかりやすい説明でよかったです。

福岡県北九州市 女性/20代
市民について、山形の歴史について知ることができるので人に来館をすすめたい。ボランティアの方の気配りがなされていた。ありがとうございました。

宮城県仙台市 男性/40代
義光公の事が詳しく知れたので人に来館をすすめたい。ボランティアの方から長谷堂合戦の事や様々な義光公の歴史を丁寧に教えていただき、とても為になりました。最上家後の歴史がもっと知りたいです。

※当館サポーターの個人名は「ボランティア」または「ボランティアさん」に変更しています。

 当館では現在、「シン・市民の宝モノ2025」(3月30日まで)を開催しています。山形市民が所蔵する宝モノを公募し展示する、市民参加型の展覧会です。出品に関しては古今東西、評価なども一切問わず、自慢の宝モノを物語とともに展示しています。おかげさまで、新聞やテレビなどからも、通常の企画展以上に取材いただいております。
 今回はテーマを「陶磁器」とし、皿や茶碗、花瓶などの出品を想定していましたが、ドレスデンレース人形や平清水焼の土人形、香炉、火鉢、さらには小松均画伯が絵付けした湯飲みというのもあり、予想を超える様々な出品をいただきました。まさに市民のお宝展というか、博物館の原点を思わせる展覧会となっております。感謝申し上げます。
 ちなみに、「ヨーロッパの博物館・美術館には、バロック期のヴンダーカンマー(驚異の部屋)に発祥するものが多い。ヴンダーカンマーとは、世界中の珍しい事物(異国の工芸品や一角鯨の角、珍しい貝殻、等々)を、種類や分野を問わず一部屋に集めたものである。」とWikiさんにありまして、規模は別として、今回はまさにそのような趣きになっています。
 これが日本の場合、博物館のきっかけとなるのが博覧会らしく、やはりWikiさんによると、「1872年(明治5年)、ウィーン万博への出品準備として開かれた湯島聖堂博覧会(文部省博物館)が日本の博物館の始まりとされ、東京国立博物館はこの時をもって館の創立としている。」とのことです。
 1867年(慶応3年)のパリ万博には、幕府、薩摩藩、佐賀藩がそれぞれ出展しているのですが、佐賀藩は、陶磁器や白蝋、和紙、茶などの特産品を、薩摩藩も陶器の薩摩焼や絹製品を出品したとのことで、いずれも陶磁器を出品しています。そのような歴史的経過からも、博物館の基本は陶磁器にあるなぁとも思うわけです。ちなみに、幕府による展示は、飾馬に乗る武者人形とともに、江戸商人が連れてきた3人の芸者が茶屋で日常生活を再現するなどし、パリっ子の人気をさらったそうです。画期的な展示というか、民俗学的というか。
 その民俗学ですが、大阪の国立民族学博物館(民博)は、日本万国博覧会の跡地に建設、1977年(昭和52年)に開館しています。設計は黒川紀章。メタボリズムの思想のもと、収蔵資料の増加にあわせ増築していくというものでした。収蔵庫不足に悩む各地の博物館の皆様、特に地元大阪におかれましては、切に願う思想ではないかと。
 そのきっかけは、太陽の塔での展示のために収集された資料や万博閉幕後の跡地利用を意識していた岡本太郎や梅棹忠夫の存在と、日本民族学会の「国立民族学研究博物館」構想とが重なり、国立民族学博物館が建設されることになったそうです。
 岡本太郎は、太陽の塔の地下空間に展示する仮面や神像などを収集するため、東京大学の泉靖一教授と京都大学の梅棹忠夫教授に「日本万国博覧会 世界民族資料 調査収集団」を組織することを依頼しました。約 20 人の若手研究者を世界中に派遣し、2,600 点近くの民族資料を集め、その約半数の資料を太陽の塔の地下空間に「根源の世界」というテーマで展示しました。その後、収集資料のほとんどが民博に収蔵されたそうです。
 今度の大阪・関西万博の会場跡地は、カジノやサーキットがあるリゾートになるようですが、博物館的には何か残すのでしょうか。まあ、廃棄物の埋め立てでできているこの会場自体は、「人新世」という地質時代を確実に残すことにはなりそうですが。(「人新世」は、1950年代を境に人類の活動が地球全体に影響を及ぼした地質時代として提案されたのですが、最近、国際地質科学連合で残念ながら否決されてしましたが)
 ところで、「博物館」という名称は、1861年(文久元年)の江戸幕府の文久遣欧使節の日録で、「British Museum(大英博物館)」に対して「博物館」という訳語を与えたことによるそうです。また、この「Museum」の語源は、「Mouseion」つまり芸術と学問を司るミューズの神々に捧げられた神殿に由来し、芸術家の方がよく、意中のご婦人に「ああっ、私のミューズ!!」と、口にするとかしないとかも、御存じのとおりです。と言うことで、当館の「シン・市民の宝モノ2025」には、ミューズとまでは言わないまでも、弁天様を中心に七福神を乗せた陶製の宝船も展示されております。

(→館長裏日誌に続く)