最上義光歴史館

最上義光歴史館
ログイン
メモ メール Q&A 暦 リンク 地図 ウィキ 特集 プラン
■ 日本刀の力学特性の話
 日本刀の理想は「折れず、曲がらず、よく切れる」こととよく言われます。日本刀は、心鉄(しんがね:やわらかい鉄)を皮鉄(かわがね:かたい鉄)で包むことで「折れず、曲がらず」を実現しています。また「よく切れる」ためには、とりあえず研げば切れるのですが、研ぎすぎると刀身が細くなり、しまいには地金がでてきます。「地金がでる」という言葉は、隠していた本性や癖が現れることをいいますが、もともとは日本刀からでた言葉です。ちなみに「なまくら刀」という言葉がありますが、これは焼きが甘いものを指します。これは「硬度が出ておらず、腰も弱くて、切れ味に欠ける」という「折れず、曲がらず、よく切れる」の全てを満たさない刀のことです。
 博物館などで新たに刀剣を収蔵する場合は、まずはこの「研ぎ」の心配をしなければなりません。別に切れる状態にしたいわけではなく、主に錆落としのためです。赤錆などをしっかり落としつつ、一方では刀が痩せないよう最小限の研ぎとしなければなりません。一見状態が良さそうでも、白い曇りのような錆がある場合も少なくなく、地鉄の美しさを出すためにも、当然、専門の研師(とぎし)に研ぎに出すこととなるのですが、大変なのがその「研ぎ代」の予算化でして、変な比較にはなりますが、包丁の研ぎと比べると金額は2ケタ程度違います。
 さて、「折れず、曲がらず」とは、材料力学的にはせん断耐力(強さ)と靭性能(粘り)と言い方になるのですが、鋼材の力学特性的には、弾性域から塑性域を経て破断点に至ります。つまりボョーンというものがグニャリとなってプチっといくわけです。このボョーンというのは弾性域つまり曲がっても元に戻る状態のことで、これが元に戻らなくなる状態つまり塑性域に入るところを「降伏点」と言い、降伏点に至るような力の状態を「降伏条件」と言っています。「刀折れ矢尽きる」と言う言葉がありますが、力学的には曲がった刀が元に戻らなくなれば降伏となります。ただこの降伏条件にはいろいろな組み合わせがあるわけで、まして日本刀のように複雑な組成や形状であると、恐らく実際に実物を用いて実験しないことにはわかりません。
 さらに形状や素材的なことを申しますと、「折れず」とは「曲げ強度」のことで、「断面二次モーメント」を「中心軸から最外縁までの距離」で割ったもの(=「断面係数」といいます)で表されます。また、「曲がらず」とは「曲げ剛性」のことで、「断面二次モーメント」に「ヤング率」を掛けたもので表されます。補足説明をしますと、「断面二次モーメント」とは断面の形状の違いによる変形のしにくさのことで素材は関係ありません。一方、「ヤング率」とは力に対するひずみの量のことで素材によって異なります。以上については、実は工学系では必修でして、基礎式も意外にシンプルなのですが、いざ適用しようとするとなかなかに面倒なものではあります。
 特に日本刀の場合は、部分により断面形状や組成も変り、しかもどの位置にどんな方向から力が加わるかという初期条件もいろいろ想定できるため、どうなると折れたり曲がったりしまうかは、やはり試してみないとわからないかと。まあ、こういう場合は、モデル化というやり方で整理し、シミュレーションするわけではありますが。
 そもそも、こんな小難しいこと以前に、日本刀で注目されるのは「反り」とか「波紋」だったりするわけで、少なくても「断面二次モーメント」とか「ヤング率」とかを気にする人はいないわけです。そんなことより、どんな構えで、相手のどこをどう斬るといったところから、反りや長さ、刀身の幅や厚さを造り込んでいくことになります。これが江戸中期ともなると二本差しで邪魔にならない形状というのが求められたわけで、もはや切れるかとか強度や剛性とかは二の次で刀の形が決まっていきます。
 ところで、日本刀には鎬(しのぎ)という刀身の側面で筋状に小高くなっている部分がありますが、この鎬により、刀の強度を保ちながら刃を薄く切れやすい形にすることができます。この鎬は「断面係数」に関係する部分でして、特に横方向からの強度に影響します。「鎬を削る」という言い方がありますが、刃と刃をぶつけ合うと刃こぼれしてしまうので、鎬や棟(むね:刃と反対側の部分)で受けたりしますが、刀の構造上、平地や棟に大きな衝撃を受けると折れる確率が高まります。
 ちなみに日本刀の棟(峰:みねとも言います)の部分を使って相手を斬らずに殴打する技法に「峰打ち」というのがありますが、これは打つ瞬間に刃先を返す、すると反りが逆になり、我が身には刃が向く、というかなり高度で危険な技でして、しかも刀を曲げてしまう可能性も少なくなく、実際にはほとんど用いられなかったとのことです。ただ殴打するだけなら、刀を鞘ごと帯から抜き取ってその鞘で打つそうです。
 なんか力が抜ける感じですが、そもそも峰打ちは、終戦後、GHQが映画やテレビでの殺人シーンを許可しなかったため、決闘シーンで殺人が起きないようにするために考え出されたもの、と「刀剣ワールド」の説明にありました。赤羽刀のみならず、こんなところにも日本刀にGHQが影響していたたようです。

■ 日本刀の機能的な謎について
 鎬の機能は先に紹介したとおりですが、機能的によくわからないのが「樋(ひ)」という刀身に彫られる長い溝です。樋には「血流し」という俗称があるそうで、敵を斬ったときに血が樋の中を流れていく様子から名付けられたとも言われます。ただし、樋の役割を記した史料が見つかっておらず、定説となっているのは「刀身の強度を低下させずに刀身を軽くするため」、「見栄えを良くするため」、「風切り音を出やすくするため」の3つとのことです。ちなみに風切り音については、実際に刀を振ってその音を収録した動画がネットにあります。
 さて、今回当館で展示している刀には、この樋がない刀が幾つかあり、ひとつは月山刀、あとは水心子とその弟子が打った刀で、偶然にいずれも山形に関係する刀ではあります。それらになぜ樋がないのかは知る由もありませんが、ひの打ち所がなかったからかもしれず、いや、ただの駄洒落でした、すみません。結果論的には、「血流し」や「見栄え」や「風切り音」は無用ということで。ちなみに水心子のものは、刀身が厚めで同じ長さの刀と比べると重量があり、つまりは「軽量化」も無用のようです。
 また短刀を2振展示しているのですが、ひとつは一筋の立派な樋が彫られ、いかにも血が流れるような感じにはなっていますが、もうひとつは細い模様のような線が2本平行して刻まれ、しかも刀身の半分までしかなく、これは明らかに装飾と思われます。また、短刀であれば、少なくても「軽量化」とか「風切り音」は無用かと思われます。


↑2本の樋が刻まれた短刀


↑ 磨上げられた茎に残る樋と目釘穴

 ついでに、「磨上げ」についても少々。磨上げとは使い勝手を良くするため太刀を短くしたものですが、それは切っ先を詰めるのではなく、茎(なかご) つまり刀身の 柄 (つか)に被われる部分を詰めていくのですが、当然、刃と茎の堺(区(まち))も動くので、新たに茎となった部分に樋の跡が残っている場合もよくあります。
 茎には銘が刻んであり、これは刀の評価のひとつとはなるのですが、磨上げによって銘が途中で切れているものを「銘切れ」、もとの茎が全て切り詰められたものを「大磨上げ」と言います。また、柄を茎に固定するための目釘を通すための穴(目釘穴)も磨上げにより新たな位置に開けられ、複数の目釘穴やそれを塞いだ跡があるものもあります。逆にこうした磨上げや補修が加えられていないものは「生ぶ(うぶ)」と呼び、収集家などからは珍重されます。
 ここで思い出したのが、以前の職場に車好きの若い職員がいて、中古車をいろいろイジっては、また別の車に乗り換えるということをしていたのですが、「この前、車を売ろうとしたんだけど、いろいろと金をかけていい車に仕上げているのに、なかなか高く買ってくれないんだよなぁ〜。」と、ぼやいていました。
 いや、これはその、カーオーディオとかタイヤホイール程度ならわかりますが、サスペンションやマフラー、ましてエンジンまでイジっちゃった車は、それはいくら金をかけたものであっても、いや金をかけるほど、普通の人は遠慮するのではないかとは思うのですが。
 似たような話として、武具や甲冑などに価値をあげるため後で勝手に家紋なんかを入れたものがあり、こうなると博物館での歴史資料としての評価はぐっと下がるというか、おいそれとは展示できないものになってしまいます。それでも所蔵せざるを得ない場合がありまして。

■ 右利きルールの話
 太刀と刀との区別ですが、実は刀より短い太刀とか、その逆のパターンもあって、長さだけでは決められないことではあります。時代的には室町初期までは太刀が、それより後は刀が主力とはなりますが、江戸時代でも太刀は奉納や献上などのために作られます。なので、時代だけでも区別はできません。
 博物館などで刀剣を展示する場合は、茎が左側になるよう展示します。その際、銘が刻んである側を向けるのですが、刃が下を向けば「太刀」、上を向けば「刀」としています。太刀は腰に佩(は)き(吊るし)ますが、そのとき刃は下に向いています。一方、刀は腰に差しますが、そのとき刃は上を向いています。つまり、その向きで展示してあるのです。この違いは騎馬戦と徒歩戦の違いによるもので、それは刀を振りかざして向かっていくのと、すぐに抜いて斬ってかかるという違いによるものです。ちなみに、太刀を磨上げした場合、銘が完全になくなったものは刀に分類されます。
 太刀と刀との区別については、実は刀装具すなわち拵(こしらえ)があればすぐに区別できます。ただ、刀身だけで流通している場合が多いので、こんな悩みになってしまいます。
 また、茎を左側に展示するのは、右利きの場合は刀は左腰に差すので、刀が見える側つまり身体の左側をみせるようにすると、柄はつまり茎は左側になるということです。左利きの場合は右腰に刀を差す方がよいのかもしれませんが、左腰に刀を差すとか、左側通行などの右利きルールというのは江戸幕府に定められた作法であり、武士としては左利きは隠しておかなければいけない悪癖とされていたそうです。
 また、背中に太刀を背負う(かつぐ)方法もあり、自分の左肩に刀柄がくるように斜めに背負うのが正しいかつぎ方なのだそうで、ここでも右利きルールなのです。もともとは大太刀など長すぎて腰に佩けないものに用いられたそうです。鉄砲と一緒にしてかついだりすることもあるそうです。なんか刀をかついでいるのは忍者とかのイメージがありますが、確か「仮面の忍者赤影」とか。ただ、赤影の場合、右利きなのに右肩に刀柄がきています。これは、忍者刀の刀身は短い(通常の日本刀は70cmほどですが、忍者刀は40cmほど)ので可能となるようです。ただ、刃は上向きなので、刀を抜き差しするときは、後頭部をかすめていくので大変危険とのこと。
 ちなみに、某アマゾンでは「刀剣ホルダー 剣帯2本背中用」という商品が売られていました。2本の刀をクロス掛けにして背負うためのものです。演劇用コスプレ道具とはありましたが、右に差すか左に差すか悩ましい方はこれでいかがでしょうか。

■ 水心子正秀の話
 当館の今回の展示には、新々刀の祖水心子正秀の刀もありますので少々そのお話も。(以下、水心子正秀については、主に「市報なんよう」および「刀剣ワールド」を参照しています。)
 慶長年間につくられた新刀は、身幅が広く、刀身は厚く、南北朝時代の太刀を短くしたような作りでした。江戸時代に入り武士は大小二本差が義務付けられたため、刀剣は腰に差して歩くのに適した長さで、反りの浅いものとなりました。
 江戸中期ともなると天下泰平の世を反映して刀工の数が減少し、作刀が衰退しはじめました。一方、鞘は黒蝋色塗が正式でしたが、朱塗りや蒔絵などの変り塗鞘が発達し、鍔も色金や彫金鍔などが数多くつくられ、多くの名工を輩出しました。出掛ける先々に合せて拵(こしらえ)つまり鞘や柄や鍔などの刀装具を付け替えることなどもされていました。もはや刀剣は武器ではなく装飾品としての機能が求められていて、これを粋とみるか見栄とみるか、まあ、いろいろではあります。
 そのような時代、水心子正秀(1750〜1825)は南陽市元中山に生まれました。幼名は三治郎。父を早くに失い、血縁の鈴木権治郎家や赤湯北町の外山家に身を寄せました。赤湯北町で野鍛冶をし、刀鍛冶をめざし、1771年に22歳で武蔵国八王子の宮川吉英に入門。宮川吉英は実戦本位の日本刀を作刀することで知られていました。
 出羽国に帰国し1774年(安永3年)に、山形城主秋元但馬守永朝(あきもとつねとも)に刀工として召し抱えられます。ちなみにこの秋元家、最上家の次に長い78年間も山形を治めた武家です。特に永朝は、武器・武具の職人を保護し、山形城の修復なども行いました。
 水心子正秀は1781年(天明元年)に出府し、日本橋江戸浜町屋敷秋元家鍛冶所で鍛錬に精進します。一方、刀鍛冶名人の子孫をたずねて学びました。1789年(寛政元年)名人正宗の子孫である山村綱広に入門、系図と秘伝書を授けられました。華美で反りの少ない日本刀に対して物足りなさを感じていた水心子正秀は、独自の刀剣理論である「刀剣復古論」を提唱します。後に「新々刀」と呼ばれる、反りが深く、実用本位の日本刀作りに邁進するとともに、「刀剣実用論」や「刀剣武用論」などの著作を刊行し、多くの門下生を育てました。つまりはマニュアルにまとめ、オープン化を推進したわけで、ここが新しい時代を築いたといわれる由縁でもあります。
 水心子正秀が育った山形県南陽市赤湯にある、桜の名所ともなっている烏帽子山八幡宮には、水心子正秀の顕彰碑があり、その付近には「水心子正秀」と染め抜かれたのぼり旗が何十本も刺してあります。ここの八幡宮では、所蔵する水心子正秀の脇差の写真入りの御朱印(1000円)も売られています。通常の御朱印は500円でしたが、それにしてもかつて御朱印というものは300円が相場でしたが、ここ数年でどこでも500円になってしまいました。絵馬もかつては500円程度だったのですが、今は1,000円が相場のようで、なんか米価格並みの引き上げ幅となっています。人件費を含め諸物価値上がりの中、仕方のないこととはいえ、願掛けにもコスト意識が必要になってきていて。これで1,000円以上のリターンが見込めるだろうかとか。とにかく、絵馬の政府備蓄とかあるわけでもなく、まして「絵馬は500円で出せる」とか言う担当大臣がいるわけもないのではありますが。


↑そこかしこに立てられている「水心子正秀」のぼり旗



《2022年5月の利用者アンケート集計結果》

 この集計結果は令和4年5月1日から同31日の間に入館した利用者を対象に行ったアンケートを集計したものです。

常設展示  (5/1 〜 5/31)
開館日数・・・・・・・・・・・・・26日間
入館者数・・・・・・・・・・・・・1,921名
回答者数・・・・・・・・・・・・・14人


1.歴史館をどこで知りましたか??
(1)旅行雑誌・・・・・・・・・・・・・・・・0%
(2)歴史館のホームページ・・・・・・・・・・7%
(3)インターネット・・・・・・・・・・・・・36%
(4)新聞・テレビ・ラジオ等・・・・・・・・・7%
(5)広報やまがた・・・・・・・・・・・・・・0%
(6)知人から聞いた・・・・・・・・・・・・・0%
(7)以前から知っていた・・・・・・・・・・・21%
(8)観光案内所 (駅など)・・・・・・・・・・・7%
(9)通りがかり・・・・・・・・・・・・・・・21%
(10)その他・・・・・・・・・・・・・・・・・0%

2.歴史館の入館は何回目ですか??
(1)はじめて・・・・・・・・・・・・・・・・71%
(2)2回目・・・・・・・・・・・・・・・・・21%
(3)その他・・・・・・・・・・・・・・・・・7%

3.ご覧になられた感想
(1)内容はいかがでしたか??
   �‖臺僂茲�った・・・・・・・・・・・・・86%
   �△茲�った・・・・・・・・・・・・・・・7%
   ��ふつう・・・・・・・・・・・・・・・・7%
   �い弔泙蕕覆�った・・・・・・・・・・・・0%

(2)最上義光と最上家について??
   �,茲�わかった・・・・・・・・・・・・・79%
   �△錣�った・・・・・・・・・・・・・・・21%
   ��わからなかった・・・・・・・・・・・・0%
   �い匹舛蕕箸發い┐覆ぁΑΑΑΑΑΑΑΑΑΓ亜�

〜利用者の声〜

大阪府大阪市 男性/40代
予想以上に面白いエピソードが多く、楽しめました。マンツーマンで解説いただき、ぜいたくな時間でした。

東京都世田谷区 男性/40代
様々なお話を聞かせてくださり、重層的に体感することができました。最上家や山形の歴史に興味を持ちました。勉強していきたいと思います。素晴らしい展示物と、親切なご説明により、とても充実した時間を過ごすことができました。ありがとうございました。展示物は写真撮影可能にしていただけると、SNSなどでも紹介しやすく、良いのではないかと思います。隠すのではなく、広めて共有し、存続させる時代ではないかと感じています。

東京都中野区 男性/20代
義光公の子供達や最上家のその後について、もっとくわしい解説があると良いと思います。

東京都中央区 男性/40代
ガイドの方の丁寧な解説でよくわかりました。ありがとうございました。

東京都中野区 女性/30代
ボランティアガイドさんが親切丁寧に説明して下さったので良くわかりました。山形の歴史への情熱が伝わってきました。

神奈川県横浜市 女性/50代
長谷堂城の合戦他、最上義光について、自分では知らない・気付かない見方を教えていただき大変おもしろく見学しました。ガイドさま、ありがとうございます。

新潟県新発田市 男性/40代
貴重なものが多く展示されていた。有料でも十分価値あると思います。大河ドラマでは悪役であったが、名君であったと今回改めて思いました。

埼玉県所沢市 男性/60代
入館無料で、ここまでしっかりしているのはめずらしいと思います。義光公のことが良くわかりました。ありがとうございました。

愛知県春日井市 男性/40代
山形城御城印、最上義光武将印の販売を希望します。日本100名城に入っているのに・・・。無いのはここだけです。

宮城県仙台市 男性/40代
山形城の御城印を是非とも出してください!!南東北の100名城の中で出てないのは、山形城のみです。非公認の偽物があるので本物をお願いします。

※当館サポーターの個人名は「ボランティア」または「ボランティアさん」に変更しています。

山形新聞に掲載されましたのでご存知の方もいらっしゃると思いますが、
歴史館のブログでもご紹介いたします。

ユネスコ映画創造都市・ブラッドフォード(イギリス)在住の
映像作家の方が先日歴史館に来館されました。


お2人とも甲冑姿がお似合いです!


説明を受けながら館内を見学され、関心を持たれた展示に質問いただくなど
興味深い様子で回られていました。
見学も甲冑体験もとても楽しんでいただけたようで何よりです。
ご来館ありがとうございました!

《2022年4月の利用者アンケート集計結果》

 この集計結果は令和4年4月1日から同30日の間に入館した利用者を対象に行ったアンケートを集計したものです。

常設展示  (4/1 〜 4/30)
開館日数・・・・・・・・・・・・・26日間
入館者数・・・・・・・・・・・・・1,775名
回答者数・・・・・・・・・・・・・18人


1.歴史館をどこで知りましたか??
(1)旅行雑誌・・・・・・・・・・・・・・・・0%
(2)歴史館のホームページ・・・・・・・・・・0%
(3)インターネット・・・・・・・・・・・・・11%
(4)新聞・テレビ・ラジオ等・・・・・・・・・11%
(5)広報やまがた・・・・・・・・・・・・・・0%
(6)知人から聞いた・・・・・・・・・・・・・11%
(7)以前から知っていた・・・・・・・・・・・39%
(8)観光案内所 (駅など)・・・・・・・・・・・0%
(9)通りがかり・・・・・・・・・・・・・・・11%
(10)その他・・・・・・・・・・・・・・・・・17%

2.歴史館の入館は何回目ですか??
(1)はじめて・・・・・・・・・・・・・・・・56%
(2)2回目・・・・・・・・・・・・・・・・・6%
(3)その他・・・・・・・・・・・・・・・・・39%

3.ご覧になられた感想
(1)内容はいかがでしたか??
   �‖臺僂茲�った・・・・・・・・・・・・・61%
   �△茲�った・・・・・・・・・・・・・・・39%
   ��ふつう・・・・・・・・・・・・・・・・0%
   �い弔泙蕕覆�った・・・・・・・・・・・・0%

(2)最上義光と最上家について??
   �,茲�わかった・・・・・・・・・・・・・41%
   �△錣�った・・・・・・・・・・・・・・・53%
   ��わからなかった・・・・・・・・・・・・0%
   �い匹舛蕕箸發い┐覆ぁΑΑΑΑΑΑΑΑΑΓ供�

〜利用者の声〜

山形市 女性/40代
出前講座の「よしあきスクール」で楽しく学び、今回来てとても最上義光について詳しくなり、歴史が益々好きになりました。 分かりやすく説明もあり、子どもにも分かりやすく良かったです。

山形市 男性/80代
3代までの移り変りと最上家のカイエキの経過も展示して欲しい。

神奈川県横浜市 女性/10代
クイズがあってたのしかったです。

神奈川県横浜市 男性/7歳
サンキュー

山形市 女性/40代
子どもが学校で学習してきました。実物を見られて感動していました。美術品が丁寧に展示されていました。ケースのガラスもきれいでした。無料で見られるなんてすごいです。頑張ってください。

埼玉県八潮市 男性/60代
とてもくわしく展示・解説があり勉強になりました。ありがとうございました。

山形県尾花沢市 男性/20代
ぜひ天童家なども推していただきたいです

山形県高畠町 男性/50代
リピーターとしては、もっと目新しい視点での企画があるとよいと思います。初心者、中級者、上級者向けと、それぞれに合った趣向があると良いと思います。NHK大河ドラマの主人公になるよう応援しています。

宮城県仙台市 男性/30代
鉄棒の鉛筆もよいが、レプリカでいいのでキーホルダー等を作ってほしい。刻印する文字のフォントは実物になるべく寄せると、購入する人もさらに増えると思いました。

宮城県仙台市 男性/60代
説明を聞くことができた。櫓内の展示も見ました。

※当館サポーターの個人名は「ボランティア」または「ボランティアさん」に変更しています。

大型連休初日の昨日は午後から冷たい雨が降り、夜には雪に変わりました。
みぞれになるという天気予報にまさかと笑っていたのですが、
夜遅くには雪が積もるほど降っていました…

一夜明けた本日は朝からすっきり晴れた青空!
路面の積雪はさすがになくなっていましたが、植栽にはまだまだ雪が…




霞城公園の東大手門の周囲も義光公の像の周囲も雪…


歴史館前のツツジの蕾も雪を被っておりました…

開花から2日で満開になったと全国ニュースでも話題になった山形の桜、
山形城の桜は今週末も見事に咲いております。


16日の午前中はぐずついていた空ですが、午後からは一転して快晴となり
夜には見事な月が上りました。


東大手橋周辺は行きかう人々とカメラを構える人々とで大賑わい、
東大手門広場周辺も人出が多くなっておりました。
ライトアップされている紅枝垂は人気のフォトスポットです。


霞城公園のすぐ東側を走る電車は毎年桜の季節に徐行運転が行われます。
車窓からも楽しみたい、見事な夜桜の眺めです。