最上義光歴史館

最上義光歴史館
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 さてさて、桃の節句とはいいますが、山形は梅の花もまだ咲かない状況であります。それでも山形城付近は、このところの好天で全く雪もなく、除雪機も早仕舞かなという感じです。一方、蔵王は近年まれにみる観光客で引きも切らず、山形駅前の蔵王温泉行バス停前には、インバウンド様が列をなしています。いずれもあまり目にすることのない光景で、そうなんです、蔵王だけ雪が豊富というのが一番ありがたいわけでして。
 さて、この時期、郷土系の博物館などでは、雛人形の企画展示でまさに祭り状態でして、山寺芭蕉記念館でも例年この時期に「おひなさま展」を開催(4月6日まで)しており、先日、当館学芸員もその展示準備を手伝ってきました。約200体の雛人形とともに山形県指定有形文化財「紅花屏風」も公開しています。
 山形には、江戸時代に最上川舟運や紅花交易により京都などからもたらされた雛人形が数多く残されており、○○家伝来の雛飾りといったものを中心に展示していることが多いです。ちなみに山形市に隣接している二市二町のいずれでも雛人形展を開催していて(天童市「天童の雛飾」、上山市「かみのやま城のひなまつり」、中山町「2026柏倉九左衛門家ひなまつり」、山辺町「やまのべひな人形展」等々)、付近の料理店などでも飾られていたり、菓子作りや着付けなどの関係イベントもあったりします。
 また、北前船で栄えた庄内地方でも、酒田市「旧阿部家ひなまつり」では、庄内一円から寄贈された約600体の雛人形が並べられ、鶴岡市「鶴岡雛物語 城下町のお雛さま」では、庄内藩主・酒井家などの享保雛、有職雛、古今雛、芥子雛などが飾られます。一方、上杉家所縁の米沢市や伊達家所縁の仙台市では、あまり大々的に雛人形を推すような展示がありません。恐らく紅花交易の多寡の他に、米沢は大正時代に大火に見舞われ、仙台は空襲による戦火があり、雛飾りが消失しているからなのでしょう。ただ5月にはそれぞれ、武家推しの大規模イベント(上杉まつり、青葉まつり)が催されます。
 雛飾りは、住宅事情とも相まって、年々コンパクトになってきているのに対し、五月飾りは年々立派になってきている感じがします。以前は鯉のぼりが主流で、室内飾りはそれほどでもなかった気がするのですが、やはり住宅事情でしょうか、鯉のぼりはすっかり見かけなくなりました。一方、河沿いに何百匹の鯉のぼりを並べるイベントがあったりします。市街地でも、山形市内では「ビルより高い鯉のぼり」として地上70mの高さの鉄塔(NTT東日本山形支店ビル屋上)から30匹の鯉のぼりを掲げていたりします
 こうした雛人形や鯉のぼりは、家庭などで使われなくなった寄贈品が主体となっています。文化伝承的にもSDG’s的にも大変よろしいことかとは思いますが、博物館の場合、なんでもかんでも寄贈をうけるわけにもいかず、こうした寄贈先等がない場合はなんらかの方法で処分せざるを得ません。
 特に人形の処分となると、複合材料なので仕分けにひと手間かかります。布地、金属。プラスチック、陶片 等々。物として割り切って廃棄できればいいのですが、人形となると単純に廃棄物扱いにできないことも多々あります。例えば、よく目が合う人形とか、表情が変わる人形だとか、声が聞こえる人形とか、そうしたものは特に簡単には扱えないかと。やはり気持ちが入っている人形などは、神社やお寺で供養(お焚き上げ)するのが一般的な方法ですが、一般社団法人日本人形協会というところでは、ゆうパックを利用した人形供養の代行サービスを行っているとのこと。なお、ゴミ回収に出す場合は、白い和紙や布に包んで塩で清めてから袋に入れると、気持ちの整理がつくそうです。また、フリマアプリで出品という方法も。リサイクルショップでも人気ブランドならそれなりの査定がつくといいます。特に五月人形とかはインバウンドさんに人気らしいです。
 今の時期は、新聞とともに五月人形の販売チラシが配達されてきますが、五月人形にもやはり流行があるようで、例えば一時期流行った「愛」の兜はチラシから姿を消し、代わりに伊達の三日月の兜が人気のようです。これを見た当館の物販担当は、「当館でもそんな兜をつくればいいんじゃない。前立を〈義〉とか〈光〉とかで。」と言っていました。おぉ〜、金脈、いや、可能性というのは、いろんな場所にあるなぁ。

( 裏館長日誌に続く→ )

 近年にない大雪となっています。青森では自衛隊の派遣要請もしているとのことで、「降り積もる雪、雪、雪、また雪よぉ〜、津軽には七つの雪が降るとかぁ〜」などと歌っている場合ではないことは重々承知しておりまして。それが「こな雪、つぶ雪、わた雪、ざらめ雪い〜」などではなく、単なるドカ雪であることも想像に難くなく、なんかこんなことを昨年も言っていたような。でも、雪が降ると、この歌が浮かんでくるんですよ。「こなぁ〜ゆきィ〜」とかは、あまり浮かんではきませんが。
 山形県内も海沿いや山沿いは記録的な降雪ですが、山形城のあるこの山形市街だけは不思議に、あまり降らずに済んでいます。当館ボランティアさんも、ここに城を構えた最上家は偉いものだなぁ、などと囁き合っています。
 さて、数多くの連歌を詠んだ最上義光ですが、やはり雪に関わる句もあります。
「入月のかけやとゝめし雪の庭」、文禄4年(1595年)12月16日に開催された歌会での発句でして、これはすなわち義光が主客の歌会であるということです。
 この句を解釈すると、まず「入月」ですが、これは月が地平線や水平線の下に沈むことです。国立天文台では「月の中心が視地平線と一致する時刻を月の入り」と定義しています。「日の出」や「日の入り」は太陽の「上辺」が地平線にかかった瞬間ですが、月には満ち欠けがあるため、月の「中心」が地平線にかかった瞬間になるそうです。
 次に「かけやとゝめし」ですが、これは連歌表記あるあるでして、濁点を補えば「影や留めし」となります。ここで「影」の意味ですが、これは「月影」つまり「月の光」です。古文における「かげ」というのは、この月あかりという「光」と月光に照らされる「姿」という2つの意味で主に用いられ、入試の重要古語とのこと。どうでしょう、この句を入試問題としては。
 また、「月の影(月影、つきかげ)」は、主に秋の夜空に輝く月を表す秋の季語です。この句では「雪の庭」という言葉があるので、単純に冬の句かと思ってしまいますが、月影が地面に降った雪のように白く見える様子を「月の雪」と表すことから、この句では、実際には雪がない秋の庭を詠んでいるとも考えられます。また、第二句に「松風寒き」とあり、第三句に「秋くれて」とあるので、この句も同じ晩秋の句であることが推察されます。
 まずは「入月」と「かげ」の意味がわかれば、雪の有無は別として、内容的に理解できる歌です。ちなみに義光の辞世の句とされているものでも月と雪を詠み込んでいます。「有といひ無しと教へて久堅の月白妙の雪清きかな」という句ですが、こちらはなかなか難解な内容ではあります。
 さて、この発句に続くのは次の句です。
 松風寒き釣簾のゝ山      弥阿 (=出羽国、光明寺僧侶)
 軒近き木葉あらハに秋くれて  昌叱(=里村 昌叱(さとむらしょうしつ))
 日かりかすかに雰はるゝ空   玄仍 (=里村玄仍(さとむらげんじょう))
 まず、第二句の「松風寒き釣簾のゝ山」について。
 脇句といわれる第二句は、発句と同じ季節の季語を用いる、と「連歌式目」にあり、一般的には体言止めになります。季語としての「松風」はやはり秋。しかも「寒き」とあるため晩秋です。一方、「釣簾」は夏の季語で、「野山」はこの句の場合、晩秋の野山でしょう。晩秋に夏の名残を対比させる、つまりは異なる季節の季語をぶつけるという、季語を重んじる脇句ならです。
 ちなみにこの脇句を詠む人は「亭主」と呼ばれ、通常その席の主催者(主人)が担当しますが、名前にある弥阿という人は山形の「光明寺」つまり最上氏の祖・斯波兼頼の菩提寺の僧侶です。もしかして山形で開催かとも思いましたが、その参加者をみると山形で催された会ではないようだとのことです。
 続いて、第三句の「軒近き木葉あらハに秋くれて」について。
 第三句は、その会での連歌の「行様(ゆきよう)」を決定付ける重要な句とされ、その多くが「て」止めで終わります。一見、何気ない句ではありますが、ルールどおり「て」で止めており、また、ちょっとした仕掛けもあるようです。
 さて、ここで問題です。「木葉あらハ」というのはどのような状態をさすのでしょうか。そのままでは「葉っぱが丸見え」となりますが、「木葉あらハ(露わ)」とは、実は木々の葉がすっかり落ちて枝があらわになっている様子のことです。これも入試問題にと。また、「秋くれて」は、「晩秋」と「秋の夕暮れ」の二つの意味を持つ季語で、この句では、発句や脇句からすれば「晩秋」ととるのが自然ですが、もしかしたらダブルミーニングになっているかもしれません。
 そして、第四句の「日かりかすかに雰はるゝ空」について。
 第四句は、「て」で終わることが多い第三句に続く自然な描写や動作で文脈を繋ぐこととされ、同じ季節や用語が連続しないようにともされています。
 この句は一見、難解な感じですが、「日かり」は「光」です。しかし「雰」とは「雰囲気」という語句以外にはあまり見かけず、読み方も「フン」だけですが、「霧(きり)」のことです。つまりは「光幽(かす)かに霧晴れる空」という情景描写そのままでして、あえて軽く展開する(平気、平句)、この何気なさが第四句には大切です。
 以上、発句から第四句までセオリーどおりでもあり、なんとなく読み解けるのですが、五句目以降となると、句の自由度が一気に増すため解釈が難しくなります。第五句は「すさましき雪に志かれや残すらん」というものですが、やはり難問でして、「すさましき雪に志かれや」とは、豪雪に埋まり動けない様のことですが、次の「残すらん」が何にかかっているのかわからず、さらに六句目がまた、いきなり飛躍した展開となっていて、しかも本歌取りのような、掛詞のようなものがありまして。ということで、今回はこれくらいで勘弁願います。
 何分にも、この連歌が巻かれた年(文禄4年)は、駒姫が斬首された年(8月2日)であり、背景にはそれも読み込まれている可能性があります。連歌の底は知れず、やはり私のような者が語るには百年早いかと。

(→裏館長日誌に続く)



《2026年1月の利用者アンケート集計結果》

 この集計結果は令和8年1月4日から同31日の間に入館した利用者を対象に行ったアンケートを集計したものです。

常設展示  (1/4 〜 1/31)
企画展  (1/15 〜 1/31)
開館日数・・・・・・・・・・・・・23日間 
入館者数・・・・・・・・・・・・・1,201名
回答者数・・・・・・・・・・・・・15人


1.本日は最上義光歴史館に
  �ヾ覯菘犬鮓�に来た・・・・・・・・・・・0%
  �⊂鐇濺玄┐鮓�に来た・・・・・・・・・・87%
  �N省�見に来た・・・・・・・・・・・・・13%
�´�の方、企画展を何で知りましたか??
(1)ポスター・チラシ等・・・・・・・・・・・50%
(2)歴史館のホームページ・・・・・・・・・・0%
(3)新聞・テレビ・ラジオ等・・・・・・・・・0%
(4)広報やまがた・・・・・・・・・・・・・・0%
(5)知人から聞いた・・・・・・・・・・・・・0%
(6)通りがかり・・・・・・・・・・・・・・・0%
(7)その他・・・・・・・・・・・・・・・・・50%

�△諒� 最上義光歴史館をどこで知りましたか??
(1)旅行雑誌・・・・・・・・・・・・・・・・0%
(2)歴史館のホームページ・・・・・・・・・・0%
(3)インターネット・・・・・・・・・・・・・43%
(4)新聞・テレビ・ラジオ等・・・・・・・・・7%
(5)広報やまがた・・・・・・・・・・・・・・0%
(6)知人から聞いた・・・・・・・・・・・・・7%
(7)以前から知っていた・・・・・・・・・・・36%
(8)観光案内所 (駅など)・・・・・・・・・・・0%
(9)通りがかり・・・・・・・・・・・・・・・7%
(10)その他・・・・・・・・・・・・・・・・・0%

2.歴史館の入館は何回目ですか??
(1)はじめて・・・・・・・・・・・・・・・・80%
(2)2回目・・・・・・・・・・・・・・・・・7%
(3)その他・・・・・・・・・・・・・・・・・13%

3.ご覧になられた感想
3−1内容はいかがでしたか??
企画展
  �‖臺僂茲�った・・・・・・・・・・・・・33%
  �△茲�った・・・・・・・・・・・・・・・33%
  ��ふつう・・・・・・・・・・・・・・・・33%
  �い弔泙蕕覆�った・・・・・・・・・・・・0%
常設展示
  �‖臺僂茲�った・・・・・・・・・・・・・80%
  �△茲�った・・・・・・・・・・・・・・・20%
  ��ふつう・・・・・・・・・・・・・・・・0%
  �い弔泙蕕覆�った・・・・・・・・・・・・0%

3−2最上義光と最上家について??
  �,茲�わかった・・・・・・・・・・・・・67%
  �△錣�った・・・・・・・・・・・・・・・33%
  ��わからなかった・・・・・・・・・・・・0%
  �い匹舛蕕箸發い┐覆ぁΑΑΑΑΑΑΑΑΑΓ亜�

3−3施設内容について
(1)また来館したいですか??
  �,泙人茲燭ぁΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΓ牽掘�
  �∈2鵑里澆任茲ぁΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΓ隠魁�
(2)人に来館をすすめますか??
  �〕茣曚鬚垢垢瓩襦ΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΓ隠娃亜�
  �⇒茣曚鬚垢垢瓩覆ぁΑΑΑΑΑΑΑΑΑΑΓ亜�

4.ボランティアの案内はいかがでしたか
  �,茲�わかった・・・・・・・・・・・・・80%
  �△錣�った・・・・・・・・・・・・・・・13%
  ��ふつう・・・・・・・・・・・・・・・・0%
  �い弔泙蕕覆�った・・・・・・・・・・・・0%
  �グ篤發魄様蠅靴討い覆ぁΑΑΑΑΑΑΑΑΓ掘鵝  �

〜利用者の声〜

北海道帯広市 男性/40代
霞城公園のついでで丁度よい(ので人に来館をすすめる)。(ボランティアの方の説明が)丁寧。無料で大丈夫か。

福島県福島市 男性/40代
係の方(ボランティアの方)が最上家の事をよく教えてくれた(ので人に来館をすすめる)。治水(最上川)・文化人・神社。NHK大河になるとよいですネ。また、いつか、城が復元されたら嬉しいです。

東京都 女性/40代
山形の歴史を知ることができる(ので人に来館をすすめる)。(ボランティアの方から)深く楽しくご案内いただいて、大変勉強になりました。もっと自分でも勉強して、また来ます。

山形市 男性/30代
思っていたよりも見ごたえがあったから(人に来館をすすめる)。(ボランティアの方から)興味深いお話を楽しく聞かせていただきました。

山形県東根市 女性/30代
子供がクイズたのしそうにしていました!駒姫の辞世の句、写真撮りたかったです…

東京都 男性/30代
おもしろかったので(人に来館をすすめる)。ボランティアの方からからいろいろなおもしろいせつめいをうけました。
The guide was very nice and entertaining!

福島県郡山市 女性/20代
ボランティアの方に色々おしえていただけるので(人に来館をすすめる)。楽しかった。(ボランティアの方の説明が)詳しくて、噛みくだかれた説明でとてもよかった。義光公の書かれたお手紙の書籍ください。義姫様や政宗公との関係が気になります。親戚間のビミョ〜な良い話ください。学修マンガの発売ありがとうございます。鮭様最高(`・ω・´)

山形市 女性/50代
山形がほこれる方だとわかったから(人に来館をすすめる)。(ボランティアの方から)とても詳しくお教えいただき、今まで知っっていた最上義光公のイメージがとてもよくなりました。山形のほこりです!(歴史館が)これからも長く続きますように!!

福島県福島市 女性/50代
お話をたくさん聞けたので、よく勉強になりました。これからお城を見に行くので、よく理解しながら見られそうです。楽しかったです。

兵庫県神戸市 男性/60代
ビデオがわかりやすかった(ので人に来館をすすめる)。

山形県長井市 男性/20代
ガイドさんが詳しく話してくれて大変面白かった。

山形市 男性/40代
特に地元の若い人達(に来館をすすめる)。(ボランティアの方の説明が大変よかった)もっと知りたくなった。義光祭のような祭りの復活(を希望する)。

青森県八戸市 男性/50代
最上義光公の偉業を知ってほしい(ので人に来館をすすめる)。(ボランティアの方の知識が深く楽しかった。もっと話が聞きたかった。戦が強い話をもっと知りたい。

福島県福島市 女性/60代
無料で案内まで付いて観ることができてよかった!!(ボランティアの方から)質問されて分からないことばかりで恥ずかしかった。色々教えていただき勉強になりました。ありがとうございました。

福島県郡山市 女性/20代
非常にめずしい展示がたくさんあって見所がたくさんでした。(ボランティアの方が)博識でたくさんの知識をご教示いただき大変勉強になりました。また伺いたいです。

※当館サポーターの個人名は「ボランティア」または「ボランティアさん」に変更しています。


市民の皆様に出品いただいた「宝モノの馬」

 1月15日から開催中の「シン・市民の宝モノ2026」には、幅広く様々な出品をいただいております。鋳物や木工細工、切手やジャンパー、馬券まで、ひとひねりを加えていただいた展示品も数多くあります。
 さて、前回の館長日誌は、最上義光とは関係のない話題がほとんどでしたので(これは前回ばかりではありませんが)、今回は直接関係する話を中心に。まずは、義光という名前への返礼品が馬という話でも。
 最上義光は丙午の年1546年(天文15年)正月生まれで、幼名は白寿丸と言い、1558年(永禄元年)に13歳にて元服。将軍足利義輝から「義」の字をもらい義光としました。その御礼として翌年、父の義守は将軍に馬を献上しました。将軍義輝は「出羽国最上山形孫三郎」が献上した馬が無事に通過するように、越後の長尾景虎へ往来の便を図るよう命じています。(六月二十六日、足利義輝御内書、上杉家文書)。
 「偏諱(へんき)」、つまり目上の人の名前の一文字をもらい受けることですが、その御礼となると馬とかになるということで、しかも、その送達には、関係者への協力要請もなされるという、結構、大掛かりなことではあります。
 さらに馬にかかわる話としては、「最上記」に「於天堂原馬揃之事」というのがあります。「最上記」は、1634年(寛永11年)に成立した最上義光公のいわゆる軍記物であり、それはまた「義光の伝説化の原点」となるものです。以下、その要約です。
 1602年(慶長7年)1月15日に義光公は「来る四月、天童原に於いて馬揃えを催す。」として、「直参の家臣は申すまでもなく、家中の者までも日頃馬を嗜んでいる者は、残らず参加すべし。ただし、本荘豊前守をはじめ在番衆280騎は参加の必要はない。そのほか参加する者どもは前以て山形へ来て名簿に記帳のこと」とのお触れがだされた。御旗本はいうまでもなく家中の者までも馬を嗜んでいる者は、ここを晴れの場と用意し、当日は天童原へ虎の刻(午前4時頃)より参集した。この度、名簿に記帳した馬揃えの参加騎馬数は合計3,727騎であった。
 催しには近国から来て集まった見物人が幾千人。義光公も卯の上刻(午前6時頃)に城を出発、御供としては近習衆や小姓並びに器量のよい若者30騎を選り抜き、みな同じ袖なし羽織を着せて召し連れた。
 予定どおり城持の重臣たちから乗り始めようとしたところで、義光公が「今日は延引いたそう」と仰せられ、にわかに帰城してしまった。集まっていた者皆が不審に思い、「そもそもこの馬揃えは、数ケ月以前よりの御催しであるのに、にわかに御帰城なさるとは、なにか御気分でも悪いのでは」と心もとなく思い、我も我もと山形へ駆け付けた。
 そこへ「今日の馬揃えが延期となったのは、みなの者が心配するような事情ではない。急いで帰られよ」と、家臣を通して仰せられたのでその言葉に従い私宅へ帰った。
 後に若侍衆が大勢寄り集まったとき、「今度の馬揃えは、かねての日よりのお触れであるから、しっかり御目に入れようと思って、我こそはと準備いたしたのに、延期となったのは本意ないことよな」と、つぶやいた者があった。これに対して、ある者が申した。「つらつら義光公の御心底を想像してみるに、御遊覧のため馬揃えを命じられたのではあるまい。近年は天下が穏やかで、狂言綺語の戯ればかりが盛んであるから、自然、武具馬具の嗜みもおろそかになってはいまいかと思し召し、馬揃えにことよせて、武具馬具の古くなったのを改め申すようにとのお考えなのだろう。この企画はかねてからの催しであるから、近国の諸大将は、最上の騎馬数を知ろうとし目付け役を寄越したのは確かなこと。だからといって見物を禁止とするのも度量の狭い感じで、そんなことからにわかに帰城なさったのではないか。そのゆえに上下が混乱し、われ先にと山形へ馳せ着いたために、見物人も騒ぎ立てて収拾つかぬ状態だった。それがために他国から来た目付け役の方々も何も見所なく、空しく帰ったということだ。それなのに、大将の深い考えも知らず、口に任せて左様なことを語り給うな」と注意したので、聞く人は、なるほどもっともなことだ、と申したのであった。
 この話は昨今にも通じる含蓄に富んだ話です。中国故事のような格言になってもよいくらいかと思うわけで。「天童原の馬揃え」ということで。これは、大規模なイベントを理由に、建物や物品をリニューアルする、という意味になろうかと、あるいは、本当の目的は別にある、という意味にも。使い方としては、「今度、本部からエライさんがくるけど、昼食はどうしようかね。」、「山形牛の焼肉弁当とかどうでしょう。せっかくなので皆の分も。」、「なんか天童原の馬揃えだなぁ。」という感じでしょうか。いや、ちょっと違うぞ。それは単なる便乗では。


(館長裏日誌へ続く →)

「シン・市民の宝モノ2026」

今年の干支は丙午(ひのえうま)です。最上義光は天文十五年(1546)丙午の年の正月に生まれました。今年は生誕から480年、8回目の丙午です。
このたびは60年に1回の丙午の年を記念して、「本命、対抗、大穴も…」と謳って募集テーマを「馬」にし、山形市民から馬に関係する宝モノをご出品いただきました。物の良し悪しではなく「宝モノ」の背景にある物語を楽しんでください!!

▼展覧会の趣旨
この展覧会は、山形市民を対象に、所蔵する「宝モノ」を募集して、最上義光歴史館の展示室に展示し、広く一般に公開する市民参加型の展覧会です。出品に関しては自薦他薦を問わず、また、洋の東西・時代・評価額・文化財としての価値なども一切問いません。自慢の「宝モノ」を出品し、その物語を紹介するものです。


▼1 主  催  
公益財団法人山形市文化振興事業団

▼2 共  催
山形市

▼3 会  期
令和8年1月15日(木)〜 3月29日(日)

▼4 会  場
最上義光歴史館 (山形市大手町1-53) 第一展示室北側展示ケース

▼5 開館時間
午前9時から午後4時30分まで 

▼6 入 館 料
無 料

▼7 出品中の「宝モノ」の応募規定
(1)応募資格 
山形市在住の方
(2)募集する「宝モノ」の条件 
・募集する品 「馬」に関係する宝モノ
・「宝モノ」として誇れるもの(自薦他薦は問いません)
・出品者の所有であるもの
・原則として出品者本人が製作した作品でないもの
・展示期間中に変質しないもの(生物や食物などは不可)
・展示中破損の恐れがないもの
・最上義光歴史館に展示可能な大きさのもの

▼8 現在出品中の「宝モノ」たち
出品者 22名 件数 41件 点数 73点

馬像1
馬像2
左馬 飾り駒
かみのやま競馬のおてふきとスナップ写真
個人提供/かみのやまニュートラック所蔵
馬の折り紙、スナップ写真、ロビーカード
蝋型(馬)と魚のデザイン銅製花瓶
打毬
新海竹太郎作 いななく馬、馬
北支那所見
軍人馬乗り、馬乗り
南部絵馬師 鐙庵つと無 絵馬
雲海筆 源義家
馬の刀装具(鐔、小柄、縁)
跳ね馬のジャンバー
イタリアの馬車
青い馬
ナポレオンと愛馬
馬の色紙絵
馬と人物の置物
トルコ、トロイの木馬民芸品
岩手県のチャグチャグ馬っこ
馬の置物
『武勇魁図会』天保9年(1838)
馬のおもちゃ
酒田凧(騎馬武者絵)
十二支揃「左馬」
掛け軸
交通安全「当たらないお守り」
馬の一木造り
兵馬俑 置物 兵4馬1
灰陶加彩人馬俑
干支のボトル
figuma馬フィギュア(茶・白)
馬が描かれた記念切手
飛翔駒
将軍の白銀駿馬像
馬二匹 (色紙)王一夫筆
馬九匹 (はがき)王一夫筆
荒馬を乗りこなす人  フレデリック・レミントン
馬と文化シリーズ郵便切手
20年前の相馬野馬追ポスター

※宝モノの名称は出品者によります。


雪の帽子と襟巻をした最上義光像


寒中の最上義光騎馬像 (いずれも撮影1/6)

 新年あけましておめでとうございます。当館では1月15日から企画展「シン・市民の宝モノ2026」として、「馬」をテーマに開催します。今回のテーマを馬としたのは、今年の干支が午であることはもちろん、最上義光が丙午生まれであることによるものです。市民の皆様から、ブロンズ像や武者絵、絵馬やハズレ馬券まで、馬にまつわる様々な出品をいただきました。是非ご覧いただければと思います。
 さて、ここで馬に関する山形ローカル話でも少々。
 当館のすぐ近くに初詣などでも賑わう豊烈神社というのがあり、幕末の山形藩主の水野家が祀られています。水野家祖先の忠元公の命日である10月6日には、神事として「打毬」が行われます。6騎の騎馬が紅白に分かれ、紅組は赤い毬を、白組は白い毬を馬上から網の付いた杖ですくい上げ、毬門の的穴に投げ入れます。ペルシャ発祥で平安時代に日本にも伝えられた競技で、英国の「ポロ」も起源は同じです。山形県指定無形民俗文化財で、他に宮内庁と八戸市の長者山新羅神社との3カ所だけに残っているものです。豊烈神社の打毬会場は狭い敷地ゆえ、馬を駆るにはなかなか大変なのですが、間近で観ることができ、親しみやすい実況中継もあります。
 また、山形県最上地方には「ムカサリ絵馬」というものがあります。絵馬は、神様への感謝や祈願として生きた馬(神馬)を奉納していたものが、土馬、木馬、そして木の板に馬の絵を描いたもの(絵馬)へと簡略化されたものです。「ムカサリ絵馬」は、結婚せずに亡くなった子供のために、親などが子供の結婚式を絵馬にして奉納するもので、江戸時代から続くものです。古い絵馬には当人だけではなく媒酌人などの立会人も描かれていましたが、近年のものはツーショットが主流とのことです。ただし、生きている人を描いたり名前を書いたりすると、その人もあの世に連れていかれてしまうとのことで、これはタブーとなっています。
 さらにローカルネタを続けますと、山形市の北方に隣接する天童市は、将棋駒の生産量日本一ですが、ここが発祥で「左馬(ひだりうま)」という縁起物があります。大きな駒に「馬」の字を左右反転して書いている縁起物で、「うま」を逆に読むと「まう(舞う)」ということで、めでたい、馬が人を引き寄せる(商売繁盛)、馬は左から乗ると倒れない(人生でつまづかない)などの意味があるそうです。新築祝いや開店祝いに贈られたりしているもので、大小さまざまですが、天童市内のラーメン屋、蕎麦屋などの飲食店には必ずと言っていいほど置いてあります。この「うま」を「まう」というのは、「ウゴウゴルーガ」と同じ言い回しといいますか、これは「ゴーゴーガール」のことですが、「おきらくごくらく」という意味があるとかないとか。
 一方、山形市の南方に隣接する上山市にはかつて、上山競馬場という地方競馬場がありました。1935年から競馬が開催され、1958年に上山市が運営するようになりました。高度成長期は地元温泉とともに活況を呈し、バブル景気の1980年代最盛期を迎えました。上山市の財政はこれで、県内一といっていいほどに潤い、実際、市立小・中学校の校舎や設備などは、山形市などとは比較にならない立派なものでした。しかしバブル崩壊後、地元温泉などの観光不振による歳入減で財政的な危機に陥り、競馬場自体も存続困難となり2003年11月に終了しました。
 上山城郷土資料館では1月12日(月・祝)まで「かみのやま競馬関係資料展」が開催されています。上山競馬の初開催から90周年を記念した企画展で、上山競馬場の往時の写真や騎手のウェア、思い出の品々など約100点が展示されています。好評につき会期が当初予定より1か月以上延長されました。
 上山競馬場をロケ地にした映画・TVなどポスター類も展示してあり、そこに「喜劇競馬必勝法」という映画のポスターがあります。1967年に東映が送り出た作品で、ちょうど60年程前、世の中はギャンブルブームだったそうで、それに乗じてシリーズものとして企画されたそうです。主役は谷啓と伴淳三郎、その他もオールスターばかりで当然のようにヒット。その後のシリーズ作品では、谷啓と伴淳三郎は役柄を変えながら出演しました。そしてシリーズ三作目となるのが上山競馬場を舞台に製作された「喜劇競馬必勝法一発勝負」(1968年)です。谷啓が競馬場所長、伴淳三郎が嘱託獣医、大橋巨泉がペテン師を演じ、つまりは「ガチョーン」と「アジャパー」と「ウッシッシ」が上山競馬場で一堂に会する作品というわけです。出演する女性俳優も、橘ますみや杉本エマという知る人ぞ知る魅惑的なキャスティングであります。
 上山競馬場で個人的に思い出すのは、私の祖父が亡くなったとき、束になった大量のハズレ馬券が茶箪笥の引出し一杯に見つかりました。遺産らしきものがなかったのはこれかと。見事な終活とも言えるのかもしれませんが。それにしても普通、ハズレ馬券というのはとっておくものなのでしょうか。


(→館長裏日誌へ続く)