最上義光歴史館

最上義光歴史館
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■ 温泉の良し悪しのお話
 温泉の良し悪しは、まずは「源泉かけ流し」かということで。それなりの湯量があり、循環させない、加水しないのが大事とされます。自噴であればなおよし、温泉が空気に触れることなく湯舟の底からこんこんとお湯がわきでてくるのが最上(さいじょう)とのこと。蔵王温泉にもそれにあてはまる貴重なお風呂はあるのですが、熱いし強酸性なのでなかなかにきついお湯です。個人的には、かつて白濁した温泉成分の強い温泉が好きでしたが、今は弱アルカリ性の透明な湯が好きです。白布温泉「西屋」のお湯は加水ですが弱アルカリ性で、湯舟の大きさからすればすごい湯量で頭の上からじゃばじゃばと降り注いできます。
 一方、温泉街については、勝手にその良し悪しの基準をもっています。まず、「豆腐屋」がある温泉街は間違ありません。豆腐屋があるということは、豆腐屋がなりたつような経済地域であり、温泉客が行き来する温泉街だということです。これが大手資本の温泉施設ばかりが立ち並ぶ場所だと、客を囲い込み過ぎて豆腐屋もありません。山形県内では、「銀山温泉」の豆腐屋では冷ややっこがテイクアウトでき川沿いの足湯で食べることができます。「小野川温泉の豆腐屋は、様々な豆腐や関係商品が並び、とりわけ豆乳ソフトクリームが人気です。
 圧巻なのが城崎温泉。豆腐屋も当然あるのですが、その隣には時計屋があります。温泉街で時計屋が成り立つのです。普通は、日用食料品店とか土産物店くらいしかないものですが、温泉街としての格が違いすぎます。ちなみに、城崎にある6つの外湯がまた立派で、全てを回れる一日券もあり、ネットでリアルタイムで混み具合がわかり、一番風呂に入れば記念手形がもらえます。
 そして「温泉神社」があるかどうか。温泉神社でパワースポット的な価値が付加されますし、温泉の神様を祀る温泉街にはそれなりの物語があります。あと、個人的な指標としている「遊技場」つまり射的・スマートボールのお店があるかどうかです。これが令和の時代にも生きている温泉街はかなり地力のある温泉街です。また、文豪が逗留して名作を残した温泉、例えば「城崎にて」などはそのままですが、名作とされている小説の舞台になった温泉地なり文人が逗留した温泉宿はやはりそれだけのことはあります。
 さらに昔は、賑わった温泉街には大人の劇場というのもありました。山形市に隣接する天童温泉や上山市の葉山温泉にもあったのですが、昭和の終わり頃にはだいぶ衰退していて、踊り子さんも高齢化し、むしろ服を着てほしいくらいと言っていた人がいましたが、それが外国人に代わり、ついに劇場は廃止になる、なんか衰退産業の構図そのものです。
 さて、いつものことわざシリーズを。「命の洗濯」という言い方があります。温泉はまさしくそういう場所です。アニメ「エヴァンゲリオン」では、「風呂は命の洗濯よ」というセリフあったとか。ちなみに江戸時代は、吉原あたりで「命の洗濯」をしていたそうです。

■ 冬の露天風呂のお話
 年末年始の蔵王温泉は、ほぼ間違いなく雪見風呂となります。名物の大露天風呂は残念ながら冬期間休業中ですが、宿によっては露天風呂に入れます。ただこの雪の露天風呂、確かに風情はありますが、脱衣所から素足で雪を踏みしめて湯舟まで行き、そのお湯がまた熱すぎたりぬるすぎたりして、吹雪のときは目もあけていられなくなる、それは雪すら見たことのない外国の方からすれば貴重な体験かもしれませんが、雪国の人からすれば罰ゲームのようなものであります。なお、酔った勢いのまま露天風呂に行き、雪上に裸でダイブするのは、気持ちだけにしておきましょう。

■ 年末年始イベントのお話
 年末年始の体験と言えば、千葉にある「夢と魔法の王国」の年越しカウントダウンに出かけたことがあります。午前2時ぐらいともなると、いくら関東とは言え海沿いの屋外は寒く、アトラクションの行列に並ぶ気力も失せて、「明日の土地」にあるハンバーガーレストランでは、寒さと疲労をしのぐカスタマーがびっしりと床に横たわり、大災害時の避難所といった様相でした。こういう場合、防寒ブランケット(シュラフなんかもいいかも)は必携です。ただ、それを背負いながらのアトラクション巡りもなかなか難儀なことかと。

■ 年末年始の思い出 その1
 昭和の時代の話で恐縮ですが、自分の両親などは年末ぎりぎりまで仕事していて、父親などは自宅に職場の仲間を呼んで「年越し麻雀」なんかをやっていて、元旦は届いた年賀状をもとに年賀状を書き始め、翌日に同じ市内の実家に顔出しに行く程度だったので、年末年始を旅館で過ごすどころか、年末年始は旅館も休みだろうぐらいの認識しかありませんでした。私もせいぜい「ゆく年くる年」が終わる頃から、夜通し市内の神社をハシゴして、あちこちで引くおみくじに一喜一憂するぐらいです。(おみくじのハシゴは本当はいけないそうですが)。
 この「ゆく年くる年」ですが、若い時は、除夜の鐘がただただ続くだけの地味な番組だなぁと思っていましたが、年を重ねるにつれ、全国の有名な寺社の様子を生中継で観られることのありがたさがわかるようになってきました。ちなみにこの生中継される寺社や鐘の打ち手というのは、寺社業界では「紅白」出場に匹敵するようなことらしいです。

■ 年末年始の思い出 その2
 後にようやく、年末年始に旅館に行く機会がありました。きっかけは旬の蟹を食べたいというものでしたが、目的とする北陸の某所は山形から遠いため家人の都合で正月休みぐらいにしか行けず、すると、ただでさえ高級食材のところに正月料金となり、慎重の上に慎重に検討を重ねたのですが、一度ぐらい贅沢してもということで、元旦に山形を発ちました。
 大宮経由で新幹線を乗り継ぎ、その日のうちに到着はしたものの、冬の日本海は案の定、みぞれ交じりの荒波で、海沿いにある旅館には波飛沫がかかり、部屋に籠り蟹だけを待つような状況でしたが、出てきた蟹は本当にすばらしいものでした。旅館内に蟹の生け簀があり、海が荒れて漁がなくても間に合う量を保管し、そこで落ち着かせて出すそうです。
 部屋にはまず、蟹がまるごと運ばれ、それを持ち上げガバっと広げるとまあ、大きいのなんの。ブランド蟹を示すタグの説明もなされ、ありがたみが増したところで調理場に回され、生、焼、茹、と出てきました。これを正月料理とともに食べている間は、贅沢とはこういうことか、いつかまたもう一度、とは思いましたが、山形に帰った後しばらくは、そのコスパについて悩んでいました。グダグダですみません。


《2020年11月の利用者アンケート集計結果》

 この集計結果は令和2年11月1日から同29日の間に入館した利用者を対象に行ったアンケートを集計したものです。

常設展示  (11/1 〜 11/29)
開館日数・・・・・・・・・・・・・23日間
入館者数・・・・・・・・・・・・・2,341名
回答者数・・・・・・・・・・・・・4人


1.歴史館をどこで知りましたか??
(1)旅行雑誌・・・・・・・・・・・・・・・・0%
(2)歴史館のホームページ・・・・・・・・・・0%
(3)インターネット・・・・・・・・・・・・・0%
(4)新聞・テレビ・ラジオ等・・・・・・・・・0%
(5)広報やまがた・・・・・・・・・・・・・・0%
(6)知人から聞いた・・・・・・・・・・・・・0%
(7)以前から知っていた・・・・・・・・・・・50%
(8)観光案内所 (駅など)・・・・・・・・・・・0%
(9)通りがかり・・・・・・・・・・・・・・・50%
(10)その他・・・・・・・・・・・・・・・・・0%

2.歴史館の入館は何回目ですか??
(1)はじめて・・・・・・・・・・・・・・・・100%
(2)2回目・・・・・・・・・・・・・・・・・0%
(3)その他・・・・・・・・・・・・・・・・・0%

3.ご覧になられた感想
(1)内容はいかがでしたか??
   �‖臺僂茲�った・・・・・・・・・・・・・33%
   �△茲�った・・・・・・・・・・・・・・・67%
   ��ふつう・・・・・・・・・・・・・・・・0%
   �い弔泙蕕覆�った・・・・・・・・・・・・0%

(2)最上義光と最上家について??
   �,茲�わかった・・・・・・・・・・・・・33%
   �△錣�った・・・・・・・・・・・・・・・67%
   ��わからなかった・・・・・・・・・・・・0%
   �い匹舛蕕箸發い┐覆ぁΑΑΑΑΑΑΑΑΑΓ亜�

〜利用者の声〜

兵庫県川西市 男性/40代
もっと詳しく。
近年、いろいろな資料が見つかっていると聞きます。
今後も、新しい発見を発信して欲しいです。

不明
独眼竜政宗のイメージが強かったが、こちらを拝見して、とても立派な方だった事が分かりました。

※当館サポーターの個人名は「ボランティア」または「ボランティアさん」に変更しています。

■「津軽海峡」と「天城」の思い出
 かつて青函連絡船が運行されていた頃、それは夜間に青森駅を出て早朝に函館に着くのですが、大晦日の船内では紅白歌合戦が放映されます。以前、その様子を記録した映像が放送され、年の瀬に連絡船に乗り「津軽海峡冬景色」を観ている乗客の姿に、思わずこっちまで入り込んでしまい、それまでなんとも思わず聞いていたこの曲が、今ではあのイントロを聞くだけで泣けてくることがあります。中学の修学旅行でこの青函連絡船に乗った時は、ただただ眠くて、気づいたら函館で、その時は、あの「は〜るばる来たぜ、函館ぇ〜」という歌だけが、頭の中で響いていました。
 天城方面にも行きました。浄蓮の滝はやはり見ごたえがあります。大きいので写真に収めるのがなかなか難しい。ここの滝壺には「女郎蜘蛛伝説」というのがあり、美しい女の姿になった女郎蜘蛛を見かけた樵(きこり)は、そのことを口留めされるのですが、いわゆるそういう話です。浄蓮の滝には「天城越え」の歌碑が設けられています。ちなみに竜飛岬には「津軽海峡冬景色」の歌碑が設けられていて、こちらはボタンを押すと「ごらんあれが竜飛岬、北のはずれと」と2番の歌詞だけが流れるそうです。
 あと観光名所と言えば、天城山隧道(旧天城トンネル)でしょうか。心霊スポットとしても有名らしいのですが、今は「千と千尋」のトンネルとも言われているそうで、以前は「伊豆の踊子」のトンネルとして有名でした。ちなみに川端康成が「伊豆の踊子」を執筆したという「湯本館」は心地のいい温泉宿です。お湯がとてもいい。また、「千と千尋」の湯屋のモデルだという「積善館」には広いお風呂場があり、ここの蒸し風呂がまた独特なのですが、天城の話と離れてしまうので、ご紹介は別の機会に。それにしても四万温泉のお湯はいいです。ほとんどが自然湧出で、飲泉もできるというのはすごいことです。
 話を戻すと、天城で一番記憶にあるのは、「孤独のグルメ」で紹介されていたわさび園かどやの「わさび丼」です。自分ですりおろした生ワサビをご飯にのせ、鰹節に醤油をかけるだけという、要するに「ねこまんま」の生わさびのせなのですが、これがやたら美味しい。添えられたワサビ茎の佃煮がまたいい。なお、すりおろさず残った生ワサビは持ち帰りできます。

■「カラス」と「雪」の話
 モネの絵というと、「睡蓮」とか「積みわら」とか「鉄道橋」とか「教会」とかを、時間とともに移ろう光の色で描き分けた連作を思い出されるかもしれませんが、「雪景色」を描いた作品も少なからずあります。光の変化を描き分けた連作はないのですが、雪化粧した「積みわら」の絵もあります。
 その中でもオルセー美術館蔵の「かささぎ」と題される作品が有名で、日本でも何度か展示されていますが、もう本当に、雪の光加減を見事にとらえています。しかしながらその「かささぎ」は、そう言われないと見落としそうな、雪景色の中にさりげなく小さな黒い筆跡で表されています。カササギは、上部が黒、腹部が白、尾が鮮やかな青色をしたカラスの仲間です。カササギは日本にもいるにはいるのですが、佐賀近辺にしかいないそうで、日本にはこれを含めて7種類のカラスがいるそうです。
 これを知って、なぜか「津軽には七つの雪が降るとかぁ〜」と口ずさみそうになりましたが、それはさておき、当館の手前にある人工池のほとりにはたまに、どうも他とは違う鳴き声のカラスが来ます。動物好きの当館学芸員に尋ねると、あれは近くの交差点の信号機の音を真似しているのだとか。興味のある方はぜひご来館を。雪が積もれば、あのモネの絵のような情景を、この一風変わった鳴き声とともに目にすることができるかもしれません。
 ちなみに山形は「津軽の七つの雪」のような詩情あふれる雪は少なく、降るのは「ボタ雪」とか「ドカ雪」とか、あとは「滑る雪」とか「滑らない雪」とかです。生活情報としては「重い雪」か「軽い雪」か、「積る雪」か「積もらない雪」か、「残る雪」か「残らない雪」かも重要です。まあ、こんな感じなので、津軽のような演歌は生まれないのかなぁ、山形は。


■ことわざの話
 いつものことわざシリーズですが、今回はたいしたオチにもならなそうなので、裏日誌に回します。鎧にまつわることわざとしては、「衣の袖から鎧が見える」というのがあり、本音が見え隠れする、という意味ですが、その由来は平家物語にあるとのことです。
 「物語要素事典」の「重ね着」(?!)の項目には、「武士を召集し法住寺の御所へ押し寄せようとする平清盛のところへ、嫡子重盛が諌めにかけつける。清盛はあわてて鎧の上に法衣を着、胸板の金具が見えるのをひき隠しつつ対面」したとあり、実はあわててしまいバレバレであるという話なわけで、これは「頭隠して尻隠さず」に近い感じです。
 ちなみにこの「重ね着」の例示では他に、「法衣の上に鎧を着る。」、「死装束の上に羽織を着る。」、「他国の軍服の下に、自国の軍服を着る。」というのも載っていて、これを全て「重ね着」という括りにしてしまっているのがすごいところです。
 それはさておき「衣の袖から鎧が見える」というのは、私はてっきり「腹に一物をもっている」という意味合いなのかなと思っていました。ここで「一物」と言うと、あの神様にお願いする唄が思い出されますが、いや、ここでやめておきます。さすがに当館にもコンプライアンスというものが、はい。

■甲冑と映画の話
 これは別にディスるわけではないのですが、「ダースベイダーは、伊達政宗の甲冑」説と「上杉謙信の甲冑は、全身銀色の南蛮胴」説は、いずれも有名ではありますが、事実ではないという話です。
 これはあくまでネットによる確認情報なのですが、まずは、伊達政宗の甲冑の話から。スター・ウォーズの制作関係者から黒漆五枚胴具足を所蔵している仙台市博物館に写真の提供依頼があり、また、1997年に発行された"STAR WARS−THE MAGIC OF MYTH−"という本の188−189ページには、ダースベイダーと伊達政宗の黒漆五枚胴具足の兜部分の写真が並んで紹介されているとのこと。ここまでは事実です。しかし「ウキペディア」によると、「ルーカス博物館の館長のレイラ・フレンチによれば、ジョン・モロが役者をロンドンのコスチュームショップに連れて行き、そこで黒いオートバイ・スーツと黒いマントを見つけ、それに第一次世界大戦中のドイツ軍のガスマスクとナチスのフリッツヘルメット(シュタールヘルム)をモデルにしたヘルメットを追加したものであるという」、とのことです。
 次に上杉謙信の甲冑について。「Yahoo知恵袋」のベストアンサーには「上杉謙信が実際に着用した鎧は何点か現存していますが、その中には南蛮胴は一つもありません。日本での南蛮胴は、南蛮との交易が盛んになったことから見られるようになりますが、安土桃山以降です。また、記録上でも謙信に纏わる南蛮胴は存在しません。つまり、1570年代に死去した謙信が着た可能性はかなり低いでしょう。上杉謙信と南蛮胴との関係ですが、映画『天と地と』で上杉謙信は南蛮胴を使用していました。(中略)そして、大河ドラマ『風林火山』では、(南蛮胴を)上杉謙信を演じるGACKTさんが着るに至ったと推察します。」とのことでした。
 それにしても最上義光の甲冑は、映画でもTVドラマでも、ましてSFでも取り上げられるわけでもなく、某大河ドラマでは「関ケ原の戦い」に突入するも名前すら出てくる気配がなく、「どうする」以前の状況ではあります。しかしここは、これを改めていくべきではないかと思い、まずはドラマのタイトルを考えてみました。例えば、「それにしても義光」というのはどうでしょうか。やはり、いけませんかね。失礼しました。あと、「ヨシミツじゃないよ、ヨシアキだよ。」という番組名も考えましたが、あっ、許してください、ごめんなさい。

■ナレッジマネジメントの話
 学芸員さんの間で、刀剣や甲冑についての話をするとき、品物や資料の知見については多くを語らず、どこの誰が何を持っているという情報交換に熱が入ります。そしてそれは家族関係の話であったり健康状態の話であったり、言葉としては何なのですが、いわゆるナマモノの情報です。つまり、いつ出物がでるかと虎視眈々に、とまではいかないまでも、そんな情報のアップデートを図っているわけです。それは学芸員同士だけではなく、収蔵品の運搬を請け負う業者さんであったり、刀剣や甲冑を趣味としている方などにも探りが入ります。収蔵品の入手にあっては、単に金銭の勝負だけではなく、タイミングが重要であり、これまでの付き合いも当然大事になります。これが寄託や寄贈ということにでもつながれば、学芸員の面目躍如といったところでしょう。
 しかも刀剣や甲冑は、様々なレベルのマーケットが形成されていて、しかもそれは国外にも広がっていて、しかも外国のコレクターには結構な金持ちがいて、それが相場を引き上げる原因にもなっていたりして、こういうことからも、当館のような資金に乏しい弱小博物館では太刀打ちできないわけでして。やはりここは、普段からの不断の情報収集で勝負するしかありません。
 ただし、このような情報のほとんどは、個人レベルの暗黙知であり、これをどう形式知に変換して、作業の効率化や知識の共有を図るか、いわゆるナレッジマネジメントが組織の課題ではあるのですが、逆に学芸員の存在価値もそこにあるわけで、難しいところではあります。いくらDXだ、AIだ、と言ってみても、やはりナマモノの情報は、まずはマンツーマンが基本とは思いますが、最近はそれもSNSなどで知ることになる場合もありまして、悩ましいところではあります。そう言えば、かの長寿スパイ映画にもこんな組織課題を背景にした話がありましたが、映画と違いこちらには、カーアクションや爆破シーン、そしてお色気シーンというのもありません。


《2020年10月の利用者アンケート集計結果》

 この集計結果は令和2年10月1日から同31日の間に入館した利用者を対象に行ったアンケートを集計したものです。

常設展示  (10/1 〜 10/31)
開館日数・・・・・・・・・・・・・27日間
入館者数・・・・・・・・・・・・・2,247人
回答者数・・・・・・・・・・・・・8人


1.歴史館をどこで知りましたか??
(1)旅行雑誌・・・・・・・・・・・・・・・・0%
(2)歴史館のホームページ・・・・・・・・・・13%
(3)インターネット・・・・・・・・・・・・・13%
(4)新聞・テレビ・ラジオ等・・・・・・・・・0%
(5)広報やまがた・・・・・・・・・・・・・・0%
(6)知人から聞いた・・・・・・・・・・・・・25%
(7)以前から知っていた・・・・・・・・・・・13%
(8)観光案内所 (駅など)・・・・・・・・・・・0%
(9)通りがかり・・・・・・・・・・・・・・・13%
(10)その他・・・・・・・・・・・・・・・・・25%

2.歴史館の入館は何回目ですか??
(1)はじめて・・・・・・・・・・・・・・・・88%
(2)2回目・・・・・・・・・・・・・・・・・12%
(3)その他・・・・・・・・・・・・・・・・・0%

3.ご覧になられた感想
(1)内容はいかがでしたか??
   �‖臺僂茲�った・・・・・・・・・・・・・57%
   �△茲�った・・・・・・・・・・・・・・・43%
   ��ふつう・・・・・・・・・・・・・・・・0%
   �い弔泙蕕覆�った・・・・・・・・・・・・0%

(2)最上義光と最上家について??
   �,茲�わかった・・・・・・・・・・・・・100%
   �△錣�った・・・・・・・・・・・・・・・0%
   ��わからなかった・・・・・・・・・・・・0%
   �い匹舛蕕箸發い┐覆ぁΑΑΑΑΑΑΑΑΑΓ亜�

〜利用者の声〜

東京都八王子市 男性/50代
映像による視聴情報があれば分かりやすい。

東京都 男性/30代
ゲーム等では政宗とセットで語られがちな最上の詳細を知ることができて大変勉強になりました。
白鳥十郎を謀殺した時の血染めの桜はどの辺にあったのでしょうか。

宮城県宮城町 男性/20代
前回同様、貴重な展示品と丁寧な解説で、とても楽しめました。今回は絵の解説などを通して最上家の家臣達について知ることができたので、次は義光公のみならず個性的な家臣団のピックアップにきたいしています。

※当館サポーターの個人名は「ボランティア」または「ボランティアさん」に変更しています。


◇ 連歌AIのお話
 正直、私個人としては、連歌どころか短歌すらつくったことがなく、今回の日誌は、「歴史館だより」とネットから拾ってきている記事のコピペばかりです。つまるところchatGPTでできるようなことを手作業(ハンドメイド)で綴ったというところでしょうか。
 さて、AIと言えば、将棋の藤井聡太八冠でもおなじみになっていますが、文化分野全般にもAIはしっかりと入り込んできています。作曲、絵画、漫画の領域においても、AI生成による作品について報道されていますが、例えば文芸では、星新一の短編を全て読み込ませ、新たなショートショートを創作したりしています。
 北海道大学調和系工学研究室では、俳句を詠む人工知能「AI一茶くん」を開発をしています。その学習データは、小林一茶のみならず松尾芭蕉、正岡子規、高濱虚子らの作品をも網羅。それでも生成した俳句は古臭いものもあったので、現代俳句の四十万句をも取り入れました。文法生成のシステム開発とともに、俳句のチェック機能も装備。季語や切れが一個あるか、五七五であるかなどをチェックし、適合しないものをはじきます。その成果は、写真を見せて俳句を詠む、というものです。
 ならば、この応用で連歌生成AIというのもできるはず。まずは宗匠の役割を担うAIを。その名称は多分、「AI宗祇くん」かと。次に連歌を詠むそれぞれ個性を持たせたAIを5、6体ほど(武士の他、貴族とか僧侶とか)。なんかこれ、小松左京の未完の小説「虚無回廊」の主人公のようです。この小説の設定では、宇宙探査に行くために、人工的な自分のコピーを作り、それに専門の異なる6名の仮想キャラクターAIを載せるというものですが、そのAIの中には多様性をもたせるために女性キャラクターというものも入っていて。ん、待てよ、ということはAIにも性別が。確か、江戸時代には女性の連歌師もいたけれど、いや、ここは性別不詳(いわゆるQ)が正解なのか、悩ましいところではあります。

◇ AIの学習環境のお話
 手塚治虫の漫画でも、そのストーリーとキャラクターを読み込ませ、新たな作品が創作されたりしています。過日、報道がなされていましたが、「ブラックジャック」の創作もなされており、手塚眞氏は「ブラック・ジャックは200話以上あり、作品数が多い。そのなかでも物語が絡んでいる。これも研究には有効ではないか。それと手塚治虫らしさ、作家の個性もはっきりしている。作家を分析する上ではいい材料になる」とコメントしています。そうなんです。まずはしっかりした学習データが豊富にないとAIは創作できないんです。最上義光が関係する連歌だったら、データはそこそこありますよぉ。どうでしょう、誰か。
 一方、某印刷株式会社が、古文書などのくずし字をスマホで撮影し、解読できるAI−OCRアプリ「古文書カメラ」の配信を始めています。くずし字には、手書きのもの(書簡や証文、日記などの古文書)と木版印刷物(版本や錦絵など)があり、それぞれに文字の形や使われている字種が異なるのですが、いずれにも対応しているとのこと。解読したデータは、ユーザーが修正しデータとして蓄積することでAIの精度向上に役立てているそうで、学習データが多いことはやはり重要です。
 ちなみに、国立国会図書館とか京都大学図書館などでは、多数の古文書のデジタルアーカイブを公開していて、誰でもネットで閲覧できます。例えば慶長年間に発刊された「源氏物語」には木版活字が使用され、「伊勢物語」には各頁に版木のイラストがついているなど、最上義光が手に取ったかもしれない書物を手軽にみることができます。当館でもそのうち古文書のデジタルアーカイブ化をやらなくては、とは思ってはいるのですが、そのうちということで、すみません。

◇ 連歌に由来する慣用句の話 
 連歌に由来する慣用句として、「花を持たせる」、「月並み」、「挙句のはて」を紹介しました。さらには「二の句が継げない」という慣用句も関係ありそうではありますが、実は全く無関係です。こちらは宮廷歌謡の「朗詠」に由来しています。「朗詠」は、全部で3段から構成されており、真ん中の段を「二の句」と呼びます。二の句では、音の高さを上げるのですが、高音で歌うのが難く言葉が出ないことから「二の句が継げない」といったそうです。
 「二の句が継げない」とは、相手の発言に驚き、呆れを感じた場合に用います。 なので、謙遜するつもりで、発句の次に「二の句が継げない」などと言おうものなら、発句に対して、呆れてものが言えない、という意味になってしまい、とんでもないことになってしまいます。
 さらに「二の句が継げない」と似た慣用句に「二の矢が継げない」があります。「次にとる手段や手立てがない」ことを表します。つまり、「手詰まりの状態」ということなので、連歌の場合はこちらが適当かも。それはそうとして、一人で「三の矢も四の矢も用意しました」などと言う人もいるかもしれませんが、連歌では無意味です。一人で連歌を続けるのであれば別ですが。「ぼっち連歌」とでも名付けましょうか。