最上義光歴史館

最上義光歴史館
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雲ひとつない秋晴れの山形♪

本日、最上義光歴史館の近くでは、秋のイベントが目白押しです。

交通規制のかかる道路がありますので、お出かけの際は下記のURLをご確認くださいね^^

まるごと山形祭りだワッショイの開催概要はこちら

豊烈神社公式ホームページはこちら

豊烈神社では打毬があるそうなので、後日、潜入レポートをお伝えできればと思います。

明日は、待ちに待った山形まるごとマラソンです。

台風の影響がないことを祈ります^人^



ちなみに、昨日ブログにアップした植物はキャラではないか?と、ボランティアスタッフさんから教えていただきました。

イチイとキャラは葉の長さが異なるそうです!

私には見分けるのは難しいですが…。



秋空の下の最上義光歴史館でした。



最上義光歴史館前の公園は、すっかり秋模様です。

館外に出ると、金木犀の良い香りがします^ー^

光明寺跡に生えているのは、キャラ?イチイ?

真っ赤で甘い実がたくさん。

しかし、種は毒があるそうなので食べてはいけませんよ!

《2018年9月の利用者アンケート集計結果》

 この集計結果は平成30年9月1日から同30日の間に入館した利用者を対象に行ったアンケートを集計したものです。

常設展示  (9/1 〜 9/30)
特別展  (9/1 〜 9/9)
開館日数・・・・・・・・・・・・・25日間
入館者数・・・・・・・・・・・・・1,927人
回答者数・・・・・・・・・・・・・40人


1.本日は最上義光歴史館に
  �‘段姪犬鮓�に来た・・・・・・・・・・・・・・・9%
  �⊂鐇濺玄┐鮓�に来た・・・・・・・・・・・・・・55%
  �N省�見に来た・・・・・・・・・・・・・・・・・37%

�´�の方、特別展を何で知りましたか
(1)ポスター・チラシ等・・・・・・・・・・・20%
(2)歴史館のホームページ・・・・・・・・・・60%
(3)新聞・テレビ・ラジオ等・・・・・・・・・0%
(4)広報やまがた・・・・・・・・・・・・・・0%
(5)知人から聞いた・・・・・・・・・・・・・0%
(6)通りがかり・・・・・・・・・・・・・・・20%
(7)その他・・・・・・・・・・・・・・・・・0%

�△諒�、当館をどこで知りましたか
(1)旅行雑誌・・・・・・・・・・・・・・・・6%
(2)歴史館のホームページ・・・・・・・・・・3%
(3)インターネット・・・・・・・・・・・・・37%
(4)新聞・テレビ・ラジオ等・・・・・・・・・0%
(5)広報やまがた・・・・・・・・・・・・・・0%
(6)知人から聞いた・・・・・・・・・・・・・20%
(7)以前から知っていた・・・・・・・・・・・11%
(8)観光案内所 (駅など) ・・・・・・・・・・3%
(9)通りがかり・・・・・・・・・・・・・・・11%
(10)その他・・・・・・・・・・・・・・・・・9%

2.歴史館の入館は何回目ですか??
(1)はじめて・・・・・・・・・・・・・・・・93%
(2)2回目・・・・・・・・・・・・・・・・・6%
(3)その他・・・・・・・・・・・・・・・・・3%

3.ご覧になられた感想
常設展示
   �‖臺僂茲�った・・・・・・・・・・・・・65%
   �△茲�った・・・・・・・・・・・・・・・35%
   ��ふつう・・・・・・・・・・・・・・・・1%
   �い弔泙蕕覆�った・・・・・・・・・・・・0%
特別展
   �‖臺僂茲�った・・・・・・・・・・・・・43%
   �△茲�った・・・・・・・・・・・・・・・57%
   ��ふつう・・・・・・・・・・・・・・・・0%
   �い弔泙蕕覆�った・・・・・・・・・・・・0%

(2)最上義光と最上家について??
   �,茲�わかった・・・・・・・・・・・・・65%
   �△錣�った・・・・・・・・・・・・・・・33%
   ��わからなかった・・・・・・・・・・・・3%
   �い匹舛蕕箸發い┐覆ぁΑΑΑΑΑΑΑΑΑΓ亜�

〜利用者の声〜

新潟県新潟市 男性(54歳)
戦国期の山形と近隣の勢力圏がよくわかりました。一人でボランティア解説していただきました。

静岡県掛川市 男性(63歳)
歴史の中での事ではありますが人生の有り方を思った。

東京都小金井市 男性(39歳)
最上義光公が大変優秀な武将・政治家であったことが、実感できた。平日であいていたといっても、ボランティアガイドの方がほぼつきっきりでガイドしてくれて大変良かったです。大変詳しく山形のことも知れて良かったです。ありがとうございました。

東京都立川市 男性(38歳)
ガイドの方のお話がとてもわかり易く、面白かったです。山形を築いた方の歴史に触れられて満足でした。また来ます。

静岡県静岡市 女性(53歳)
ガイドさんのおかげでよくわかりました。無料で見学でき、ありがとうございました。

香川県高松市 男性(36歳)
ガイドがたいへんわかりやすかったです。また来たいです。

東京都豊島区 男性(30歳)
大変勉強になりました。最上義光をはじめ、山形について興味がもっとわきました。初めて山形に来ましたが、非常に有意義でした。

北海道岩見沢市 男性(36歳)
ボランティアさんのガイド、おもしろかったです。

佐賀県佐賀市 男性(38歳)
無料にしては充実していた。LaserDiscの音が小さかった。

茨城県取手市 男性(59歳)
大変参考になりました。

福井県越前市 男性(58歳)
ボランティアガイドが丁寧に説明してくれてよかった。

富山県射水市 男性(74歳)
戦国時代の歴史の一端がよくわかりました。(上杉氏や伊達氏はよく耳にするが最上氏は名前のみぐらい)これまで漠然としか知っていたことがよく理解出来ました。拝観料も無く、説明を受けてビックリしました。なにも言うとこがありません。

滋賀県草津市 男性(20歳)
ガイドの人がとても親切で、ガイドも分かりやすく、最上氏のことが良く学べた。最上氏が滋賀県と関わりが深いことを知り、また地元で探して見ようと思った。

東京都日野市 女性(18歳)
楽しかったです。

埼玉県 女性(47歳)
順路がもう少し分かりやすいと良い。映像コーナーは、もう少しスペースをとったほうが良い。無料なことに驚いた。

東京都中野区 男性(45歳)
最上氏について勉強になりました。戦国史が勉強になりました。親切にして頂きありがとうございました。

福島県福島市 男性(39歳)
ガイドしていただきましたが、説明が分かりやすく話も面白かった。最上義光は智謀に長けた悪者というイメージが強いので、もっと内政面をPRできるような展示をすると、もっと義光の魅力が伝わると思いました。

千葉県千葉市 男性(55歳)
とても分かり易い説明でした。楽しかったです。ありがとうございました。

東京都足立区 女性(21歳)
歴史にあまり強くないのですが、資料を読めたり、色々なタイプの資料が残っているのは魅力だと思いました。ガイドさんの説明がていねいで、わからないこともきちんと優しく教えてくださった、理解出来ました。興味も持てました。最高やと思います!!ていねいで楽しいガイド、ありがとうございました。

東京都葛飾区 男性(54歳)
説明が解り易く、勉強になりました。最上義光のファンになりました。東京に帰って伝えます。

※当館サポーターの個人名は「ボランティア」または「ボランティアさん」に変更しています。

しとしと雨が降る中、行ってまいりました研修旅行!

7時出発にもかかわらず、6時過ぎにはぽつぽつ集合し始め…、やる気満々です。



この研修旅行は、当館ボランティアスタッフのスキルアップを目的としたものです。

今回の目的地は、福島県にある白河小峰城、白河関、二本松城の3箇所です。

すべて、現地のボランティアガイドさんにご案内をしていただきました。

この研修を通して、当館でのガイド活動に益々磨きのかかることでしょう^ー^

ご来館される皆さま、多いに期待してくださいませ♪

先日、NHK様より取材をしていただきました。

当館所蔵≪長谷堂合戦図屏風(複製)≫が映りますよ〜。


☆放送日☆
9月25日(火)18:10から放送のNHK山形「やままる」内にて、当館ボランティアスタッフが解説いたします。

最上義光歴史館が映るのは20〜40分頃とのことです。

山形県内の皆さま、お見逃しなく^^

山形城の瓦出現期の様相について

はじめに
 瓦は窯業製品であり、胎土に水が浸透し冬季にそれが凍る凍害が発生するため、雪国には不向きの建築部材である。江戸後期の史料であるが、山形は「寒国故御櫓之瓦年々損スル」(「山形雑記」『山形市史編集資料』第64号)と、冬季の気象条件により瓦が消耗すると強く認識されていた。それにもかかわらず、近世初頭の山形城の改修と同時に瓦が採用されるようになり、山形城での瓦採用は、城郭建築に伴うこの時期特有の政治的・社会的判断があったことは想像に難くない。この近世初頭における瓦出現期の様相と、その系譜を探ってみたい。

1 瓦の出現時期
 山形城本丸御殿跡で、多量の近世初頭の瓦が出土しているが、多くに被熱の痕跡が認められる(金箔瓦を含む)。これは瓦葺き建物が火災に遭ったことを示しており、その年代がわかれば、瓦出現の時期を考える重要な手掛かりとなる。本丸の火災は、12月7日付最上義光書状に「其上本丸ニ火事出来候」(秋田藩家蔵文書)とあるのが唯一である。これは年号を欠いているが、慶長4年説(『山形市史 年表・索引編』)と同7年説(宮島新一2010年「県下に残る桃山時代の城郭御殿障壁画」米沢市上杉博物館『図録戦国大名とナンバー2』)の両説あり、このどちらかとみてよいだろう。この火災より以前に、瓦は採用されているのである。では、製作年代はどこまで遡るであろうか。山形城の改修は、文禄2年(1593)に最上義光が「うちたて((内館))のほりふしん((堀普請))」(伊達家文書)について家臣に指示していることから、この段階ですでに開始されていた。「うちたて((内館))」は後の本丸を指すとみられる。最上氏時代は他に本丸の火災の記載はなく、現在までの発掘調査で火災の痕跡は一度のみであるため、文禄2年頃に製作された瓦が、慶長4〜7年の火災で焼失したとみるべきであろう。山形城の瓦は、金箔瓦を含め、豊臣政権時代に生産が開始されたのである。

2 瓦の系譜
 山形城で特徴的に現れる「山文」の軒丸瓦は、京の聚楽第城下町屋敷でも出土している。出土位置は、尼崎本「洛中洛外図屏風」(尼崎市教育委員会蔵)に描かれた最上義光京屋敷と位置的に近く、この瓦は最上屋敷に使用されたと考えられる。聚楽第城下町屋敷は、天皇行幸をひかえて天正19年の京中屋敷替えによって成立した、諸大名の京の邸宅街である。ここで山文軒丸瓦が発案、採用され、本国の山形城への生産へとつながっていくのである。
 ところで、最上家の家紋は、足利家の庶流であることから足利家と同じ「丸ニ引両」である。なぜ、瓦の文様に家紋ではなく、「山文」を採用したのであろうか。現在のところ、確たる結論を持ち合わせていないが、京で初めて生産されたのであろうから、京の政治状況が反映したものと考えられる。当時、室町幕府の最後の将軍であった足利義昭はまだ存命であり(1597年死去)、天正15年(1587)に京に帰還したのち、翌年に将軍職を辞し受戒したものの、秀吉から山城国填島に1万石を認められ、京や大坂を住まいとしていた。そのような状況で瓦の紋章を選択する際、足利家以外に「丸ニ引両」の紋を瓦に採用することはありえなかったと推測される。足利義昭は豊臣政権で重要なポジションを占めていたわけではないが、室町幕府将軍家の家紋と同様の紋章を最上家の瓦に採用することを避けたい意図が豊臣政権にあったことは十分考えられる。
 また、京都でも出土しているのであるから「山形」「山形城」という地名を示しているわけではない。最近の文献史学の研究で、特に豊臣政権時代に最上義光は「山形殿」と称されていることが知られているが、自らの呼称から「山文」の文様の採用に至ったのであろう。山形城の瓦出現期の様相は、当時の政治状況を色濃く反映しているのである。

■執筆:齋藤 仁(山形市教育委員会社会教育青少年課主幹/文化財保護担当)「歴史館だより��25」より