最上義光歴史館

最上義光歴史館
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 4月から6月の期間、月山刀を展示した「鐵の美」展は、想定を大きく超えた来館をいただき会期末を迎えることができました。月山刀は「綾杉肌」と呼ばれる地鉄が特徴で「月山肌」とも言われ、これを目当てに来館された方も少なくなかったようです。
 月山刀について実はその情報が少なく、担当学芸員も苦労していました。月山刀は大量生産の武具のため、伝来や肩書きまして伝説なども少ない。しかしながらその刀工を辿ると平安末期まで遡るといわれ、松尾芭蕉の「おくの細道」にも、月山の鍛冶小屋についての記述があります。「谷の傍に鍛冶小屋と云有。此国の鍛冶、霊水を撰て、ここに潔斎して剣を打、終「月山」と銘を切て世に賞せらる。」月山頂上のすぐ近くにその鍛冶小屋跡があり、現在は「鍛冶稲荷神社」として石組みの祠が組まれています。
 当館の指定管理者である山形市文化振興事業団は、「山寺芭蕉記念館」の指定管理者にもなっています。そこの学芸員Aさんが今年、ほぼ月一で地元紙の連載を持つことになりました。そこで当館の学芸員が月山刀について話題にとりあげてほしいと頼んだところ、「日本刀はわからないから」と言われてしまい、結局、先日の連載記事は「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」にまつわる話でした。まあ、立場上、月山ではなく、まずは山寺のことをとりあげたわけで。
 内容は、この句に詠まれた蝉とは、ニイニイゼミなのかアブラゼミなのか、という論争に関し、学芸員Aさんはほぼ毎年、芭蕉が山寺に訪れた新暦7月13日に蝉の声を確認している、というものです。そして単なる「蝉の声論争」だけではなく、この句のすばらしさについても独自の視点から論じています。普通は、蝉の声をもって閑さを表現したと評論するのですが、学芸員Aさんは、山寺の岩と蝉の声を融合させたことを評価していました。さすが30年以上、この句に寄り添ってきただけのことはあります。
 また、「おくの細道と月山」と言えば、思い出されるのが忌野清志郎さんの話です。
 山形県立川町(現在は庄内町)の東北電力月の沢発電所(廃止)の近くで、2000年12月26日に雪崩事故が発生しました。「月の沢」という場所は、羽黒山と月山との中間にある場所で、月山から最上川に流れる立谷沢川沿いあります。この川では砂金が採れることでも知られています。
 この雪崩で生き埋めになった息子(52)を救出するため、80歳になる父が仲間4人と激しい雪の中、約10キロの雪道を7時間かけて歩き、雪に埋もれていた息子を見つけ救出しました。吹雪で前がよく見えず、積雪も腰くらいまであり一列になって代わるがわる雪かきをしながら進んだそうです。
 このニュースを耳にした忌野清志郎さんは大いに衝撃を受け、息子がピンチのときに、80歳になっても助けに行ける体力をもたねばと、中学の時にロードレーサーに乗っていたことを思い出し、再び自転車に乗り始めました。そして2002年10月、約2,400kmある「おくの細道」のほぼ半分、深川から象潟までを自転車で、10日で走破しました。その時、忌野清志郎さん51歳。しかし2009年5月2日、癌のため58歳で亡くなりました。早いもので来年2025年は17回忌にあたります。
 何年か前に、学芸員Aさんに「キヨシローとおくの細道」展というのはどうかと持ち掛けたのですが、「キヨシローみたいなのは苦手なので」と、とりあってももらえませんでした。まあ、5年先ぐらいまで展示企画は決まっていて変更は難しいのですが。
 それでも学芸員Aさんがポップカルチャーの類には興味がないのかというと、サブカル的なものには大いに興味があり、かつて某美術館と組んで「怪獣と美術」展といういわゆるウルトラ怪獣の原画などの展覧会をやってみたり、とりわけ超常現象は大好きで、芭蕉の句以上にあの専門誌(ム〇)を読み込んでいるようです。彼が最も力を入れている山寺芭蕉歴史館「妖怪展」は夏の定番企画となり、施設最大の集客力がありリピーターもいるようで、今年は例年にも増して開催時期も早く、すでに開催中であります。


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(館長裏日誌)