戦国観光やまがた情報局

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天文11年(1543)〜元和2年(1616)
 三河国岡崎城主・松平広忠の嫡男として生まれるが、幼少期は織田家、続いて今川家の人質として過ごした。今川義元が桶狭間の戦いにて討ち死にすると、岡崎城を奪取して独立を果たす。その後、隣国の織田信長と同盟を結び勢力を拡大していった。
 信長の後継者として台頭した羽柴秀吉を相手に、小牧・長久手の戦いにて互角以上の戦いを演ずるも、戦後は秀吉に従い、豊臣政権内では五大老筆頭に列せられた。
 秀吉死後は、次の天下を狙う動きを見せ、ほかの大老らと対立。上杉景勝に対しては、叛意ありとして、問罪使を派遣したが、上杉家執政・直江兼続は、「直江状」と呼ばれる挑戦状を送り返した。これに家康は激怒、上杉征伐の軍勢を率いて出陣したものの、石田三成の挙兵を知ると軍勢を反転させ、関ヶ原の戦いに勝利、天下人の地位を確立した。
 慶長8年(1603)征夷大将軍に任官されて江戸幕府を開き、以降264年間つづく幕藩体制の基礎を固めた。元和2年(1616)駿府城にて死去。享年74。
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