戦国観光やまがた情報局

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米沢藩の下級武士(原方衆と呼ばれる)が暮らした屋敷が、米沢市南部の各地区(主に芳泉町・石垣町・通町)に数多く現存しています。

上杉家が会津から米沢に移封になった際、城下には家臣全員を収容しきれなかったため、防衛の役割を与えて下級武士を郊外に配置したものです。

原方衆は農業をしながら武芸に励むという半士半農の生活を送り、荒地の開墾も行いました。

▼交通:JR米沢駅から車で約10分
    東北中央自動車道米沢八幡原ICから車で約10分
▼駐車場:なし 車窓から見学
▼案内:ボランティアガイドによる案内可(市内ガイド1名1時間1,000円・予約制)
▼問合せ:米沢観光コンベンション協会 TEL0238−21−6226

▼地図:Google Maps


屋敷を取り囲む石垣と垣根
芳泉町(六十在家)の武家屋敷。

谷地河原堤防(直江石堤)を守るために配置された家臣団でした。
これも兼続の街づくり
石垣は松川が氾濫した際に水が屋敷内に流れ込むのを防ぐために、

垣根(うこぎ)は敵の侵入を妨げるために植えられたものでした。

どちらも400年前に直江兼続によって造られたものです。
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