戦国観光やまがた情報局

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 山形城西方の支城で、上杉領の置賜地方から山形に抜ける狐越街道沿いにある山城です。関ヶ原の戦いと時を同じくして起きた長谷堂合戦の際には、最上家家臣の江口五兵衛光清が守将を務めました。
 5百ばかりの少数で直江兼続率いる上杉軍2万を迎え撃ち善戦したものの、さすがに守りきれず2日後に落城、光清は自刃しました。

▼交通:JR山辺駅から車で約20分
    東北中央自動車道山形中央ICから車で約45分
▼駐車場:小型バス・自家用車可
▼入場料:なし
▼所要時間:40分
▼トイレ:なし
▼問合せ:山辺町産業課 TEL 023−667−1106

▼地図:Google Maps

最上家11代当主・最上義光と山形城の資料を展示している資料館です。
義光が上杉勢との長谷堂合戦の際に身につけていた、弾痕の跡が残る兜や甲冑、指揮棒などの遺品、長谷堂合戦図屏風、山形城本丸のふすま絵等の絵画類や調度品等、多数展示されています。

▼交通:JR山形駅から徒歩で約10分
    山形自動車道山形蔵王ICから車で約15分
▼駐車場:山形市大手町駐車場(有料)
     最上義光歴史館向側・観光バス専用駐車場(無料)
▼開館時間:9:00〜16:30
▼休館日:月曜(休日の場合はその翌日)、年末年始
▼所要時間:20分
▼入館料:有り
▼問合せ:最上義光歴史館 TEL023−625−7101

▼地図:Google Maps



 山形城は最上氏の祖・斯波兼頼が、延文2年(1357)に築城したと伝えられ、現在の城郭は11代当主最上義光(よしあき・最盛期57.5万石)によって築いたものが原型とされています。
 義光の代、慶長5年(1600)の関ヶ原合戦の時、山形領に攻め込んだ上杉方の直江兼続が山形城を望んだところ、霞がかかって所在がしれなかったことから「霞ヶ城」と呼ばれたといいます。
 現在は霞城公園(かじょうこうえん)として市民に親しまれており、平成3年(1991)には東大手門が完成し、現在も復元作業が続けられています。

▼交通:JR山形駅から徒歩で約10分
    山形自動車道山形蔵王ICから車で約15分
▼駐車場:霞城公園駐車場利用(無料) 最上義光歴史館向側・観光バス専用駐車場(無料)
▼随時入園可能 ※東大手門の開門時間は5:00〜22:00
▼所要時間:30分
▼トイレ:公園内トイレ利用可
▼案内:ボランティアガイドによる案内可(予約制)
▼問合せ:山形市観光案内センター TEL023−647−2266

▼地図:Google Maps

明治のはじめ、酒田市吉田地区の円通寺に檀信徒の寄進により、亀ケ崎城(酒田城)の搦手門が同寺の山門として移築されました。

現存する唯一の亀ケ崎城の構築物となっています。

▼交通:JR酒田駅から車で約15分
▼地図:Google Maps

 酒田城は文明10年(1478)、大宝寺(現鶴岡市)の武藤氏が築いた東禅寺城が始まりといわれています。
 慶長8年(1603)、酒田湊に巨大亀が上陸し、当時の領主最上義光はこれを吉兆と喜んで亀ケ崎城と改称させました。現在は城址に県立酒田東高校が建ち、学校脇の土塁に名残を残すのみとなっています。

▼交通:JR酒田駅から徒歩で約15分
▼駐車場:なし
▼入場料:なし
▼所要時間:10分
▼所在地:酒田市亀ヶ崎1−3
▼問合せ:酒田観光物産協会 TEL 0234−24−2233

▼地図Google Maps

米沢を預かるようになった直江兼続は、もう一つの所領である庄内を結ぶ最短ルートを朝日連峰に開きました。これが朝日軍道であり、長井市の草岡から葉山を経て、朝日連峰の主脈を通って庄内に抜ける6キロにわたる壮大な山岳道路で、現在の縦走路の原型になったものです。
草岡の登山口から葉山までのコースは、電光型に付けられた幅広い山道など軍道の名残を今に伝えています。

▼交通:山形鉄道フラワー長井線あやめ公園駅から車で約15分
    東北中央自動車道南陽高畠ICから車で約30分 朝日連峰 長井葉山登山口
▼駐車場:有り(無料) 自家用車可(登山口の大石大明神周辺に5〜6台分のスペース)
▼所要時間:30分
▼トイレ利用不可
▼案内:ボランティアガイドによる案内不可
▼問合せ:長井市観光文化交流課 TEL0238−84−2111

▼地図:Google Maps



越後米沢街道・十三峠は、大永元年(1520)に伊達14代の稙宗(たねむね)により、大里峠が開かれたのが始まりです。明治11年(1878)には、イギリスの旅行家イザベラバードがこの十三峠を通り、当時の様子を「日本奥地紀行」に記録しています。
現在は黒沢峠や萱野峠などに敷石道が残っており、多くの人が当時の面影を求め訪れています。

▼交通:JR小国駅から車で約10分〜20分
    東北中央自動車道南陽高畠ICから車で約60分程度
▼駐車場:有り(無料) 自家用車可(各峠とも多少のスペースあり)
▼所要時間:45分
▼案内:白い森案内人によるガイド可能(有料・予約制)
▼問合せ:小国町観光協会 TEL0238−62−2416

▼地図:Google Maps



小国城は中世の平城で、北は横川の断崖に臨み、東、南、西の三方には巨大な濠と土塁をめぐらせていました。

現在は僅かに土塁と雑草の生える濠址が昔の名残をとどめています。

▼交通:JR小国駅から徒歩で約20分
▼地図:Google Maps

京都の切戸の文殊、奈良の安倍の文殊とともに日本三文殊の一つとして有名です。
慶長7年(1602)、兼続が実弟の大国実頼や安田能元、岩井信能、前田慶次といった武将たちを集めて歌会を催しており、その時の和歌や漢詩が「直江兼続等詩歌百首帖」として奉納されています。

▼交通:JR高畠駅から車で約10分
    東北中央自動車道南陽高畠ICから車で約15分
▼駐車場:有り(無料) 大型バス・自家用車可
▼拝観料:なし
▼所要時間:30分
▼トイレ利用可
▼案内:ガイドによる案内可(有料:予約制)
▼問合せ:亀岡文殊別当大聖寺(高畠町大字亀岡4028−1 TEL0238−52−0444)
     ガイド「まほろばの里案内人」(高畠町観光協会 TEL0238−57−3844)

▼地図:Google Maps



日本三熊野の一つに数えられ、東北のお伊勢として信仰を集めています。
江戸時代初期、北条郷(南陽市)代官の安部右馬助綱吉、息子・綱正が再建に尽力し、米沢城の東北にあたる鬼門の鎮守として大切に守られてきました。
慶長9年(1604)の熊野宮建立棟札に「大旦那 直江山城守」の記録が残っています。

▼交通:JR赤湯駅から車で約10分
    フラワー長井線宮内駅から徒歩で約10分
    東北中央自動車道南陽高畠ICから車で約10分
▼駐車場:有り(無料) 大型バス・自家用車可
▼拝観料:なし
▼所要時間:20分
▼トイレ利用可
▼問合せ:熊野大社(南陽市宮内3476−1 TEL0238−47−7777)

▼地図:Google Maps



上杉氏が越後から会津に移封され、直江兼続が米沢城に入りました。その際、「總宮神社」に参拝し、杉を植え(直江杉)刀剣を奉献したと伝えられます。
總宮神社は、あやめ公園の東に位置し、宝物殿(奉納された刀剣が展示されている)、直江杉、隣接する編照寺(魚津城の戦いの際に討死した寺島長資の菩提寺)など見どころがあります。

▼交通:山形鉄道フラワー長井線あやめ公園駅から徒歩で約5分
    東北中央自動車道南陽高畠ICから車で約40分
▼駐車場:隣接のあやめ公園東口駐車場利用(無料) 中型バス・自家用車可
▼拝観料:なし
▼所要時間:15分
▼トイレ利用可
▼案内:ボランティアガイド・宮司による案内可(予約制・無料)
▼問合せ:長井市観光文化交流課 TEL0238−84−2111
▼所在地:長井市横町14−24
▼地図:Google Maps
▼HP:山形 長井一の宮 總宮神社



初代館長・宮坂善助氏が収集した米沢・置賜地方の考古学資料や藩政歴史・民俗資料など約700点を収蔵しています。

とりわけ刀剣、槍、米沢藩火縄銃、江戸城屏風、考古資料など旧米沢藩に関するものが多く、特に上杉謙信・上杉景勝・直江兼続の愛用した甲冑・武具や、置賜地方の埋蔵文化財など貴重なものが収蔵・展示しています。
また、かぶき者と異名をとった前田慶次所用の甲冑も見られます。

▼交通:JR米沢駅から車で約5分
    東北中央自動車道米沢中央ICから車で約5分
▼駐車場:有り(無料) 大型バス・自家用車可
▼入館料:有り
▼入館時間:午前10時〜午後5時(10月〜3月は午後4時まで)
▼所要時間:20分
▼休館日:毎週月曜日、祝祭日の翌日
▼トイレ利用可
▼問合せ:宮坂考古館(米沢市東1−2−24 TEL0238−23−8530)

▼地図:Google Maps


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慶長14年(1609)、眼を患った某僧が五色の湯に入って治ったという話を耳にした直江兼続は、生来病弱で両眼を病んでいた嫡子景明のために、五色温泉に湯壷を開きました。浴舎や小屋を設け、足軽60名に警護させ、長い湯治を行ったとされています。

▼交通:JR板谷駅から車で約15分
▼地図:Google Maps



慶長9年(1604)、直江兼続は江州国友村と泉州堺から鉄砲職人を呼び寄せ、ここ白布高湯で密かに火縄銃を作らせ、戦時に備えました。
白布高湯で火縄銃を製造させたことを記念して、「直江城州公鉄砲鍛造遺跡」の石碑を昭和45年(1970)に建立しました。

白布での鉄砲製造は、銃身だけを作り、それを城下に送りました。木部の銃床、火蓋、引き金などの金具は、城下の細工師が作り取り付けました。その細工師は、現在の元細工町、鍛治町あたりの職人町に居住していました。
白布での製造が終わると、鉄砲職人達は、鉄砲屋町・鍛治町に移りました。


▼交通:JR米沢駅から車で約30分
    東北中央自動車道米沢八幡原ICから車で約30分
▼駐車場:なし
▼案内:ボランティアガイドによる案内可(市内ガイド1名1時間1,000円・予約制)
▼所在地:米沢市白布温泉地内
▼問合せ:米沢観光コンベンション協会 TEL0238−21−6226

▼地図:Google Maps



三の丸の西および北の外堀代用として、慶長14年(1609)、家臣の平林氏に命じて拡幅し、掘り拡げた川です。

新田開発・生活用水・農業用水路などとして新設されました。

▼交通:JR米沢駅から車で約10分
▼地図:Google Maps

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