NORIYOs NOTE

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夫が昨年の暮れにリサイクルショップで見つけた新品のドラえもんドンジャラ。
ドンジャラとは子供版マージャンのようなもの。

購入して以来、時間を見つけては家族でテーブルを囲みワイワイ楽しんでいる。

反抗期に入った子も、ゲーム好きの子も、口だけいっちょ前の子も、そして忙しい親もしばし同じ時間を共有する。
ケラケラ笑って無心になり、けれど本気で勝負する。

なんとも楽しい時間。
家事は止まってしまうけど、まぁいいかと見てみぬふりをする。

遠い記憶をたどってみると、幼少時に両親は同じ事をしてくれてたっけ。

子供達が大きくなった時に、
「あぁこんな事あったっけ」って思い出してくれて、何かを始めるきっかけになってくれたらなと感じた。


「お母さ〜ん、今日はドンジャラ出来る?」

もう少しブームは続きそうだ。







あけましておめでとうございます。
今年も主婦目線の飾らない文章で書き綴っていけたらと思います。


初売りでキッチンの福袋が欲しかった私は、朝6時過ぎに家を出発してジャスコへ向かう。

着いた頃には長蛇の列。商品券の当たる千本引きの列には、すでに定員いっぱいの千人が並んでいた。

電化製品を買い求める列も長く続いていて、寒さで手を震わせながらも、チラシを何度も眺めて吟味している人の姿が印象的だった。

開店7時。
一斉に目的に向かって店内に入っていく人・ひと・ヒト…。
私も負けじと福フライパンと福圧力鍋をゲットした。

その平台の隣でブランド食器の均一販売をしていたので
気になって人をかき分けて覗いてみると、
大好きなワイルドストロベリーのコーヒーカップ&ソーサーが
2,000円で売っているではないか!!!

迷ってる時間もなく、自分にご褒美と独り言を言いながら2客お買い上げ。
今まで我慢していた甲斐あって、嬉しさも2倍♪

今年は小さな喜びを積み重ねて大きな幸せをゲットしたいと思う。








今日の昼食は、年末恒例の社員みんなで外食。

いつも自宅に戻って昼食を食べる私にとっては、なによりの楽しみである。
上げ膳据え膳の食事は、主婦にはたまらない。

貸切の店内に入ると、店員さんたちがぞろっと出迎えてくれて、
とっても贅沢な感じがした。

美味しい食事に箸を進めながら一年を振り返る。

まだまだやり残した部分もあったけど、
社長をはじめ、みんなに支えられた一年だったな〜とつくづく感じている。

私は社内の雰囲気が大好き。
いつも子供の事や私の体調まで気遣ってくれる社長。
私に少しの負荷をかけて、可能性を伸ばしてくれた。

共に働く社員の方達とは、子育ての悩みや主婦の会話を楽しんだり、
ティータイムには、美味しいコーヒーや紅茶入れてもらって、お菓子を食べながら
エネルギーを補充して、その後の仕事がサクサクと進んだ。

なんだか会社に来て癒されている日々だった気がする。

来年一年も、このメンバーとなら
お客様に喜んでいただけるツールをたくさん提供できると確信している。

昨日はクリスマスケーキを作って食べ、サンタさんから無事プレゼントをもらって、
母はまたひとつイベントが終わってほっと一息ついていた。

「お母さ〜ん、今日のご馳走はなに作る?」

12月26日。母のお年取りの日である。
一応我が家では、誕生日や季節毎のイベントにはご馳走を作っていた。
ご馳走と言っても、子供達が食べたいような品々を並べるだけなのだが…。

クリスマスにかなり体力と銭を使い果たした母は、外食に気持ちが傾いてきた。

「外で食べたいひと〜?」
「はーい、はーい、はーい。回転寿司っ!!!」

もはや私のお祝いを口実に楽しんでいるようだった。

店につき、店員さんに案内されて席に着く。
子供達が一番いい奥の席を陣取り、手馴れた手つきで画面操作を始める。

「今日は何で食べに来たんだっけ?」
一通りお腹いっぱいになった頃をみはからって、忘れかけていた目的を一応確認しておこうと母が聞いた。

「あ、そうだった。お母さん、○○さいのお誕生日おめでとーっ!!!」
突然大きな声で叫び、近くのお客さんが一斉に私の顔をチラ見した。

「ちょ、ちょっとぉ〜大きい声出さないでよぉ」


その後すぐ会計を済ませ、少し早歩きで店を出た。
来年のBIRTHDAYはどんなハプニングが待っているのだろうか。







ホームヘルパーという職業を通して、色んな方との出会いと別れを経験してきた。

そこで感じた事が一つある。

深い悲しみを経験してきた方には、独特の優しさがあるということ。
人が悲しんでいる姿とはどういうものなのか、自分で実体験すると、人を許せる範囲が広がっているように思う。

難しい言葉では言えないけれど、待ってあげられるというか、おおらかに包んでくれるオーラが出ているように感じる。


環境に恵まれ順調に老いてきた人は、他人に対して厳しくなりがち。言葉も荒くなって、相手に対して
「なぜこんな事が出来ないのか」などという言葉も出る。

いろんなプロセスや人生の底を乗り越えてきた人は、人の傷口をわざわざ広げるような事はぜったいにしない。

まだまだ自分はそんな境地にはなれないけれど、今まで教えてくださった利用者様の言葉を忘れないようにしていきたいと思った。

久しぶりの母からの電話。
「たまには子供を預けて息抜きしよう。今日夜出てこれる?」

私の体を心配して連れ出してくれた。
休みの夫に子供達を預け、久しぶりの自由な時間。

母の仕事終わり時間に合わせて、仙台市中心部近くの勾当台公園で待ち合わせ。

仙台は今、夜のイルミネーションがとっても素敵☆
光のページェントや、公園全体を色とりどりの光が包み
多くの人手でにぎわっていた。

ディスプレイは昨年よりも確実にグレードアップしている。

特設のスケートリンクには、親子だけでなくカップルや友達同士で楽しくすべる姿も多く見られた。


色んなことを話しながら、寄り道をしつつ最後に駅ビルの地下で遅い夕食。

こんな時間の使い方もあったんだな…。
多くを語らずとも、さりげなく心配してくれている母に感謝。



本を読んだりメールで文字を送るとき、
活字ばかりで埋め尽くされた文では読みづらい。

言いたい事を伝えるには、
句読点も、
行間も、
余白も必要だと思う。


仕事に例えるなら

働きづめの人の仕事は、
周りの人から理解されにくく、近寄りがたいオーラを放っているように見える。
夢中になりすぎて、周りの不満やアドバイスにも意外と気がつかないものだ。

働きすぎて倒れてしまう前に、
スピードをゆるめて、自分に休養を与える事も大切な事なんだなと感じた。

「ママねむれな〜い」
という子に付き合い、夜の九時半頃から少しだけ電気をつけて折り紙に付き合う。

何気なくテレビをつけて耳で聞きながら、黄色い折り紙でシュリケンを折っていると、NHKの「仕事学のすすめ」が始まった。

ニッチな分野で活躍する、伊藤忠商事取締役相談役の丹羽宇一郎さんを講師として自らの経験を生かした経営方針を熱く語る。

丹羽さんの専門力は、30代の頃に経験した失敗で磨かれた。そこから情報収集と分析力を学ぷ。

最後に頭に残っていた言葉は、
「専門性を磨くとは専門知識を憶える事ではなく、一つの分野で能力と論理力を身につけ、自信を持つ事」

ただひたすら一生懸命やれば儲かるわけではない。

メディアの情報を全て信じるのではなく、現地から正確な情報を得て分析し、先の情況を見通す。

自らの成長を「アリ」→「とんぼ」→「人間」と表現していた。
「ア リ」…最初の10年は黙々と働く
「とんぼ」…複眼的な見方が出来るか勉強する。読書で論理性を磨く。

何でも中途半端に磨くから専門性が身につかない。
仕事は「論理的な思考」
その経験はどの分野でもやっていける。

……昨日の番組ではここまでの話だった。

私の頭では理解するのにかなり時間がかかりそうだけど、
今の自分はまだ「あり」の段階にいるのだろう。


必死にメモを取っていた紙は娘の大事な折り紙。
書いた文字を隠すようにハートを折って何とかなだめた。









5年ほど前に100円ショップで購入した7種類ほどの観葉植物たちが
今では5倍以上に成長し、存在感を増している。

手のひらに乗るほどだったアロエの葉は、年中火傷や虫さされ、擦り傷などに大活躍。

シャコバサボテンは、もう間もなく満開を迎えようとしている。


家族とともに成長してきた植物たち。
水をもらえない日も、何一つ文句を言わず酸素を出し続けてくれていた…。

また鉢が小さくなってきたから、植え替えないと。


今年中には出来るかしら…(^ο^!)




一日の業務が終わり、充実した気持ちで保育所に向かう。
あたりはもう真っ暗で、ポツポツと雨も落ちてきた。

園児達はお天気に関係なく元気にホールで遊んでいる。
お絵描きをする子、ブロック遊びをする子、おままごとする子…。

先生方に見守られながら、想像力をふくらませて楽しそうに時間を過ごす。

「○○ちゃんお迎えだよー」
周りのお友達が母の顔を見て子供を呼んでくれる。

「せんせーさようなら。」

挨拶したあと、教室に入って帰り支度をする。
カレンダーを見て、明日は赤い日(祝日)だから休みだよという事を子に伝える。

「知ってるよー。明日は観覧車の日で保育所お休みだって先生言ってたもん!!」


かんらんしゃ??? かん…かんしゃ?? きんろうかんしゃ!!!

……想像もつかない言葉を聞くと、なぜか疲れも吹っ飛ぶ。
この間は10分の1(秋分の日)って言ってたなぁ。

こんな時期ももうすぐ終わるんだろう。
末っ子ともなると、ゆっくり成長してほしいような、複雑な気持ちになった母である。