戦国観光やまがた情報局

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細野かぶと松(ほそのかぶとまつ)

御楯稲荷神社(みたていなりじんじゃ)

赤崩山(あかくずれやま)

宮沢城址・双松公園(みやざわじょうし・そうしょうこうえん)

遍照寺(へんじょうじ)

安久津八幡神社(あくつはちまんじんじゃ)

上杉神社(うえすぎじんじゃ)

松岬神社(まつがさきじんじゃ)

直江夫妻墓所(なおえふさいぼしょ)

直江石堤(なおえせきてい)

總宮神社宝物殿(そうみやじんじゃほうもつでん)

總宮神社の直江杉(そうみやじんじゃのなおえすぎ)

円通寺山門(えんつうじさんもん)

酒田城址(さかたじょうし)

朝日軍道(あさひぐんどう)

越後米沢街道・十三峠(えちごよねざわかいどう・じゅうさんとうげ)

小国城址(おぐにじょうし)

亀岡文殊堂(かめおかもんじゅどう)

熊野大社(くまのたいしゃ)

總宮神社(そうみやじんじゃ)

宮坂考古館(みやさかこうこかん)

五色温泉(ごしきおんせん)

鉄砲鍛造遺跡の碑(てっぽうたんぞういせきのひ)

堀立川(ほったてがわ)

木場川(きばがわ)

帯刀堰(たいとうぜき)

白旗松原(しらはたまつばら)

武家屋敷(ぶけやしき)

龍師火帝の碑(りょうしかていのひ)

猿尾堰(さるおぜき)

御入水堰(おいりみずぜき)

蛇堤(へびつつみ)

桜の馬場(さくらのばば)

白子神社(しろこじんじゃ)

神達明神(かんだちみょうじん)

法泉寺(ほうせんじ)

春日山林泉寺(かすがさんりんせんじ)

上杉家廟所(うえすぎけびょうしょ)

上杉博物館(うえすぎはくぶつかん)・<伝国の杜>

上杉神社稽照殿(けいしょうでん)

米沢城址(よねざわじょうし)

 

 

 

 

 

 


慶長5年(1600)、奥羽の関ヶ原と呼ばれる「長谷堂合戦」において、上杉軍の退却戦が近くの野平山古戦場で行なわれました。その退却の際、直江兼続がこの松の下で兜を置いて休んだという謂われが残っています。

▼交通:フラワー長井線荒砥駅から車で約10分
    山形自動車道山形蔵王ICから車で約50分
    山交バス 山形―長井線(長谷堂経由)細野バス停下車徒歩2分
▼駐車場:なし
▼所在地:白鷹町大字滝野森の上 国道348号沿い
▼問合せ:白鷹町観光協会 TEL 0238−86−0086


八乙女神社縁起に「慶長年中(1596年頃)直江山城守が荒砥城補修の時、稲荷神社を修理宗敬せり」と記されています。
また、最上出陣(長谷堂合戦)の際、直江兼続が御楯稲荷神社で戦勝祈願した時、白狐が現れ道案内をしてくれたといい、その道は「狐越街道」と呼ばれ今に残っています。場所は八乙女八幡神社(旧荒砥城址)境内にあります。

▼交通:フラワー長井線荒砥駅から徒歩5分
    東北中央自動車道南陽高畠ICから車で約40分
▼駐車場:隣接の荒砥地区公民館駐車場を利用(無料)
▼拝観料:なし
▼所要時間:15分
▼所在地:白鷹町荒砥甲109八乙女八幡神社境内
▼問合せ:白鷹町観光協会 TEL 0238−86−0086


直江兼続は街づくりを行う上で先ずは山に登ってその計画を立てたと言われています。その登ったと思われる山の一つが「赤崩山」です。尾根の先端部分にはかなり古い年代の板碑群があり、直江兼続が米沢に入る前の伊達家の時代からこの場所は物見やのろし台として使われていた可能性があります。
眼下真下には松川が、さらにその下流左岸には谷地河原堤防(直江石堤)が位置しており、直江兼続の壮大な計画の第一歩がこの眺めから踏み出されたのかもしれません。

 ※赤崩山に登る遊歩道が整備されています。(頂上まで徒歩5分)
  登り口は、旧関根小赤崩分校のところにあります。 Google Maps
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宮内館、宮内城、三桜城ともいい、慶長3年(1598)3月、上杉氏の国替えに伴い信州飯山の尾崎三郎左エ門尉重誉(兼続の母方の実家)が配置され、その後色部竜松丸(興三郎光長:兼続の妹婿)が城代となりました。
隣接する慶海山館は双松公園として整備され、6月はバラまつり(双松バラ園)が開催されます。

▼交通:JR赤湯駅から車で約10分
    フラワー長井線宮内駅から徒歩で約15分
    東北中央自動車道南陽高畠ICから車で約10分
▼駐車場:有り(無料) 大型バス・自家用車可
▼入場料:なし
▼主要時間:30分
▼トイレ利用可
▼問合せ:南陽市教育委員会社会教育課 TEL 0238−40−3211(観光については商工観光課)


 總宮神社に隣接する真言宗の寺院。もともと「奥の高野」と呼ばれた置賜地方でも古い寺です。
 上杉家の家臣寺島長資が魚津城の戦いの際に討死したことに報いるため、子の寺島正貞を上長井郷の代官としました。この時から寺島家の菩提寺となり、現在も寺島長資の墓碑が伝わっています。


▼交通:フラワー長井線あやめ公園駅から徒歩で約5分
    東北中央自動車道南陽高畠ICから車で約30分
▼駐車場:隣接のあやめ公園東口駐車場利用(無料) 中型バス・自家用車可
▼拝観料:なし
▼所要時間:10分
▼トイレ利用不可
▼案内:ボランティアガイドによる案内可(予約制・無料)
▼問合せ:長井市観光文化交流課 TEL0238−84−2111


貞観2年(860)慈覚大師が安久津の豪族、安久津磐三郎の協力で阿弥陀堂を建てたのが始まりと言われています。
慶長3年(1598)に神領50石を兼続が寄進し、衰退していた八幡神社の再建計画を立てました。元和3年(1617)には拝殿を上杉景勝が造営。兼続の死去に伴い、一時中断しますが、2代藩主上杉定勝が寛永7年(1630)に本殿を再建しました。

▼交通:JR高畠駅から車で約15分
東北中央自動車道南陽高畠ICから車で約10分
▼駐車場:有り(無料) 大型バス・自家用車可(すぐ近くの道の駅「たかはた」にも有り)
▼拝観料:なし
▼所要時間:20分
▼トイレ利用可
▼案内:ガイドによる案内可(有料・予約制)
▼問合せ:安久津八幡神社社務所(高畠町安久津2043−2 TEL 0238−52−5990)
     ガイド「まほろば里案内人」(高畠町観光協会 TEL0238−57−3844)
    


米沢藩祖である上杉謙信公を祀る神社。
旧米沢城本丸の奥御殿跡に建てられています。

大正8年(1919)の大火で本殿は焼失。現在の本殿は大正12年(1923)、明治神宮や平安神宮の設計者として知られる米沢市出身の文化勲章受章者・伊東忠太により竣工されたものです。

上杉謙信の命日である4月29日(旧暦3月13日)に例大祭が行われ、5月3日までの期間は恒例の米沢上杉まつりが開催されます。

▼交通:JR米沢駅から車で約10分
    東北中央自動車道米沢中央ICから車で約15分
▼駐車場:隣接のおまつり広場駐車場利用(無料) 大型バス・自家用車可
▼拝観時間:開門 午前6時(4〜11月)、午前7時(12〜3月)閉門 午後5時
▼年中無休
▼拝観料:なし
▼所要時間:10分 トイレ利用可
▼案内:ボランティアガイドによる案内可(無料・予約制:米沢観光コンベンション協会 TEL0238−21−6226)
▼問合せ:上杉神社社務所(米沢市丸の内1−4−13 TEL0238−22−3189)

▼地図:Google Maps


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直江兼続の指揮で松川左岸に築かれた石積みの堤防で、その地名から谷地河原堤防(やちがわらていぼう)とも呼ばれています。
米沢城下を洪水から守るため築かれたもので、米沢市指定史跡です。
この石堤は約1.2kmにわたって続いており、現在は「直江堤公園」として整備され、秋には芋煮会の会場として賑わいます。

 ※冬期間(11月下旬〜4月上旬)は積雪のため見学できません。

▼交通:JR米沢駅から車で約10分
    東北中央自動車道米沢八幡原ICから車で約10分
▼駐車場:有り(無料) 大型バス・自家用車可
▼所要時間:20分
▼案内:ボランティアガイドによる案内可(市内ガイド1名1時間1,000円・予約制)
▼問合せ:米沢観光コンベンション協会 TEL0238−21−6226

▼地図:Google Maps


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直江兼続が奉納した刀剣などを収蔵している宝物殿です。


▼交通:フラワー長井線あやめ公園駅から徒歩で約5分
    東北中央自動車道南陽高畠ICから車で約40分
▼駐車場:隣接のあやめ公園東口駐車場利用(無料) 中型バス・自家用車可
▼拝観料:なし
▼所要時間:10分
▼トイレ利用可
▼案内:ボランティアガイド・宮司による案内可(予約制・無料)
▼問合せ:長井市観光文化交流課 TEL0238−84−2111


直江兼続が米沢城に入る際に總宮神社に参拝し、杉(直江杉)を植えたと伝えられています。その後、最上川の舟運などでは、船頭が長井の地の目印にしたと言われています。

▼交通:フラワー長井線あやめ公園駅から徒歩で約5分
    東北中央自動車道南陽高畠ICから車で約40分
▼駐車場:隣接のあやめ公園東口駐車場利用(無料) 中型バス・自家用車可
▼拝観料:なし
▼トイレ利用可
▼案内:ボランティアガイド・宮司による案内可(予約制・無料)
▼問合せ:長井市観光文化交流課 TEL0238−84−2111
▼所在地:長井市横町14−24


慶長9年(1604)、直江兼続は江州国友村と泉州堺から鉄砲職人を呼び寄せ、ここ白布高湯で密かに火縄銃を作らせ、戦時に備えました。
白布高湯で火縄銃を製造させたことを記念して、「直江城州公鉄砲鍛造遺跡」の石碑を昭和45年(1970)に建立しました。

白布での鉄砲製造は、銃身だけを作り、それを城下に送りました。木部の銃床、火蓋、引き金などの金具は、城下の細工師が作り取り付けました。その細工師は、現在の元細工町、鍛治町あたりの職人町に居住していました。
白布での製造が終わると、鉄砲職人達は、鉄砲屋町・鍛治町に移りました。


▼交通:JR米沢駅から車で約30分
    東北中央自動車道米沢八幡原ICから車で約30分
▼駐車場:なし
▼案内:ボランティアガイドによる案内可(市内ガイド1名1時間1,000円・予約制)
▼所在地:米沢市白布温泉地内
▼問合せ:米沢観光コンベンション協会 TEL0238−21−6226

▼地図:Google Maps


三の丸の西および北の外堀代用として、慶長14年(1609)、家臣の平林氏に命じて拡幅し、掘り拡げた川です。

新田開発・生活用水・農業用水路などとして新設されました。

▼交通:JR米沢駅から車で約10分
▼地図:Google Maps

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綱木・田沢・梁沢など鬼面川の上流から、薪木を運ぶために掘られた川です。上流の山間から流された薪木は帯刀堰から木場川に入り、木場町の貯木場に積み上げられ、ここから城中に運ばれて行きました。

▼交通:JR米沢駅から車で約10分
▼地図:Google Maps
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大頭堰または西川堰とも呼ばれ、舘山城の外堀の跡を利用して堀削されたものです。

帯刀堰の名は、直江兼続の家臣たちが帯刀のままで工事に参加したことからそう呼ばれるようになったといいます。

▼交通:JR米沢駅から車で約10分
▼地図:Google Maps


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